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摩利支天の風~若き日の北条幻庵

小田原北条家の長老と呼ばれた北条幻庵の若き日の物語です。

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5.旅の空2

5.旅の空2

 

 

 寅峰丸を加えて四人となった一行は美濃の国から近江(おうみ)の国(滋賀県)へと入った。

 初めの頃はお互いに黙り込んでいた菊寿丸と寅峰丸も近江の国に入った頃には何やら話をしながら歩いていた。一歳年上の菊寿丸は兄貴風を吹かせていたが、寅峰丸の方はすんなりと従ってはくれないようだった。

「あの二人、喧嘩でもしかねない雰囲気じゃぞ」と宗長は心配していた。

「二人共、ガキ大将ですからね」と太郎左衛門は答えた。

「先が思いやられるのう」

「将来、関東と関西をしょって立つ二人ですからねえ、仕方ないでしょう」

「関東と関西をしょって立つか、うむ、成程のう。そうなってほしいもんじゃな」

 琵琶湖が見えた。

 菊寿丸と寅峰丸は声を挙げて琵琶湖に向かって走り出した。

「やはり、まだ子供じゃのう」と宗長は言ったが、湖畔に行った二人は手頃な棒切れを捜すと決闘を始めた。

「おいおい、放っておいていいのか」

「大丈夫でしょう。二人とも喧嘩慣れしています。怪我しない程度にやるでしょう」

 太郎左衛門は平気な顔をして、二人の決闘を眺めていた。宗長は呆れ顔で決闘の様子を見守った。

 菊寿丸と寅峰丸は掛声をかけながら相手を打っていた。勝負はなかなかつかなかった。太郎左衛門は二人の動きを厳しい眼差しで見つめていた。

「それまで!」と太郎左衛門の鋭い声が響いた。

 菊寿丸と寅峰丸の動きが止まった。

「お前たち二人の腕は分かった。今の所は互角じゃ。これからの修行次第じゃな。ところで、菊寿丸、お前は何月に生まれた」

「十月です」

「寅峰丸は?」

「二月です」

「そうか、年は菊寿丸の方が一つ上じゃ。しかし、実際は四ケ月しか違わん。いいか、これからは対等じゃ。同い年だと思って付き合え。分かったな」

 菊寿丸と寅峰丸はお互いを眺めてから、太郎左衛門の方を向くとうなづいた。

「よし。これから面白い所に連れて行ってやる」

「どこです」と菊寿丸は聞いた。

「お前らの好きな喧嘩を教えてくれる所じゃ」

「飯道山で修行するには年が足らんのじゃないのか」と宗長が聞いた。

 太郎左衛門はうなづいた。「あそこで修行するには早すぎますが、ああいう所を見せておくのもいいでしょう」

「うむ。天狗にならんようにのう」

 一行は琵琶湖沿いに南下して、甲賀の飯道山に向かった。


 飯道山は山頂近くにある飯道寺を中心に古くから山伏たちの修行道場として栄えていた。五十年程前より、一般の者たちにも武術を教えるようになり、武術道場として有名になって各地から修行者たちが集まっていた。また、忍びの術の発祥の地としても有名だった。

 門前町は参詣客や山伏たちで賑わっていた。

「やはり、ここは懐かしい」と太郎左衛門は町並みを眺めながら感慨深げに言った。

 山の上にはいくつもの僧院、僧坊が建ち並び、武術道場もあり、大勢の若者が修行に励んでいた。太郎左衛門が来た事を知ると大勢の山伏が集まって来て、皆が太郎左衛門の事を師匠と呼んでいた。この山で太郎左衛門が余りにも有名な事に菊寿丸は驚いた。

 菊寿丸と寅峰丸は玉滝坊(ぎょくりゅうぼう)という剣術師範代の山伏に案内されて道場を見て回った。

 玉滝坊は風摩小太郎の三男だった。長兄は父のもとを離れ、出雲(いずも)の国(島根県)で尼子(あまご)氏に仕えている。次兄は父の後を継いで風摩党の首領として活躍している。三男の玉滝坊は山伏だった父親の跡を継いで、ここで修行を続けているという。

「ここで修行するのは、まだ早過ぎるな」と玉滝坊は二人を眺めながら言った。

「どうしてです」と菊寿丸は聞いた。

「このお山で修行するのは十八歳からという決まりがあるんじゃ。毎年正月に大勢の若者がこのお山にやって来る。全員が、このお山で修行できるわけじゃない。まず、一ケ月間、山道を歩き続けなければならん。まだ、山には雪が残っているがのう。その中を一ケ月間、朝から晩まで毎日、歩き続けるんだ。最後まで歩き通した者だけが、このお山で修行する事ができるというわけじゃ」

「どうして、一ケ月も歩くのですか」と寅峰丸が聞いた。

「歩くというのは修行の基本じゃ。その基本ができん者に一年間の修行は耐えられんからのう。一ケ月の山歩きで半分以上の者が山を下りて行くわ」

「玉滝坊殿も一ケ月間の山歩きをしたのですか」と菊寿丸は聞いた。

「したとも。一ケ月どころか、わしは百日行(ひゃくにちぎょう)もやった」

「百日行?」

「ああ。百日間、山歩きをするんじゃよ。一日でも休んだら駄目なんじゃ。雨が降ろうと台風が来ようと、病にかかろうとも休まず歩き続けなけりゃならん。辛い修行じゃ。しかし、やり遂げた後の気持ちは何ともいえんわ」

「百日間も‥‥」

「太郎坊殿は百日行を何回もやったらしい」

「愛洲殿が‥‥」

「愛洲殿は何者なんですか」と寅峰丸が聞いた。

「太郎坊殿はのう、このお山の神様のようなお人じゃ。いや、このお山だけじゃない。甲賀や伊賀の忍びの者たちにとって太郎坊殿は神様といえるお人なんじゃ。今から二十年程前、将軍様が六角氏を退治すると称して、鉤(まがり)の里に陣を敷かれた。その時、六角方に参戦した太郎坊殿の弟子たちが志能便(しのび)の術を使って将軍様の兵を悩ませたんじゃ。神出鬼没な奇襲をやってのう。将軍様の軍には全国各地からやって来た武将たちが参加していた。志能便の術の噂はあっと言う間に全国に広まって、武将たちは志能便の術を使う者を雇いたがり、甲賀や伊賀に使いの者を送って来たんじゃ。太郎坊殿の弟子たちは高い銭で雇われて全国に散らばって行った。甲賀も伊賀もほとんどが山じゃ。米もろくに取れず、貧しい生活をしていた郷士たちは志能便の術を身に付ければ、その技が売れると競って修行し始めた。今は飯道山だけでなく、あちこちに志能便の術の道場ができて、若い者たち全員といっていい程、修行に励んでいる。その志能便の術を考え出し、このお山で教え始めたのが太郎坊殿なんじゃよ。初めの頃は陰の術といっていたそうじゃが、仏教の道場でもあるお山で、陰の術というのは縁起が悪いといって、昔、聖徳太子が情報集めに使っていたという志能便の名を取って志能便の術としたそうじゃ。太郎坊殿は八年間、ここで志能便の術を教え、太郎坊殿より直々に志能便の術を習った者は六百人余りもいるとの事じゃ。太郎坊殿が去った後も、太郎坊殿の弟子たちによって、このお山で志能便の術を教えている。今、あちこちに志能便の術の道場はあるが、何といっても、ここが本山じゃ。ここで修行を積んだ者はお山を下りても格が違うんじゃよ」

「凄い人なんですねえ」と言いながら寅峰丸は菊寿丸を見た。

 菊寿丸は大きくうなづいた。

「お前らは、その凄い人と一緒に旅をしてるんじゃ。太郎坊殿から、すべてを盗むつもりでいなければならんぞ」

「盗むんですか」

「そうじゃ。教えてもらうなどと甘ったるい事など言ってたら、今の世の中、生きてはいけん。人が自分より凄い物を持っていたら、それを盗んで自分の物にするんじゃ。まあ、物を盗めば盗っ人になるが、技を盗んでも盗っ人にはならんからの」

 菊寿丸と寅峰丸は顔を見合わせて、大きくうなづいた。

 飯道山には七日間、滞在した。小野屋が経営している伊勢屋という旅籠屋(はたごや)に泊まっていたが、毎日のように太郎左衛門を訪ねて客がやって来た。菊寿丸と寅峰丸は太郎左衛門に付き合わされて、毎晩のように酒を飲んでいた。寅峰丸は酒に慣れていないのか、すぐに真っ赤になって酔っ払ってしまった。菊寿丸は寅峰丸に勝ったといい気になっていたが、遊女屋に行くと立場が逆転した。菊寿丸よりも女に慣れているらしく、菊寿丸が好きになった娘を、菊寿丸がモジモジしている隙に取られてしまった。その晩、菊寿丸は好きでもない娘を抱かなければならなかった。

 連歌師宗長の方も太郎左衛門とは別な客が訪ねて来て、毎日、忙しそうに出掛けていた。

 伊勢屋に滞在中、小野屋の主人、百合がやって来た。なんと百合は尼僧姿だった。太郎左衛門に聞くと、百合は商人と尼僧の二つの顔を持っていて、ここでは花養院(かよういん)という寺の尼僧なのだという。夢恵尼(むけいに)という名の尼僧となった百合は、またまた豪華な御馳走で持て成してくれた。

 

 

 


 飯道山を後にした四人は京都に向かった。

 さすがに、京の都はきらびやかだった。菊寿丸も寅峰丸も人の多さに圧倒されていた。武士や町人の他に、公家や僧侶がやけに多い所だと思った。さらに、女たちの着ている着物があまりにも美しかった。

 一行は小野屋の経営する伊勢屋という旅籠屋に腰を落ち着けて都を見物して回った。ここでも宗長は引張り凧(だこ)だった。宗長が来ているという噂はすぐに広まり、大勢の人が伊勢屋に押しかけて来た。それらは皆、身分の高そうな武士や公家ばかりだった。

 菊寿丸と寅峰丸は宗長の供をして三条西実隆(さんじょうにしさねたか)と近衛尚通(このえひさみち)という偉そうな公家を訪ねたが、堅苦しくて退屈なだけだった。

 太郎左衛門は四条の河原に連れて行ってくれた。鴨川の河原には様々な芸人たちがいて、毎日来ても飽きない程、楽しかった。太郎左衛門は芸人たちにも知り合いがいて、不思議な人だと改めて感じた。太郎左衛門は都の裏側も見せてくれた。華やかな都の陰に、痩せ細った大勢の乞食たちが隠れて暮らしていたのは驚きだった。

「物事には必ず、表と裏がある。表だけを見て、物事を判断してはいかん。裏側もちゃんと見なければな」と太郎左衛門は言った。

「どんな物にも表と裏があるのですか」と寅峰丸は聞いた。

「どんな物でもじゃ」と太郎左衛門は答えた。

「人間にも?」

「ああ。人間にも表と裏はある。人間の表面だけを見ていては駄目じゃ。心の目を開いて、相手の心を読み取るようにならなければな」

「心を読むなんてできるのですか」と菊寿丸は不思議そうに聞いた。

「修行次第でできるようになる。そのうち、教えてやる」

 十日余り滞在した京都を後にして、一行は石清水(いわしみず)八幡宮の門前町として栄えている山崎に向かった。そこに、太郎左衛門の弟子でもあり、宗長の弟子でもある変わった男がいるという。

 山崎宗鑑(そうかん)と名乗る男は禅僧のようにも見え、武士のようにも見える正体のつかめない男だった。頭は丸めているが、しばらく剃っていないと見えて、いが栗のように伸びている。作務衣(さむえ)を着てはいても、腰に三尺余りもある太刀を差していた。

「お師匠、お久し振りで」と宗鑑は太郎左衛門と宗長の二人を迎え、菊寿丸と寅峰丸を珍しそうに眺めた。「お子様をお連れで?」

「わしらの子ではない。預かりものじゃ」

「さようで‥‥」

 宗鑑は町はずれの小さな庵に住んでいた。狭い庵の中は足の踏み場もない程に散らかっていた。

 宗鑑は片付けようとしたが途中でやめ、「ここにいてもしょうがないな。お茶もないし酒もない」と言うと一行を賑やかな門前町にあるお茶屋に連れて行った。

 菊寿丸と寅峰丸は団子を食べながら宗鑑の話を聞いていた。

「夢庵(むあん)殿なら、今、堺におるはずですよ」と宗鑑は言った。

「なに、堺にいるのか」と宗長は酒を飲みながら聞いた。

「ええ。うちの若い者が昨日、堺から戻って来たばかりですから、確かです」

「ほう。お前、弟子を持つ身になったのか」

「弟子という程の者じゃないですよ」

「裏で何かをやってるらしいな」と太郎左衛門はニヤニヤした。

「師匠にはかないませんな。大した事、やってませんよ」

 宗鑑も気楽に一緒に付いて来た。五人となった一行は夢庵に会うため堺へと向かった。

 堺に行く途中、石山本願寺(大阪市)の門前で風雷坊が待っていた。どうして、こんな所に風雷坊がいるのか不思議だったが、箱根の法妙坊一味を追って来たという。

 法妙坊は十数人の山伏を引き連れて、菊寿丸を殺そうと伊勢の安濃津(あのうつ、津市)で、菊寿丸の乗った船を待ち構えていた。ところが、その船に菊寿丸の姿はなく、ずっと捜し回っていた。そして今日、山伏の一人が堺に向かう菊寿丸の一行を見つけ、もうすぐ仲間を引き連れてやって来るに違いないとの事だった。

「とうとう来たか」と太郎左衛門はうなづいた。

「まだ、俺の命を狙っていたのですか」と菊寿丸は不安そうに聞いた。

「お前が箱根権現の別当になったら、奴らの居場所がなくなるからのう。どうしても消したいんじゃ」と風雷坊が厳しい顔をして言った。

「こんな所まで追いかけて来るとはしつこい奴らじゃ、のう」と宗長は菊寿丸を見た。

「何人、連れて来た」と太郎左衛門が風雷坊に聞いた。

「十二人です」

「うむ。頼むぞ」

「はい。陰ながらお守りしますが、充分にお気を付け下さい」

 そう言うと風雷坊はどこかに消えて行った。

 その日の晩は本願寺の寺内町(じないちょう)にある宗鑑の知り合いの商人の屋敷に泊めてもらった。敵が攻めて来るかと菊寿丸は興奮して眠れなかったが、敵はやって来なかった。

 夢庵(牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく))は堺にいた。天王寺屋という豪商の屋敷に滞在していた。宗長や宗鑑とは違って夢庵は坊主頭ではなかった。髪を長く伸ばし、派手な着物を来て、腰には刀の代わりに尺八(しゃくはち)を差していた。今まで見た事もない種類の人だと菊寿丸は夢庵をまじまじと見つめていた。

 夢庵は太郎左衛門の事を天狗太郎と呼んで、懐かしがっていた。

 天王寺屋の主人、津田宗柏(そうはく)は豪勢な座敷で、豪華な料理と目の覚めるような美女たちで一行を持て成してくれた。

 堺の町は菊寿丸と寅峰丸にとって毎日が驚きの連続だった。明(みん、中国)という遠い国からやって来た、顔付きも着物も言葉も違う人々が町を行き交い、見た事もない不思議な品々が市場には並んでいた。

 宗長と宗鑑の二人は夢庵と一緒に天王寺屋に滞在していたが、菊寿丸、寅峰丸、太郎左衛門の三人は若狭屋(わかさや)という商人の世話になっていた。

 若狭屋の主人、武野乗信(じょうしん)は太郎左衛門の幼なじみだという。乗信は革を扱っている商人だったが、本願寺の坊主でもあり、河原者たちの親方でもあった。彼が一声かければ摂津(せっつ)、河内(かわち)、和泉(いずみ)三国(共に大阪府)の河原者が一斉に集まると言われていた。

 菊寿丸はこの時、初めて、エタと呼ばれる河原者を知った。彼らは死んだ牛や馬を解体して革を作っていた。太郎左衛門はよく見ろと言ったが、物凄い臭(にお)いと臓腑(はらわた)の気持ち悪さで、菊寿丸には見ている事はできなかった。

 乗信には六歳になる男の子(後の紹鴎(じょうおう))がいて、目を細めて可愛がっていた。五十近くになって、ようやく生まれた跡継ぎが余程、嬉しいらしかった。子供と一緒にいる乗信からは、とても、河原者たちを仕切っている男には見えなかった。

 若狭屋に七日間、滞在して、様々な経験をした菊寿丸と寅峰丸は山伏の姿となり、太郎左衛門に連れられて大和(やまと)の国(奈良県)、吉野を目指した。大峯山(おおみねさん)という山を越えて熊野まで行くという。宗長と宗鑑の二人は付いて来なかった。

 菊寿丸が堺に滞在している最中にも風雷坊たちと法妙坊の一味は戦っていたが、菊寿丸はまったく気がつかなかった。

 

 

 


 堺から吉野に向かう途中、太郎左衛門は女旅芸人を助けた。二人連れで、一人の女が急に腹が痛くなったと言って道端にうづくまっていた。太郎左衛門は女の様子を見ながら、荷物の中からいくつかの薬を取り出し、それを手際よく調合して女に飲ませた。しばらくすると女は歩けるようになった。

 女の名はおせんと小鶴といい、二人とも二十歳前後だった。長い間、旅を続けているらしく粗末な着物を着ていたが、顔立ちは二人とも整っていた。野武士に襲われて、一座の仲間は皆、殺され、衣装や小道具も皆、盗まれてしまったという。一座にいた時は二人とも華麗な衣装を身につけて舞台の上で踊っていた。二人きりになってしまったので、交互に笛を吹いては踊り、物乞いをして旅を続けている。別に行く当てもないので吉野まで一緒に連れて行ってくれと言った。

 太郎左衛門は女が一緒なら何かと便利だろうと一緒に行く事を許した。菊寿丸と寅峰丸にしても、二人の姉さんと一緒に旅するのは何となく嬉しかった。

 一行はおせんと小鶴が歌う流行り歌を聞きながら楽しい旅を続けた。しかし、楽しい事ばかりではなかった。河内の国から紀伊の国(和歌山県)へと抜ける峠道に差しかかった時、突然、三人の山伏が山中から現れて一行の行く手をふさぎ、後ろにも三人の山伏が現れた。

「菊寿丸、やっと会えたのう」と中央の山伏が言った。「風摩の奴らに邪魔され、なかなか、会う事ができなかったが、ようやく会えた」

「菊寿丸殿を慕って出迎えに参ったか、御苦労じゃな」と太郎左衛門は陽気に言った。

「何じゃと、この老いぼれが」と左側の山伏がほざいて太刀を抜いた。

「まあ、待て」と中央の山伏が押え、「おぬしも風摩か」と太郎左衛門に聞いた。

「フウマ? 何じゃ、そりゃ」

「とぼけるな。仲間が助けに来てくれると思ってるなら無駄な事じゃ。わしらの罠(わな)にかかって今頃は全滅しているはずじゃ」

 敵の言葉に菊寿丸は驚いたが、太郎左衛門は平然としていて、「物騒な事じゃな」と落ち着いた声で言った。「おぬしら、菊寿丸殿の供に加えてやるから護衛しろ。法妙坊とやらにくっついていても、ろくな事はないぞ」

「法妙坊はわしの親父じゃ」

「ほう、伜殿か。つまらん親父を持ったもんじゃのう。もっとも、おぬしには親を選ぶ事はできんがの」

「何をゴチャゴチャ言ってやがる。皆殺しにしてやる」

 山伏たちは武器を構えて五人を囲んだ。

 菊寿丸と寅峰丸はそれぞれ、女たちを守るようにして腰の小太刀を抜いた。太郎左衛門は相変わらず杖を突いたままだった。

「菊に寅、その場を動いてはならんぞ」と太郎左衛門が言うのと同時に、敵は一斉に攻めて来た。

 目の前の敵二人は一瞬の内に太郎左衛門の杖に突かれて倒れた。二人とも喉から血を流していた。残る一人は呆然と立ち尽くしている。

 菊寿丸には太郎左衛門がどういう風に二人を倒したのか、まったく分からなかった。菊寿丸は後ろを振り返った。後ろにいた三人の山伏も倒されていた。驚いた事におせんと小鶴の二人が血の付いた短刀を構えていた。

「法妙坊の伜とやら、考えは変わったかな」と太郎左衛門は言った。

「覚えていろよ」と捨てせりふを吐くと山伏は山中へと逃げて行った。

「逃がしてもいいのですか」とおせんが聞いた。

「奴を殺しても仕方あるまい。法妙坊を倒さなくてはな。それよりも、奴は罠を仕掛けたとか言っておったが何の事か分かるか」

 おせんも小鶴も首を振った。

「風雷坊が簡単にやられる事はあるまい」

 五人の山伏の死体を山中に埋め、菩提(ぼだい)を弔(とむら)うと、一行は再び、吉野へと向かった。

 菊寿丸と寅峰丸は目の前で行なわれた決闘に衝撃を受けて黙り込んでいた。自分たちの無力さを思い知らされた事と、今まで優しい姉さんだと思っていた二人が武術の達人だった事は強い衝撃だった。

 おせんと小鶴の二人は何事もなかったかのように歌を歌っているのに、菊寿丸と寅峰丸は一緒に歌う事はできなかった。その後、山伏たちが出て来る事はなく、無事に吉野に到着した。

 吉野は大勢の山伏や参詣人で賑わっていた。丁度、観音の縁日で市が立っていた。菊寿丸と寅峰丸はおせんと小鶴と一緒に楽しそうに市を見て回った。菊寿丸も寅峰丸も決闘の事は忘れて、おせんと小鶴を姉のように慕っていた。しかし、吉野から大峯山に入る二人は姉さんたちと別れなければならなかった。

 修験道(しゅげんどう)の本場である大峯山は女人禁制(にょにんきんぜい)の山だった。二人の姉さんに見送られ、菊寿丸と寅峰丸はしょんぼりとしながら山道へと登って行った。

「もう、あの二人とは会えないのですか」と菊寿丸は太郎左衛門に聞いた。

「縁があれば、また会えるじゃろう」

「縁ですか‥‥」

「縁があれば、敵も現れるかもしれんぞ」

「敵が大峯山に現れると言うのですか」

「縁があればな」

 敵の法妙坊は山伏を引き連れて、大峯山中で待ち伏せをしていた。しかし、菊寿丸たちが来る前に風雷坊らによって倒され、法妙坊自身も傷付いて山を下りて行った。

 菊寿丸たちは弥山(みせん)の宿(しゅく)という行場(ぎょうば)で風雷坊と会った。

「無事じゃったか」と太郎左衛門が聞くと風雷坊は首を振った。

「何人がやられた」

「三人です。葛城(かつらぎ)山中にて二人、ここで一人です」

「そうか‥‥それで、敵は?」

「雑魚(ざこ)どもは皆、消えました。残るは親玉の法妙坊と伜の日乗坊(にちじょうぼう)の二人だけです」

「もう一人、伜がいなかったか」

「仙人になりました」

「そうか」

「仙人になったのですか」と寅峰丸が不思議そうに風雷坊に聞いた。

「このお山で仙人になるというのはのう、行方知れずになる事なんじゃよ。このお山は奥が深い。奥深く迷い込んでしまったら、二度と生きては戻れん。もっとも、奴は仏様になってから仙人になったがのう」

「敵は二人だけになったんじゃな」と太郎左衛門が確認した。

 風雷坊はうなづいた。「当分、襲っては来ないでしょう。兵の補充をすると思われます」

「箱根から呼ぶとなると半月はかかるな‥‥これからも敵の動きを探ってくれ」

 頭を下げると風雷坊は山中に消えた。

 大峯山を七日間かけて越えた菊寿丸と寅峰丸は熊野の本宮(ほんぐう)に着いた。今までののんびりした旅とは違って、山の中を走るような速さで歩き通した。菊寿丸も寅峰丸もお互いに負けるものかと歯を食いしばって太郎左衛門の後を追っていた。

 熊野の本宮から那智の滝、新宮へと行き、本宮に戻り、中返路(なかへじ)と呼ばれる熊野街道を通って田辺へ出た。

 田辺で、おせんと小鶴の二人と再会した。

「どうやら、縁があったようじゃな」と太郎左衛門はとぼけていたが、菊寿丸も寅峰丸も二人に会えて喜んだ。歌を歌いながらの楽しい旅がまた始まった。

 田辺から海岸沿いに北上して雑賀(さいか、和歌山市)という所で太郎左衛門の弟子と会った。

 次郎坊という、その弟子は鈴木新左衛門という海賊のもとに居候(いそうろう)して彼の家臣に武術を教えていた。

 菊寿丸たちが訪ねて行った時、次郎坊は一人、海辺の岩の上に座り込んで、じっと海を見つめていた。

 太郎左衛門が声を掛けると驚いたように振り返り、「師匠、大変な事になりました。右京大夫(うきょうだゆう)殿が殺されました」と言った。

「なに、細川右京大夫(政元)殿が殺されたのか」

 次郎坊は沈んだ面持ちでうなづいた。

「養子の六郎(澄之(すみゆき))殿に暗殺されたとの事です」

「細川家にも、とうとう家督争いが起こったか‥‥いつの事じゃ」

「先月の二十三日です。京の都もまた物騒になりますねえ」

「そうか、右京大夫殿がのう‥‥」

 菊寿丸と寅峰丸は黙って二人の話を聞いていた。誰が死んで、どうなったのか、全然、分からなかった。ただ、偉い人が殺されたんだろうという事は感じられた。

 雑賀から海賊の船に乗って堺に戻った。

 次郎坊が言うには、その船は荒波を越えて遠く明(みん)の国までも行った事があるという。次郎坊は菊寿丸と寅峰丸の知らない海の長旅の話をしてくれた。驚いた事に太郎左衛門も明の国に行った事があるらしかった。

 次郎坊は船を降りるとすぐ、飛ぶように京都へと向かった。

 天王寺屋に顔を出したが、夢庵、宗長、宗鑑の三人はいなかった。摂津池田(池田市)の夢庵の庵に帰ったという。

 菊寿丸たちも池田へと向かった。

 夢庵の住む庵は立派なものだった。風流な庭園の中に変わった形の屋敷が建っていた。

 夢庵には妻も子もあって共に暮らしていた。二十四歳になる娘は一度、嫁に行ったが、一年も経たないうちに夫が戦死してしまったため戻って来て、今では女茶の湯者として池田家の家中の者に指導しているという変わった女だった。

 夢庵の屋敷に宗長はいたが、宗鑑はいなかった。細川政元が殺されたとの知らせが届くと血相を変えて京都に向かったという。

「やはり、奴も右京大夫殿と関係があったらしいのう」と太郎左衛門は言った。

「安泰じゃった細川家もとうとう内訌(ないこう)が起きてしまった。この辺りも安全とは言えなくなったのう」と夢庵は笑った。

 予定では西に向かうはずだったのに、なぜか急に飯道山に戻る事となった。

「夢庵殿に言われてのう。お前たちに楽しい経験をさせる事となった。いい旅の思い出になろう」と太郎左衛門は二人に言った。

 菊寿丸と寅峰丸は夢庵手作りの尺八を土産に貰って飯道山に向かった。宗長はもうしばらく、ここでのんびりすると言って残った。おせんと小鶴は菊寿丸を守るために、当然、ついて来た。

 京の都には武装した兵が大勢いた。噂によると、一月程前、細川政元を殺して政権を奪った細川澄之が、同じく政元の養子となっていた高国に殺されたとの事だった。

 太郎左衛門は無理に京都へは入らず、山中を越えて飯道山に向かった。

 菊寿丸と寅峰丸は思い出に残る事って何だろうと話しながら旅を続け、飯道山に着くのを楽しみにしていた。

 飯道山に着いた一向は伊勢屋に落ち着き、その晩はうまい物を食べて、遊女屋に繰り出し、酒を飲んで女を抱いた。

 次の日、朝早く、たたき起こされた菊寿丸と寅峰丸は飯道山に登った。飯道山も女人禁制の山だった。山への入り口で、おせんと小鶴と別れた。

「二人とも頑張ってね」と姉さん二人は手を振った。

 菊寿丸と寅峰丸はうなづいたが、何を頑張るのか見当もつかなかった。

 武術道場のある飯道寺の境内よりさらに登り、山頂に着くと太郎左衛門は遥か向こうの山を指さし、「あそこまで行く」と言った。

「あそこに何があるのです」と菊寿丸は聞いた。

「あそこには不動明王様がおられる」

「不動明王様ですか‥‥」

「今から百日行を始める」と太郎左衛門は気楽に言った。

「えっ、百日行」

「百日間、歩き通すのですか」

「そうじゃ。一日も休まずな。一日でも休んだら、また初めからやり直す。まず、初日の今日は、あそこまで行って向こうに泊まる。次の日、ここに戻って来る。三日目からは一日で往復する。それを百日間続ける」

「同じ所を百日、歩いたからってどうなるんです」と寅峰丸が不服そうに聞いた。

「どうにもならん。ただ、菊寿丸の親父も寅峰丸の親父も、ここで百日行をやってのけた。親父に負けたくなかったら、やり通す事じゃ」

「父上が百日行を?」寅峰丸は驚いた。

「わしの弟子になりたいと言ったんでな。まず、百日行をやらせた。百日行をやり遂げたら弟子にしてやると言ったんじゃ。お前の親父は立派にやり遂げたんじゃよ」

「俺の父上は?」と菊寿丸が聞いた。

「早雲殿が百日行をしたのは、わしがこのお山に来る前の事じゃ。早雲殿は風摩小太郎殿と一緒に、ここで修行していたんじゃ」

「俺はやる」と菊寿丸が言うと、寅峰丸も負けずに、「俺もやる」と力強く言った。

 二人の百日行は始まった。

 

 

 


 山々を鮮やかに染めていた紅葉も枯れ落ち、二人の回りを飛び回っていた赤トンボもいつしか消えた。

 裸になった樹木は寒そうに枝を伸ばし、冷たい木枯らしに揺れている。時折、雪が散らつく程の寒さとなっていた。

 菊寿丸と寅峰丸は何度もくじけそうになったが、負けん気の強い二人は喧嘩をしたり、励ましあったりして百日間を歩き通した。

 苦しい修行を終えた二人は晴れ晴れとした顔で喜びあった。二人とも目が輝き、自信に溢れていた。

 二人が百日行を続けている最中、法妙坊は五十人余りもの山伏を引き連れて、菊寿丸を殺そうと舞い戻って来た。しかし、場所が悪かった。風雷坊の配下はおせんと小鶴を入れても九人だけだったが、飯道山及び甲賀では、すべての者が太郎左衛門の味方といえた。網の中の魚のように、法妙坊らの動きは、すべて太郎左衛門に伝わった。太郎左衛門が一言『消せ』と言っただけで、五十人余りもの山伏たちは菊寿丸の姿を見る事もなく、様々な所で様々な死に方をして消えて行った。

 殺された山伏の中に法妙坊の伜、日乗坊と海実僧正の甥である智行院海順もいた。

 海順は箱根に帰って来た日乗坊から、菊寿丸を殺す事に手間取っている事を聞くと腹を立て、自ら山伏たちを率いてやって来た。海順は早雲、新九郎、新六郎の命を狙うため、それぞれの城下に潜入していた山伏、すべてをかき集めて、全員を連れて来た。菊寿丸を殺し、太郎左衛門も殺し、風摩の奴らも殺し、箱根の別当になる事を夢見てやって来た海順は、飯道山の偵察と称して門前町の遊女屋で遊び、ほろ酔い気分で隠れ家に帰る途中、何者かに襲われ、名もない山伏の一人として甲賀の山中に葬られた。

 残ったのは法妙坊、たった一人だった。さすがに法妙坊は手ごわかった。法妙坊のために風雷坊の配下が一人と甲賀者が一人殺され、法妙坊は姿を消した。その後、法妙坊の行方は分からなかった。箱根に帰ったに違いないとおせんと小鶴の二人は一足先に箱根に戻って行った。

 百日行を終えた菊寿丸と寅峰丸は険しい山の中にある岩屋に連れて行かれた。

「ここはのう、わしの師匠じゃった智羅天(ちらてん)殿が暮らしていた岩屋じゃ。春になるまで、ここでお前らに武術を教えてやる」

 太郎左衛門はそう言ったが、なかなか二人に武術を教えてくれなかった。暗闇でも目が見えるようになれと、真っ暗な岩屋の中に何日も閉じ込められたり、切り立った岩を登らされたりした。その後、ようやく武術の稽古が始まった。

 菊寿丸は棒術を習い、寅峰丸は槍術(そうじゅつ)を習った。武術の稽古と共に仏像作りも始まった。菊寿丸は木を彫る事に熱中したが、寅峰丸の方は苦手のようだった。太郎左衛門も寅峰丸には向いてないと思ったのか、寅峰丸には夢庵から貰った尺八の吹き方を教えた。寅峰丸は覚えが早かった。菊寿丸も負けるものかと尺八の稽古に取り組んだが、寅峰丸にはかなわなかった。

 菊寿丸は彫り物に熱中し、寅峰丸は尺八に熱中し、武術の稽古に励みながら雪に埋もれた山中の岩屋の中で一冬を過ごした。

 一冬の間、この岩屋には誰もやって来なかった。二人は熊にでもなったかのように、ただ、春が来るのを待ちながら厳しい修行に耐えていた。

 春の訪れと共に珍客がやって来た。性懲りもなく、法妙坊がやって来たのだった。法妙坊が箱根に帰らなかった事は風雷坊から聞いて知っていた。あれから半年近く、行方はまったく分からなかった。

 法妙坊は二十人の僧兵を引き連れて智羅天の岩屋に突然、現れた。法妙坊自身も僧兵の格好をして袈裟頭巾(けさずきん)をかぶっていた。

 智羅天の岩屋は二十人の僧兵に囲まれた。太郎左衛門は少しも慌てる事なく、いつものように杖を突いて敵を見渡していた。

 菊寿丸と寅峰丸もそれぞれ、棒と槍を構えて戦おうとしたが、太郎左衛門は、「岩の上に行け」と命じた。

「しかし‥‥」

 菊寿丸も寅峰丸も今までの修行の成果を試したくてうずうずしていた。

「わしがお前らに教えた武術はこんなクズどもと戦うためのものじゃない。世の中のために使う武術じゃ。よい世の中を作るために、思う存分、使うがいい。岩の上に行って眺めていろ」

 菊寿丸と寅峰丸はしぶしぶと岩の上に上るための綱が下がっている所まで行った。

 すでに戦いが始まっていた。いつの間にか風雷坊ら風摩党の者たちが現れ、僧兵たちを次々に倒して行った。菊寿丸と寅峰丸は早く、上から戦い振りを見ようと岩をよじ登った。切り立った岩の頂上にたどり着いた頃には僧兵の数は半分に減っていた。

 風摩党の者たちの働きは物凄かった。動きが素早く、あっと言う間に敵は次々に倒されて行った。太郎左衛門は親玉である法妙坊と戦っていた。所詮、太郎左衛門の敵ではなく、簡単に倒され、袈裟頭巾が剥がされた。岩の上から見ていた菊寿丸には分からなかったが、その男は法妙坊ではなかった。

「気を付けろ!」と太郎左衛門は岩の上の菊寿丸に向かって叫んだ。

 菊寿丸と寅峰丸は慌てて後ろを振り返ったが、遅かった。山伏姿の法妙坊が太刀を抜いて二人の後ろに立っていた。

「馬鹿者め、菊寿丸の命は貰ったぞ」法妙坊は下から見上げている太郎左衛門らに叫んだ。

 菊寿丸と寅峰丸は小太刀を抜いて構えたが、岩の上は狭かった。後ろは絶壁で、高さは二十丈(じょう)(約六十メートル)もある。落ちたら生きてはいられない。法妙坊の後ろも絶壁で、法妙坊との距離は二間(けん)(四メートル弱)あるかないかだった。法妙坊の構える太刀の切っ先がすぐ目の前にあった。

 前後は狭かったが左右は広い。菊寿丸と寅峰丸はお互いに目を交わすと同時に左右に移動した。

 法妙坊はニヤニヤしながら寅峰丸の首を狙って太刀を右に払った。

 寅峰丸は後ろに跳びはねて太刀を避けた。

 法妙坊は右に払った太刀を頭上に構えると菊寿丸めがけて斬り下ろした。

 菊寿丸も後ろに下がって太刀をかわした。

 寅峰丸は法妙坊の背中めがけて斬りかかった。法妙坊の素早い太刀にかわされ弾き飛ばされ、危うく崖から落ちそうになった。何とか踏みとどまったが、手にしていた小太刀を下に落としてしまった。

 法妙坊はじりじりと菊寿丸を追い詰めて行った。菊寿丸の後ろにはもう足場がなかった。

 菊寿丸は小太刀を中段に構え、太刀を上段に振りかぶった法妙坊と対峙した。勝てる自信はまったくなかった。

 俺もこれで終わりか、と覚悟を決めて、法妙坊に斬りかかろうとした時、奇跡が起こった。突然、法妙坊が悲鳴を上げたかと思うと、首を押えた。その一瞬の隙を狙って、菊寿丸は法妙坊の腹を思い切り突き刺した。

 法妙坊は菊寿丸の小太刀を腹に突き刺したまま、崖下に落ちて行った。

 裏側の崖から小鶴が顔を出して笑っていた。手には横笛が握られていた。小鶴は横笛を使って吹矢を飛ばしたのだった。

 小鶴は岩の上にはい上がると、「間に合ってよかった」と言って溜息をついた。

 菊寿丸も寅峰丸も小鶴の側に腰を下ろして、胸を撫で下ろした。やがて、太郎左衛門が岩の上にやって来た。

「よく、やった」と太郎左衛門は嬉しそうにうなづいた。「小鶴が助けたのか」

「危ないところでした」

「早雲殿に代わって礼を言う。ありがとう」

「いえ。わたしは命じられた事をやったまでの事です」

「いくら、命じられたとは言え、こんな所はよじ登れまい」

 太郎左衛門は小鶴が登って来た岩壁を見下ろした。

 菊寿丸も小鶴が顔を出した所を見下ろしてみた。目が眩むような絶壁だった。

「菊寿丸、命の恩人じゃ。決して忘れるでないぞ」

 菊寿丸は大きくうなづいて、小鶴の顔をまじまじと見つめた。とても、人間技とは思えない事をした小鶴という女を改めて、凄い人だと菊寿丸は尊敬していた。

「これで、ようやく、大森氏の残党は全滅したのう」と言うと太郎左衛門は岩の上から下りて行った。

「さあ、あたしたちも下りましょ」と小鶴は笑った。

 法妙坊を倒した後、菊寿丸と寅峰丸は今まで以上に真剣になって武術の修行に励んだ。あの事件の後、二人は変わった。以前は太郎左衛門に命じられるままに修行していたが、あの事件後は、自ら進んで工夫しながら武術の稽古をしていた。本人たちは気づいていないが、二人の腕はみるみる上達して行った。

 三ケ月余りの間、太郎左衛門にしごかれた二人は三月の初め、山を下りた。

 門前町は桜の花が満開だった。

 半年以上も山に籠もっていた菊寿丸と寅峰丸には、すべてが新鮮に見えた。伊勢屋に行き、久し振りに人間らしい物を食べ、うまい酒を飲み、女も抱いた。

 再び、旅が始まった。

 飯道山に所属する金勝座(こんぜざ)という旅芸人の一座と一緒に播磨(はりま)の国(兵庫県)へと向かった。助六(すけろく)、太一、藤若という三人の踊り子を中心にした一座は十五人の一行だった。

 寅峰丸はかなり上達した尺八のお陰で、すぐに一座の人気者となった。菊寿丸には面白くなかったが、どうしても寅峰丸には勝てなかった。

 一座は村々で舞台を演じては旅をして回った。寅峰丸は尺八の演奏で舞台に登場したのに、菊寿丸はいつも雑用をやらされていた。菊寿丸は不満でふて腐れていたが、舞台を作ったり小道具を作ったりしている老人から、「舞台を成功させるには裏方がしっかりしていなければならんのじゃ。世の中の事も一緒じゃ。たとえば、ある男が大活躍したとする。誰もが、その男が偉いと思う。確かに、その男は偉いかもしれんが、その男を表に出すために裏で活躍した者がいるという事に気づかなければならんぞ」と言われ、改めて、老人のする事を見守った。

 老人は毎日、その日の舞台で必要な物、すべてをちゃんと用意していた。当然の事かもしれないが大変な仕事だった。菊寿丸は老人を手伝いながら旅を続けた。

 播磨の国で金勝座と別れた菊寿丸、寅峰丸、太郎左衛門の三人はさらに西へと向かい、安芸(あき)の国(広島県)に行った。安芸の国、郡山(こおりやま)には太郎左衛門の弟子、探真坊(たんしんぼう)がいた。探真坊は毛利家のために働いていた。

 探真坊と別れて周防(すおう)の国(山口県南東部)、山口に雪舟(せっしゅう)という画僧を訪ねたが、雪舟は二年近く前に亡くなってしまい、会う事はできなかった。

 周防から長門(ながと)(山口県北西部)、石見(いわみ)(島根県西部)を抜けて出雲(いずも)の国(島根県東部)に入った。出雲の国にも太郎左衛門の弟子はいた。風光坊(ふうこうぼう)という、その弟子は風間近江守(おうみのかみ)と名乗り、月山富田(がっさんとだ)城主、尼子民部少輔(あまごみんぶしょうゆう)経久の家臣となっていた。風光坊は初代風摩小太郎の長男だった。二代目小太郎の母親違いの兄で、父親の小太郎が早雲に自分のすべてを賭けたように尼子民部少輔に賭けていた。

 出雲からは海岸沿いに東へと向かい、若狭(わかさ)の国(福井県西部)敦賀(つるが)から南下し美濃へと向かった。

 寅峰丸の故郷が近づくにつれて、菊寿丸と寅峰丸はお互いに黙り込んでしまった。一年半近く、共に旅した二人の脳裏に様々な事が思い出された。

 竹ケ鼻城の城下に入ると寅峰丸は急に走り出した。寅峰丸がいなくなると代わりに西村勘九郎が走って来た。

「師匠、お帰りなさいませ。長い間、伜の奴を‥‥しばらく見ないうちに立派になりまして‥‥本当にどうも」

 勘九郎はやたらと太郎左衛門に頭を下げていた。その晩、菊寿丸は寅峰丸と別れを惜しんで酒を飲み交わした。

「また、いつか会おうぜ」と寅峰丸は言った。

「ああ、いつかな。今度、会う時は尺八も負けんぞ」と菊寿丸は言った。

「いいだろう。俺も彫り物の腕を上げるよ」

「面白かったなあ」としみじみと菊寿丸が言うと、「面白かった」と寅峰丸もしみじみと言った。

 二人は再会の約束をした。しかし、その後、会う事はなかった。会う事はなかったが、お互いに相手の噂を耳にする度に、楽しかった旅を思い出していた。寅峰丸は四十年後、夢をかなえて美濃の国の主となり、蝮(まむし)の道三と恐れられる存在となった。

 寅峰丸と別れた菊寿丸と太郎左衛門は越前(えちぜん、福井県中北部)、加賀(かが、石川県)、越中(富山県)、信濃(長野県)、上野(こうづけ、群馬県)、武蔵(東京都と埼玉県)と通って、相模の国から伊豆の韮山城下に帰って来た。

 永正五年(一五〇八年)の暮れも近い頃だった。二年近くにも及ぶ長旅で、菊寿丸は自分でも変わったと感じていた。様々な人と出会って、様々な経験をした。旅に出る前の自分がやけに子供っぽく感じられる程、一回りも二回りも成長していた。

 父親の早雲は相変わらず、お屋形の隅にある離れで菊寿丸の帰りを待っていた。

「よお」と父親はひとこと言っただけだったが、菊寿丸には父親の気持ちがよく分かるような気がした。

「年末年始はのんびり暮らせ。年が明けたら、迎えに来る」

 そう言うと太郎左衛門はどこかに消えて行った。

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