6.風摩砦
摩利支天の風6.風摩砦
正月を久し振りに家族のもとで、のんびりと過ごした菊寿丸は十四日になると太郎左衛門と一緒に箱根に向かった。
箱根権現の別当になるために海実僧正のもとに行くのかと思ったら、挨拶に寄っただけだった。久し振りに会う海実僧正はやけにやつれて、急に老けたようだった。
菊寿丸の顔を見ると驚いて、「おお、無事じゃったか‥‥」とつぶやいた。
「もうしばらく、菊寿丸をお貸し下さい」と太郎左衛門は言った。
僧正はうなづくと菊寿丸をじっと見つめ、「わしは待っている」と力のない声で言った。
僧正と別れた後、菊寿丸は太郎左衛門に、「僧正様は弟の法妙坊が死んだ事を知っているのですか」と聞いた。
「さあのう」と太郎左衛門は首をかしげた。「法妙坊が率いて行った山伏は一人も戻って来ないはずじゃ。うすうすは気づいているかもしれんがのう」
「僧正様も俺の命を狙っているのですか」
「いや。時の流れを自覚したようじゃな」
「時の流れですか‥‥」
「時の流れには誰も逆らえんのじゃ」
菊寿丸はうなづいてから、「ところで、これからどこに行くんです」と聞いた。
「いい所じゃ」と太郎左衛門は笑った。「今晩はここに泊まる。しばらくの間、酒も女子もお預けじゃ。今晩は存分に楽しむ事じゃな」
その晩、箱根権現の門前町で遊んだ菊寿丸は、駿河の浅間明神の門前町にいる遊女、山吹の事を思い出した。あの時、山吹を迎えに行くと約束したのに、すっかり忘れていた。約束したからには迎えに行かなければと思ったが、今の菊寿丸にはまだ、山吹を助けるだけの力はなかった。もう少し待っていてくれと山吹の事を思いながらも別の娘を抱いていた。
太郎左衛門に連れて行かれた所は明神ケ岳の山中にある風摩砦と呼ばれている武術道場だった。
「ここは風摩小太郎殿の砦なのですか」と菊寿丸が聞くと太郎左衛門はうなづいた。
「小太郎殿が飯道山のような武術道場を作りたいと始めたんじゃよ。ただ、ここは飯道山と違って誰もが入れるわけじゃない。選ばれた者だけが入れるんじゃ」
「選ばれた者?」
「ああ。素質のある者じゃ」
「誰が選ぶのです」
「小太郎殿の配下の者たちじゃ」
「俺も選ばれたのですか」
「そうじゃ。お前だけじゃない。お前の三人の兄貴たちは皆、選ばれて、ここで修行を積んだんじゃ」
「兄上たちも」
「そうじゃ。この砦ができて、もう十年以上経つ。ここで修行した者は多い。戦で何人もが活躍している。初めの頃、ここを知っているのは伊勢家の重臣だけじゃった。しかし、今は誰もが風摩砦の事を知っている。ここで修行を積んだというだけで一目(いちもく)おかれるようになった。重臣たちは当然、自分の子供をここで修行させたいと願っている。しかし、いくら重臣の伜だとしても、選ばれなかった者はここで修行する事はできんのじゃよ」
「ここで一年間、修行するのですか」
「ああ、一年間じゃ。しかし、お前の一番上の兄貴、新九郎殿がここで二年間、修行を積んだので、新九郎殿にならって二年間、修行する者も多くなって来た」
「兄上が二年間も‥‥」
「ああ、新九郎殿も新六郎殿もな」
「俺も二年間、やる」と菊寿丸は力強く答えた。兄たちには負けられなかった。
7.風摩党1
摩利支天の風7.風摩党1
韮山城に帰った菊寿丸は父親から鞍作りの極意を授かり、年が明けると韮山にやって来た愛洲太郎左衛門に連れられて、また、箱根の山に向かった。
「今度こそ、箱根権現の別当になるのですか」と菊寿丸は聞いた。
太郎左衛門は菊寿丸の顔を見つめて、「なりたいのか」と聞いた。
菊寿丸は首を振り、「もう少し考えたいと思っています」と答えた。
太郎左衛門はうなづいた。「早雲殿もお前の好きにさせてやれと言っていた。早雲殿が元気なうちは好きにしていい。だが、早雲殿の具合が悪くなったら箱根権現の別当になってやる事じゃ」
「はい。それで、今度はどこに行くのですか」
「わしの家じゃ。わしの家でのんびりするがいい」
「のんびりですか‥‥」と菊寿丸は意外そうな顔をして太郎左衛門の横顔を見つめた。
太郎左衛門の家は山の中の小さな村の中にあった。敷地は広かったが、そこらにある農家とまったく同じだった。
「静かで、いい所じゃ」と太郎左衛門は笑った。
こんな所に住んでいるなんて、もう隠居してしまったのだろうかと菊寿丸は思った。
太郎左衛門の家には妻の楓(かえで)と十四歳になる娘の桔梗(ききょう)、九歳になる男の子、万太郎がいた。妻の楓は太郎左衛門よりも二十歳以上も若く、四番めの妻だという。三人の妻はすでに亡く、三番めの妻との間に生まれた娘は、二代目風摩小太郎の妻になっていた。
菊寿丸は桔梗に離れに案内された。
「ここに好きなだけ、いてくれってお父様が言っていました」
「ここは使っていないのか」
「ええ、今は。でも、あたしが生まれる前、兄上様がここで暮らしていたらしいです」
「兄上様?」
桔梗はうなづいた。「小太郎様よ。風摩小太郎様」
「成程、師匠のもとで修行していたのか‥‥」
「そうみたい。あなたもここで修行するの」
「さあ、どうなんだろう」
「あなたはお屋形様の息子さんなんでしょ。韮山のお城下から来たの」
「そうだが」
「ねえ、お城下ってどんなとこ」桔梗は興味深そうな大きな目をして菊寿丸を見た。
「どんなとこって言われてもな」
「あたし、生まれてから一度もこの村から出た事ないの」
「そうだったのか。韮山の城下はここと比べたら、人も大勢いて、家もいっぱい建ち並んでいて賑やかな所だよ」
「そう‥‥ねえ、菊寿丸様、韮山に帰る時、あたしを連れてって」
「それは構わんが」
「約束よ。絶対に連れてってね」
桔梗は母親似の可愛い娘だった。可愛いけれど、十九歳になった菊寿丸にとって、十四歳の彼女は幼なすぎた。
8.風摩党2
摩利支天の風8.風摩党2
江戸を後にした菊寿丸と風雷坊は扇谷上杉修理大夫朝興(ともおき)のいる河越城下に寄り、さらに北上して、管領の山内上杉四郎顕実(あきざね)のいる鉢形城に向かった。
鉢形の城下は管領の膝元だけあって、さすがに都さながらに賑わっていた。ここにも、やはり、風摩党の者が潜入していた。
茶の湯者の東海庵が三人の弟子と共に住み着き、連歌師の宗瑛(そうえい)も弟子と共に住んでいた。他にも職人や遊女として住み着いている者もいて、旅商人や山伏たちも出入りしていた。
菊寿丸は風雷坊と一緒に彼らと会って情報を聞いた。彼らの話によると山内上杉家には暗雲が立ち込め始めているという。
去年の夏、前管領の民部大輔顕定(あきさだ)が越後(新潟県)で戦死して、養子の四郎顕実が管領職(かんれいしき)に就いていたが、民部大輔にはもう一人、養子がいた。平井城にいる上杉兵庫頭憲房(ひょうごのかみのりふさ)だった。兵庫頭は民部大輔と共に越後に出陣し、民部大輔の戦死後、兵をまとめて関東に引き上げて来た。兵庫頭は民部大輔の遺言通り、四郎が管領職に就く事に賛成した。四郎は古河公方、左馬頭政氏(さまのかみまさうじ)の弟であるため、四郎が管領となり関東は一つにまとまるかに見えた。
山内上杉家の家宰(かさい、執事)は代々、長尾氏が受け継いで来た。四郎の家宰は上野(こうづけ)の国、総社を本拠地とする長尾尾張守(おわりのかみ)顕方だった。一方、兵庫頭にも家宰はいた。兵庫頭の家宰は下野(しもつけ)の国、足利を本拠地とする長尾但馬守(たじまのかみ)景長だった。但馬守は兵庫頭を管領職に就けて、自ら、山内上杉家の家宰に就こうとの野心を持っていた。但馬守は兵庫頭を説得し、兵庫頭もその気になり始めているという。
「戦が始まりますか」と菊寿丸は聞いた。
「そう簡単には行かん。相手は管領じゃ。同族とはいえ、簡単に攻めるわけにはいかん」
「但馬守はどうするつもりなんです」
「多分、父子で喧嘩している古河公方を利用するじゃろう。四郎は公方、左馬頭の弟じゃ。左馬頭は当然、四郎を支持している。そこで、左馬頭の跡継ぎ、左兵衛佐(さひょうえのすけ、高基)を味方に付け、左兵衛佐を古河公方と認め、兵庫頭を左兵衛佐の管領にするつもりじゃろうの」
「公方の左馬頭と管領の四郎、公方の左兵衛佐と管領の兵庫頭の対立という形になるんですか」
「そうじゃ。勝った方がそれぞれ、公方、管領に納まるという事じゃな。どっちが勝とうと負けようと伊勢家にとっては有利になる。公方家と上杉家が争っている間に相模の国はいただきじゃ」
菊寿丸は風雷坊に連れられて鉢形城下から荒川をさかのぼり、途中から山中へと入って行った。不動山という山を越えて少し下がった所まで来た時、突然、人相の悪い三人の男が武器を手にして現れた。見るからに山賊(さんぞく)だった。
菊寿丸は勇んで錫杖(しゃくじょう)を構えたが、風雷坊は笑いながら、「お頭(かしら)はいるか。風雷坊が来たと伝えてくれ」と言った。
山賊たちは武器を納めて、急に畏まった。
9.風摩党3
摩利支天の風9.風摩党3
菊寿丸は鞍作りの職人として古河(こが)の城下に滞在していた。
公方が鎌倉から古河に移ってから、すでに五十年以上の時が経ち、古河は関東の都となっていた。城下には京都から下向して来た公家たちも多く住み、町全体が華やいでいた。また、父子の対立から戦目当ての浪人たちが各地から集まって、武器を片手にあちこちでたむろしていた。
菊寿丸は職人たちが多く住んでいる長屋の一部屋を借りて、一人で住んでいた。菊寿丸という名前ではおかしいので、砦にいた時のように三郎と称していた。
三郎と称して、初めての一人暮らしを始めた菊寿丸だったが、毎日の飯の支度をする事さえ大変な事だった。それに、まだ若い菊寿丸の所に仕事を持って来る者などなく、自ら、武士の屋敷を訪ねては鞍の修理をして、わずかばかりの銭を貰って暮らしていた。銭を稼ぐという事が、これ程までに大変だという事を身を持って体験していた。
隣に住んでいる鋳物師(いもじ)の与八が色々と面倒を見てくれるので助かった。与八は風摩党の一員だった。
菊寿丸は与八を初めとして城下に住んでいる風摩党の者たちと連絡を取りながら、公方の左馬頭(さまのかみ)と関宿に行った左兵衛佐(さひょうえのすけ)の様子を探っていた。
古河の城下には連歌師の宗彦(そうげん)、鋳物師の与八、兵法所(ひょうほうじょ)の武芸者の黒田善兵衛、遊女の初瀬らが住み、関宿の城下には茶の湯者の清風亭が住んでいた。他に山伏と旅商人が連絡を取るために古河と関宿を行き来している。
中でも連歌師の宗彦は公方が開催する連歌会にも参加し、茶の湯者の清風亭は左兵衛佐の茶の湯の指導に当たる程、信頼されていた。
菊寿丸は十月の半ば、ツグミという娘を助けた。ツグミは木賃宿(きちんやど)の娘だった。ツグミの両親は城下のはずれで行商人たちを相手に小さな木賃宿を経営していた。ところが、その日、五人の浪人者たちが突然、押しかけて来て、旅人を追い出して木賃宿を占領してしまったという。
ツグミは両親に言われて裏口から逃げ出すと奉行所に助けを求めた。しかし、浪人たちは銭を見せ、自分たちは客として、ここに泊まっていると言い張ったため、奉行所ではどうする事もできなかった。奉行所の侍が帰った後、浪人たちは父親を殴り倒し、ツグミにも襲い掛かろうとした。ツグミは必死で逃げ、その途中、仕事帰りの菊寿丸にぶつかったのだった。
菊寿丸はツグミを追って来た浪人を倒し、ツグミを自分の家に連れて行って話を聞いた。
菊寿丸は浪人たちを追い出して、ツグミの木賃宿を救おうと与八に相談したが、与八は猛反対した。
「まずい事をやってしまった」と与八は顔をしかめた。「大通りで浪人を倒したって?」
「倒したといっても、荷物を担いでいた棒でちょっと突いただけですよ」
「余計に悪い。鞍作りの職人がどうして、そう簡単に浪人者を倒す事ができるんじゃ。自分が間者(かんじゃ)である事を公表したようなもんだぞ」
「あっ、そうか‥‥」
「すでに、公方の配下の忍びの者たちが、お前の行方を捜しているはずじゃ。ここにいては危ない」
「あの娘はどうします」
「かかわってしまったからには仕方あるまい。鞍作りの職人はもう終わりじゃ。山伏姿に戻って、宝珠院に行って風松坊殿に相談する事じゃ。二度と、ここに戻って来てはならんぞ」
10.三浦攻め
摩利支天の風10.三浦攻め
永正九年(一五一二年)六月、上杉四郎顕実の鉢形城は上杉兵庫頭憲房の大軍に攻められて落城した。四郎は兄、左馬頭政氏のいる小山氏の祇園(ぎおん)城に逃げて行った。
その頃、菊寿丸は太郎左衛門の屋敷内で、太郎左衛門の子供たちを相手に剣術を教えていた。
娘の桔梗は十五歳になり、可愛い娘になっていた。それでも、父親に似たのか剣術が好きで、菊寿丸の顔を見ると木剣を打って来た。姉が剣術に夢中なので、弟の万太郎も菊寿丸を相手に剣術の稽古に励んでいた。
三浦道寸が鉢形攻撃に出掛けている留守を狙って、父、早雲は岡崎城を攻撃するのではと菊寿丸は思っていたが、攻撃は実行されなかった。道寸も馬鹿じゃない。早雲が味方になったとはいえ、早雲を信じているわけではなかった。守りを厳重に固めた上で出陣して行ったので、早雲も攻める事はできなかった。
岡崎城の留守を守るために江戸城から来ていたのが太田六郎左衛門資康(すけやす)だった事も、早雲を躊躇させた理由だった。早雲は六郎左衛門の父親、道灌(どうかん)を武将として最も尊敬していた。その道灌の子、六郎左衛門が守っている岡崎城を攻め落とす気にはならなかった。
山内上杉氏の内訌は治まり、兵庫頭が正式に管領となった。古河では左兵衛佐が公方となったが、父親の左馬頭も諦めてはいない。小山氏や佐竹氏を味方に付けて、左兵衛佐と争い続けていた。
早雲が韮山に帰って来た六月の半ば、菊寿丸は太郎左衛門と一緒に鴨沢要害に向かった。
「いよいよ、岡崎攻めが始まるのですか」と菊寿丸は聞いた。
「そうじゃ。よく見ておく事じゃな」
「見るだけですか」
「そう焦るな。まだまだ戦が終わる事はない」
鴨沢要害は普段とまったく変わらなかった。前線基地であるため武装した兵は多いが、これから戦が始まるような雰囲気はなかった。
職人姿の菊寿丸と太郎左衛門は小さな木賃宿に落ち着き、岡崎城下から来た旅商人と会った。旅商人は、道寸が岡崎城に戻って来ると太田六郎左衛門は江戸城に帰ったと知らせた。
「道寸が帰って来たら岡崎城は攻められないじゃないですか」と菊寿丸は残念がった。
「すでに、次の手が打ってある」と太郎左衛門は自信ありげに言った。
「次の手?」
「ああ、今度は扇谷(おおぎがやつ)上杉氏に内訌が生じるんじゃ」
「そんなに都合よく行くんですか」
「とにかく、岡崎城に行ってみるか」
太郎左衛門は気楽に言って菊寿丸を連れて岡崎城下に向かった。勿論、街道を通って行ったのではなく、山中を通り抜けて行った。