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摩利支天の風~若き日の北条幻庵

小田原北条家の長老と呼ばれた北条幻庵の若き日の物語です。

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10.三浦攻め

10.三浦攻め

 

 

 永正九年(一五一二年)六月、上杉四郎顕実の鉢形城は上杉兵庫頭憲房の大軍に攻められて落城した。四郎は兄、左馬頭政氏のいる小山氏の祇園(ぎおん)城に逃げて行った。

 その頃、菊寿丸は太郎左衛門の屋敷内で、太郎左衛門の子供たちを相手に剣術を教えていた。

 娘の桔梗は十五歳になり、可愛い娘になっていた。それでも、父親に似たのか剣術が好きで、菊寿丸の顔を見ると木剣を打って来た。姉が剣術に夢中なので、弟の万太郎も菊寿丸を相手に剣術の稽古に励んでいた。

 三浦道寸が鉢形攻撃に出掛けている留守を狙って、父、早雲は岡崎城を攻撃するのではと菊寿丸は思っていたが、攻撃は実行されなかった。道寸も馬鹿じゃない。早雲が味方になったとはいえ、早雲を信じているわけではなかった。守りを厳重に固めた上で出陣して行ったので、早雲も攻める事はできなかった。

 岡崎城の留守を守るために江戸城から来ていたのが太田六郎左衛門資康(すけやす)だった事も、早雲を躊躇させた理由だった。早雲は六郎左衛門の父親、道灌(どうかん)を武将として最も尊敬していた。その道灌の子、六郎左衛門が守っている岡崎城を攻め落とす気にはならなかった。

 山内上杉氏の内訌は治まり、兵庫頭が正式に管領となった。古河では左兵衛佐が公方となったが、父親の左馬頭も諦めてはいない。小山氏や佐竹氏を味方に付けて、左兵衛佐と争い続けていた。

 早雲が韮山に帰って来た六月の半ば、菊寿丸は太郎左衛門と一緒に鴨沢要害に向かった。

「いよいよ、岡崎攻めが始まるのですか」と菊寿丸は聞いた。

「そうじゃ。よく見ておく事じゃな」

「見るだけですか」

「そう焦るな。まだまだ戦が終わる事はない」

 鴨沢要害は普段とまったく変わらなかった。前線基地であるため武装した兵は多いが、これから戦が始まるような雰囲気はなかった。

 職人姿の菊寿丸と太郎左衛門は小さな木賃宿に落ち着き、岡崎城下から来た旅商人と会った。旅商人は、道寸が岡崎城に戻って来ると太田六郎左衛門は江戸城に帰ったと知らせた。

「道寸が帰って来たら岡崎城は攻められないじゃないですか」と菊寿丸は残念がった。

「すでに、次の手が打ってある」と太郎左衛門は自信ありげに言った。

「次の手?」

「ああ、今度は扇谷(おおぎがやつ)上杉氏に内訌が生じるんじゃ」

「そんなに都合よく行くんですか」

「とにかく、岡崎城に行ってみるか」

 太郎左衛門は気楽に言って菊寿丸を連れて岡崎城下に向かった。勿論、街道を通って行ったのではなく、山中を通り抜けて行った。


 城下に着くと一旦、木賃宿に入り、陶器を扱う商人に扮して、茶の湯者、霞亭(かすみてい)善海の屋敷に向かった。

 善海は四十半ばの禅僧のように物静かな男で、三人の弟子と三人の下女と一緒に豪勢な屋敷に暮らしていた。その屋敷を見ただけで、善海が道寸に信頼されている事が充分に分かった。

 菊寿丸は善海の弟子として、その屋敷に滞在する事となった。太郎左衛門の方は仏師(ぶっし)として木賃宿にいるという。

 菊寿丸と同期の修行者、吉田長五郎が善海の弟子になっていた。長五郎とはあまり親しくなかったが、こういう所で再会するとお互いに懐かしいと感じた。長五郎は善海の弟子になってまだ一年ちょっとで、一人前の茶の湯者になるには後十年は修行を積まなければならないと気の長い事を言っていた。

 七月になると、太郎左衛門が言った通り、扇谷上杉氏に内訌が起こった。七年前に養子の修理大夫朝興(しゅりだゆうともおき)に家督を譲って隠居していた江戸城の建芳(けんぽう)が、突然、五歳になる我が子、鶴王丸に家督を譲ると言い出した。

 建芳を煽(あお)っているのは太田六郎左衛門だった。六郎左衛門は江戸城から建芳を追い出して、以前のごとく江戸城を太田氏のものにしたかった。六郎左衛門は建芳に河越城を攻め、修理大夫を倒して河越城に復帰すべきだと言い含めた。当然、その裏では風摩党も動いていた。

 扇谷上杉氏の重臣である三浦道寸も黙っているわけにもいかず、建芳を説得するべく、江戸城へと向かった。七月の末の事である。

 道寸が江戸城に向かったとの報が入ると、待ってましたと早雲は岡崎城攻撃の命を下した。すでに、岡崎城下に集結していた風摩党は城下を混乱させた。

 一番組の山賊、二番組の騎馬隊は共に盗賊と化し、三浦家とつながりのある商人の蔵を襲撃して米や財宝を略奪した。四番組の忍びの者たちは城内に潜入し、米蔵や武器庫に放火して回った。そのうちに、新九郎と新六郎を大将とした伊勢家の軍勢が岡崎城を包囲し、あちこちで合戦が始まった。

 伊勢家の軍勢が来ると城下に潜入していた風摩党の者たちは忍びの者たちを除いて、全員が引き上げた。

「わしらの仕事は終わった」と善海は言って、仲間と共に引き上げたが、菊寿丸は太郎左衛門と一緒に城下にとどまり、誰もいなくなった木賃宿に戻った。

「城攻めというのは容易の事ではない。敵が守りを固めて籠城してしまえば、そう簡単に落とせるものではないんじゃ。特に、今回の場合は短時間でけりをつけなければならん。まごまごしてたら道寸が江戸の軍勢を引き連れて戻って来る。さらに河越からも来るじゃろう」

「どうやったら早く落とせるんですか」

「外側から攻めるだけでは城は落ちん。内側からも同時に攻めん事にはのう」

「風摩党が城内に忍び込んで内側から攻めるのですね」

「まあ、そうじゃ。しかし、簡単には忍び込めん」

「だって、前に忍び込んで米蔵に火を点けたでしょう」

「あの時と今は違う。敵に囲まれた今、あの時以上に守りは厳重じゃ。夜は篝火(かがりび)を焚いて、蟻一匹も入れんじゃろう」

「そうか‥‥忍び込めないのか」

「お前ならどうする」

 菊寿丸は考えてから、「一晩中、奇襲を掛けて敵を眠らせないで疲れさせるというのはどうです」と言った。

「いい手かもしれんが、一晩や二晩では効き目は現れんぞ。明日のうちには江戸に知らせが届き、戦の準備をして、こっちに向かって来るじゃろう。江戸から二日かかるとして三日のうちに落とさなければならんのじゃ」

「三日か‥‥城内に風摩党の者はいないんですか」

 太郎左衛門は笑いながら、「勿論、おるさ」と言った。「留守を守っている佐保田豊後守はのう。下手くそな癖に連歌好きでな。道寸が江戸城に行くとすぐに連歌師宗誉(そうよ)を城内に呼んで、連歌の指導を受けていたんじゃ。宗誉と一緒に弟子が三人、城内に入っている。わしは茶の湯の善海を呼び入れるじゃろうと踏んでいたんじゃがのう、読みがはずれたわ」

「すると、俺を城内に入れるつもりだったんですか」

「そういう事じゃ。落城する城内の様子を見せてやろうと思ったんじゃが失敗じゃったのう」

「それで、これからどうするんです。城内の連歌師とは連絡が取れるのですか」

「連絡は取れん。しかし、段取りは決めてある。城が包囲された次の早朝、城内に放火し、わしらを引き入れる事となっている」

「明日の早朝ですか」

「そうじゃ」

 風雷坊率いる忍びの者たちが木賃宿に集まって来た。その中には風摩党の首領、小太郎の姿もあった。

「厳重じゃ。宗誉殿に頼むしかないわ」と風雷坊は言うと横になった。

「お屋形様は来られたか」と太郎左衛門は小太郎に聞いた。

「はい。真田城(平塚市)を攻略して、そこを本陣としております」

「そうか、出て来られたか。達者な事じゃな。ところで、三浦の忍びを仕切っているのは誰なんじゃ」

「霊仙坊(れいせんぼう)です」

「大山の山伏か」

「はい。奴は道寸を警固するため江戸に行きました。韮山、小田原、鴨沢に潜入していた奴の手下は皆、片付けました。常楽坊という奴がここを守っていましたが、それも片付けました」

「まずまずという所か」

「ええ。前回、道寸が留守にした時、攻撃しなかったので、道寸も少し油断していたようです。頭が油断すると下の者まで油断しますからね」

 翌日の早朝、菊寿丸は太郎左衛門らと共に城内に潜入した。

 城内ではあちこちから火の手が上がり、敵兵は混乱して逃げ惑っていた。

 潜入した風摩党の者たちは、「誰々が敵に寝返ったぞ!」と怒鳴りながら敵兵を倒していた。

 菊寿丸は敵兵を斬りながら太郎左衛門と共に大手の木戸へと向かった。木戸はすでに開いていた。さらに先の木戸に向かおうとした時、軍勢が攻め登って来るのが見えた。

「引き上げるぞ」と太郎左衛門が言った。

「えっ、最後まで見ないのですか」

「わしらの仕事はここまでじゃ。後は表に立つ者の仕事じゃ」

 新六郎の先鋒(せんぽう)、富永弥四郎が本丸に入って来た時には、連歌師宗誉を初めとして風摩党の者は皆、消えていた。

 今回の合戦で風雷坊の配下の者、六人が戦死し、四人が重傷を負った。六人の戦死者の中に安田半次郎と槙原八郎がいた。

 半次郎とは今度の戦が終わったら遊女屋で一緒に飲もうと約束していた。三浦氏を倒したら弾正の側室になっているおさわを助け出して、一緒になるんだとも言っていた。風摩砦にいた時、同室で共に棒術の修行をし、共に遊んだあの半次郎が死んでしまうなんて信じられない事だった。

 槙原八郎とは共に弓術の修行をした仲だった。弓術にかけては名人級の腕を持っていた。それなのに死んでしまうなんて‥‥

 半次郎も八郎も何カ所も斬り刻まれ、無残な姿で死んでいた。どうして、この二人が死ななければならないのか、菊寿丸には理解できなかった。彼らは伊勢家のために死んで行った。彼らにとって伊勢家とは命をかける程、大切なものなのだろうか。伊勢家の一族である菊寿丸には、彼らの死に対して、どう答えたらいいのか、まったく分からなかった。

 犠牲者を出して活躍したにもかかわらず、風摩党の活躍は表には出なかった。連歌師の宗誉が城内にいた事すら公表されず、岡崎城は伊勢家の軍勢の猛攻に支え切れずに落城したという事となった。

「死んで行った者たちが可哀想だ」と菊寿丸が言うと太郎左衛門は、「それが風摩党の宿命じゃ」と冷たく言い切った。

「死んで行った者の家族はどうなるのです」

「それ相当の褒美(ほうび)は出る」

「誰が出すんです」

「勿論、お屋形様じゃ。お前の親父が内々で感状を下さる」

「親父が一人一人に?」

 太郎左衛門は菊寿丸を見つめながらうなづいた。「早雲殿はちゃんと風摩党の活躍を御存じなんじゃよ。風摩党の者たちもお屋形様が自分たちの事をちゃんと知っていてくれるから命懸けで働いているんじゃ。お屋形様が亡くなった後、風摩党の面倒を見るのは、お前の役目じゃ」

「俺が? 兄上でしょう」

「感状を与えるのは兄上じゃ。しかし、新九郎殿は風摩党のすべてを知っているわけじゃない。新九郎殿が見落とした場合、お前が兄上に言って助けてやるんじゃ」

「俺が助けるんですか‥‥」

「そうじゃ。風摩党の者たち全員の面倒を見るんじゃ、お前がな」

 菊寿丸はようやく、自分がどうして風摩党の中に入ったのか気づいた。風雷坊は、伊勢家と風摩党の橋渡しをしろと言ったが、よく意味が分からなかった。しかし、今、ようやく、その意味が分かった。

 風摩党の者たちはどんなに活躍をしても決して表には出ない。伊勢家のために命懸けの仕事をしても、それ相当の報酬がなければ誰でも嫌になってしまう。嫌にならないようにするには、彼らをよく理解して、彼らの活躍を認めてやらなければならなかった。それを理解し認めてやるのは伊勢家の者でなくてはならない。菊寿丸はその役に選ばれたのだった。それは大役だった。大役だったが、自分にしかできない事だと思った。風摩党のためにも自分がやらなければならないと菊寿丸は決心を固めた。

「次の仕事じゃ。行くぞ」と太郎左衛門は言った。

「次の仕事?」と菊寿丸は聞き返した。

「江戸から道寸が攻めて来る。今、どこにいるのか、兵力はどれ位なのかを調べなくてはならん。すでに騎馬隊の者が先に行ってるはずじゃ」

「小太郎殿も風雷坊殿も先に?」

「当然じゃ。ここにいてもしょうがないからのう」

 菊寿丸は太郎左衛門と共に東へと向かった。

 

 

 


 岡崎城を落とした早雲は岡崎城に山中修理亮(しゅりのすけ)を入れ、新九郎と新六郎を引き連れて、江戸城から戻って来る三浦道寸を迎え討つために相模川まで進んだ。

 その頃、道寸は娘婿である太田六郎左衛門と共に二千人余りの軍勢を率いて、神奈川辺りまで来ていた。岡崎城が落城したとの報が届くと、道寸は信じられない事のように驚き、早雲を罵倒しながら悔しがった。

 次の日、早雲は相模川を渡り、大庭(おおば)城(藤沢市)を落とした。大庭城も落とされた道寸は南下して鎌倉に入った。早雲も道寸の後を追うように鎌倉に入った。鎌倉にて一合戦あったが、道寸は敗れて、鎌倉の南にある住吉城(逗子市)に立て籠もった。今の兵力ではとても勝てないと悟った道寸は太田六郎左衛門に援軍を連れて来るように頼み、江戸城に戻した。

 道寸が住吉城に入った事を知ると岡崎城、大庭城などから逃げて来た三浦の家臣たちが続々と住吉城に集まって来た。早雲は鎌倉に本陣を敷いていたのに、住吉城に入って行く落ち武者たちを取り締まったりはしなかった。兵力をかき集める事に真剣な道寸は、来る者は拒まずといった状況で、敵兵に扮した風摩党の者が何人も城内に潜入して行った。

 道寸としては六郎左衛門が援軍を連れて来るまで、ここで持ちこたえるつもりだったが、城内に入った風摩党の活躍で住吉城は簡単に落城してしまった。

 道寸は南へと逃げ、秋谷にて軍勢をまとめ、早雲を待ち構えた。しかし、早雲の軍勢が海岸沿いではなく、山中から側面を突いて来たため、三浦勢は総崩れとなり、新井城めがけて落ちて行った。早雲は深追いせずに鎌倉まで引き下がった。

 菊寿丸と太郎左衛門は小太郎らと一緒に大庭城内に潜入して、早雲の城攻めを助けた。大庭城は菊寿丸らが来た時、すでに、風摩党によって城下は焼かれ、城は孤立していた。岡崎城が落城したと聞いて、逃げて行った兵も多く、城の守りもままならない状況となっていた。城内に潜入するのはわけなかった。早雲率いる大軍が城を包囲すると、攻撃を仕掛ける前に、城兵は簡単に降伏してしまった。

 大庭城が落城すると菊寿丸らは落ち武者になって住吉城に入った。城内に多くの風摩党の者が潜入したため、住吉城は簡単に落城した。住吉城が落城すると道寸を追って新井城へと向かった。道寸らが新井城に入ったのを見届けると、小太郎は全員に引き上げるよう命じた。

「ここまで来て、どうして引き下がるのですか」菊寿丸は訳が分からないという顔をして小太郎に聞いた。

「お屋形様は長期戦に持ち込むらしい」と小太郎は答えた。

「あの城を見ろ」と太郎左衛門が言った。「回り中を海に囲まれ、陸続きの所は一ケ所しかない。それも橋がかかっているだけじゃ。あの橋をはずされたら攻めようがない」

「海から攻めるのですか」

「海からも難しい。切り立った崖が多いからのう。上陸する時に上から狙い撃ちにされるじゃろう」

「それじゃあ、あの城は絶対に落とせないという事ですか」

「そんな城はありゃせん。敵をあそこから出さなけりゃいいんじゃよ」

「あそこに閉じ込めるのですか」

「そうじゃ。陸上も海上も封鎖して孤立させるんじゃ。やがて、城内の兵糧(ひょうろう)も尽きるじゃろう」

「兵糧攻めですか‥‥」

 太郎左衛門はうなづいた。

「兵糧攻めをするのなら、早いうちに、あの橋を落とした方がいいんじゃないですか」

「まだ早いわ。これから、続々と落ち武者たちが、あの城にやって来るんじゃ。城内にいる人数が多ければ多い程、兵糧は早く尽きるんじゃ」

「成程、そうか‥‥」

「わしらは青田刈りをした方がよさそうですね」と小太郎が言った。

「青田刈り?」と菊寿丸は小太郎に聞いた。

「来月になると稲刈りが始まるが、その前にみんな、刈り取ってしまうんじゃよ」

「そんな事まで風摩党はやるのですか」

「これも戦略じゃ」

「ついでに百姓たちも城の中に追い込みましょう」

「一番組と二番組の仕事じゃな。さて、わしらはひとまず帰るとするか」

「ちょっと待って下さいよ。あの城の中にも風摩党の者はいるんでしょ」

「勿論、いるさ」

「兵糧攻めになったら、その者たちも飢える事になりますよ」

「当然じゃ。やつらは命懸けじゃと言ったじゃろう」

 菊寿丸は新井城を振り返りながら、太郎左衛門と小太郎の後を追った。

 あそこにはおさわがいるはずだった。半次郎が戦死した今、おさわを助け出すのは自分しかいないと菊寿丸は心に決めていた。

 

 

 


 三浦道寸を新井城に追い込んだ早雲は、三浦半島の付け根に玉縄(たまなわ)城を築き、城主として次男の新六郎を入れ、陸上を封鎖した。さらに、愛洲兵庫助、清水七郎左衛門、富永三郎左衛門、鈴木兵庫助、山本太郎左衛門、高橋将監(しょうげん)ら伊豆の水軍すべてを新井城の沿岸に送り込んで海上も封鎖した。

 すでに八十一歳となった早雲は焦る事なく、三浦道寸をじわじわと攻める一方で、東相模の領民たちを手なづけ、新しい国作りを進めていた。

 菊寿丸は愛洲太郎左衛門と共に風摩党の五番組の海賊に加わり、三浦の水軍と戦っていた。戦っていたといっても海戦をしていたわけではない。夜、こっそりと敵の船に近づいて、敵の船を沈めるのが任務だった。小船の場合は船底に穴を開けて沈め、大きな軍船の場合は火をかけて燃やした。

 初めの頃は面白いようにうまく行っていたが、段々と敵の警戒も厳しくなって行った。ある夜、敵の待ち伏せにあって、一人が殺され、五人が負傷した。戦死者が出ても、目的を達成するまで作戦を変更する事はなかった。

 五番組が船を沈めていた頃、一番組の山賊と二番組の騎馬隊は三浦半島内の村々を荒らし回っていた。風摩党が荒らし回った後、新六郎の先鋒がやって来て、村々の秩序を取り戻して行った。早雲は三浦半島を北からじわじわと侵略して行った。

 風雷坊率いる四番組は三浦の忍び、霊仙坊一味と戦っていた。

 霊仙坊は道寸と共に江戸に行っていた。岡崎城が早雲に包囲されたと聞くと道寸より先に戻って来た。しかし、すでに遅く、岡崎城は落城していた。霊仙坊は道寸を守るために引き返したが、途中で風雷坊らに囲まれ、死闘を繰り返した末、敗れて大山に逃げ込んだ。敵の本拠地である大山に入るのは不利と見た風雷坊は見張りの者を置いて引き上げた。

 霊仙坊はしばらくの間、大山山中から出ては来なかった。新たに配下の者を集めているに違いなかった。霊仙坊が活動を始めたのは玉縄築城の時だった。配下の者たちを人足や職人に化けさせ、城の縄張りを盗むためと工事を遅らせるために潜入させた。風雷坊ら四番組の者たちは霊仙坊の一味を片っ端から片付けて行った。

 玉縄の築城が始まると共に新しい城下町が出来て、大勢の人足を初めとして職人や商人らが大勢集まって来た。小野屋も大通りに面して店を構え、集まって来る商人たちを取り仕切っていた。風摩党の一番組、二番組、四番組も近くの山中に砦を築いて、三浦攻撃の拠点とした。

 江戸城の太田六郎左衛門は玉縄築城の邪魔をするため、何度も攻めて来たが、その都度、撃退されていた。

 三浦半島をほぼ制圧した永正十年(一五一三年)の四月、早雲は新井城の南にある三崎城(三崎市)を海と陸から総攻撃をかけて攻め落とした。後、三崎城は伊勢氏の水軍の拠点となった。これで、新井城は完全に孤立し、城内の兵糧が尽きるのを待つのみとなった。

 三崎城の攻撃で五番組の中村丑之助が戦死した。三浦攻めで、菊寿丸と同期の者が三人も亡くなった事になった。

 三崎城が落ちた後、風摩党の者たちは各地へと散って行った。山賊と騎馬隊は武蔵の国へと飛び、忍びの者たちは玉縄城下に潜入して来る敵の忍びを取り締まるために半数が残り、半数は江戸城へと向かった。なお、岡崎城下に住み着いていた風摩党の者たちは、道寸を追って新井城に入っていた。吉田長五郎も茶の湯者善海と共に新井城に入った。

 海賊の者たちは浦賀に新しい砦を作っていた。菊寿丸も太郎左衛門と一緒に砦作りに参加した。砦といっても城を建てるわけではなく、どこから見ても普通の漁村だった。箱根山中の風ケ谷村のように普通の村を装った風摩党の拠点だった。

 三浦を倒した後、水軍の敵となるのは安房の里見氏と上総の武田氏であった。風摩党は常に先を行かなければならない。房総の水軍の兵力を探るために動き始めていた。

 砦もほぼ完成した七月の始め、菊寿丸は太郎左衛門と一緒に風ケ谷村に帰った。

 早いもので、ここを出てから一年余りが経っていた。村は相変わらず静かでのどかだった。家に帰る前に小太郎の屋敷に寄った。三月に小太郎の娘が生まれていた。太郎左衛門の孫娘だった。太郎左衛門はニコニコしながら赤ん坊を抱いていた。

 小太郎には四人の子供がいた。一番上は十一歳になる桜という女の子、次が八歳の男の子で名前は太郎、三番めも男の子で小次郎、そして、生まれたばかりの女の子が藤だった。母親の蘭が明人(みんじん、中国人)との混血なので、皆、目鼻立ちのくっきりした可愛い子供たちだった。

 家に帰ると桔梗と万太郎が菊寿丸に飛び付いて来た。二人の顔を見て、菊寿丸は我が家に帰って来たと思った。幼い頃から箱根権現に入れられた菊寿丸にとって自分の家と呼べる場所がなかった。兄たちと一緒に遊んだという記憶もなく、母親の記憶も薄かった。太郎左衛門の妻は母親というには少し若かったが、菊寿丸の事を我が子のように扱っていたので、ここに帰って来ると心から安らぐような気がした。

 菊寿丸は再び、四番組の砦に行って武術の修行に励んだ。三浦攻撃で実戦を経験した菊寿丸は自分の未熟さに気づき、まだまだ修行が足りないと思い知らされた。特に、お頭の小太郎は驚く程、身が軽くて素早かった。菊寿丸は自分も小太郎のようになりたいと修行に熱中していた。

 四番組の砦には風雷坊ら古株連中は玉縄や江戸の方に出張していていなかった。今年の春、武術道場から風摩党に入った者たちが修行に励んでいて、菊寿丸は自分の修行に忙しかったが、自然と師範代のような形となって、若い者たちに慕われるようになっていった。

 その年の九月、江戸城から太田六郎左衛門が大軍を率いて玉縄城を攻めて来た。玉縄城では、あらかじめ、六郎左衛門が攻めて来る事を知っていたので、風摩党も加わり、罠を仕掛けて待ち構えていた。敵は面白いように罠にかかり、兵を混乱させ、大将の六郎左衛門も討ち取られてしまった。早雲は道灌の子、六郎左衛門の死を悲しみ、六郎左衛門の首と胴を鄭重に江戸城に送り届けた。

 菊寿丸はその合戦には参加しなかった。

 太郎左衛門も参加しなかった。太郎左衛門は久し振りに家族との生活を楽しんでいるようだった。

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