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摩利支天の風~若き日の北条幻庵

小田原北条家の長老と呼ばれた北条幻庵の若き日の物語です。

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13.小机城

13.小机城

 

 

 永正十四年(一五一七年)の正月、菊寿丸は伊勢三郎長綱と名乗り、妻の桔梗と一緒に、伊勢家の家臣たちに披露された。そして、次の日、新しい家臣を引き連れて、小机城(横浜市港北区)を攻め取るために出陣した。

 すでに、風摩党の一番、二番、四番組の者たちが野武士集団となって、去年の暮れから一日も休まず、夜襲を繰り返して、小机城を守る敵兵を悩ませていた。野武士集団は夜になると、どこからともなく現れ、城内に潜入しては荒らし回り、夜が明けると消えてしまう。正月を祝う事もできず、城兵たちは寝不足が続き、イラついていた。かといって、江戸から援軍を頼む程でもなかった。五十人程度の野武士に悩まされているからといって援軍を頼む事はできなかった。

 韮山城下を出てから三日め、三郎は兵を率いて、多米三郎左衛門が守る権現山城(横浜市神奈川区)に入った。そして、その夜、小机城に夜襲を仕掛けた。三郎が率いて来た兵は三百、三郎左衛門の兵は五百、それに風摩小太郎が二百人を率いて加わり、さらに近在の農民たちも一千人程加わり、合わせて二千人が松明(たいまつ)を持って小机城を囲んだ。

 城内では、今晩もまた、野武士たちがやって来るだろうと、あちこちに罠(わな)を仕掛けて待ち構えていた。しかし、今晩やって来たのは野武士ではなく、松明を持った大軍だった。長い列を作って権現山城から近づいて来る大軍を見ながら、城兵たちの恐れは極限に達した。大軍に囲まれ、あの野武士たちに城内に潜入されたら城は簡単に落ちてしまう。城兵たちは三郎たちに囲まれる以前に全員が逃げ出して行った。野武士たちがいつものように城内に潜入した時には、誰一人としていなかった。

 三郎は敵兵を殺す事なく、城を焼く事もなく小机城を手に入れた。

 翌朝、三郎は城内を見て回り、この城が南の敵に対するよりも北の敵に対する方が適している事を確認した。三郎は普請奉行に任じた遠山五郎に北側の防御を強化するように命じた。

 城下作りも始まった。小野屋の夢恵尼によって多くの職人や人足たちが集められ、朝から晩まで活気に満ちていた。

 三郎の屋敷は西の曲輪(くるわ)に建てる事に決まった。

 小机城には東の曲輪と西の曲輪があり、東の曲輪の方が大きかった。以前、西の曲輪には物見櫓(やぐら)が立ち、権現山城の方を睨んでいたが、その櫓は不要となり、東の曲輪の方に移され、新しく三郎の屋敷が建てられた。東の曲輪には奉行所を置いて、兵たちの駐屯地とした。西の曲輪と東の曲輪との間に細長い曲輪があり、そこには三郎の直属の兵として小山助左衛門率いる騎馬隊をいつでも出撃できるように待機させた。

 三月になり、城下もほぼ落ち着いた頃、桔梗が子供を連れ、小鶴たちに守られてやって来た。できたばかりの城下から城を見上げて、桔梗は喜ぶと同時に、この城の奥方としてやって行けるかどうか、不安に襲われた。重い足取りで城に登り、東曲輪で訓練している大勢の兵たちを見て、不安はさらに増した。それでも、西曲輪の屋敷に案内され、そこで待っていた女たちの顔を見ると、不安はすっかり取り払われた。

 侍女のいずみ、おそめ、おきみ、おふで、そして、尼僧になったおふじ、皆、共に修行をした仲間だった。いずみ以外は皆、風摩党で、おきみとおふでは四番組のくノ一だった。桔梗を守るために小鶴より送られて来たのだった。尼僧のおふじは城下の尼寺に住む事になっているという。桔梗は久し振りに会う五人と話が弾み、時の経つのも忘れた。

 頭を丸めた愛洲移香斎は桔梗母子を小机に送ると、万太郎を小太郎に預けて、当てのない旅に出てしまったという。三郎は移香斎も共にここに呼び、もっと色々な事を学びたかった。しかし、移香斎の妻が急に亡くなってしまい、その事を言い出す事ができなかった。三郎はまた、いつの日か、移香斎が戻って来てくれる事を祈った。

 城主となり、三郎は何かと忙しかった。こちらに来てから、新たに二百人程の家臣も抱えた。その中には、以前、敵として、ここを守っていた者もいた。彼らはこの辺りの郷士たちで、自分の領地を守るために扇谷上杉氏の家臣となっていたが、扇谷上杉氏に見切りをつけ三郎の家臣となった。


 ある日、三郎の書院に珍しく風雷坊がやって来た。小机城には仕掛けあって、三郎の屋敷のある西の曲輪とその下にある不動寺は抜け穴でつながっていた。不動寺には住職を初めとして修行僧や山伏がいた。皆、風摩党の者たちだった。

「霊仙坊の一味が現れた」と風雷坊は低い声で言った。

「霊仙坊‥‥すっかり、忘れていました。三浦の仇討ちをしようとしてるのですか」

「いや。三浦の仇討ちじゃあるまい。わしら、風摩党を倒すつもりらしい」

「風摩党を?」

 風雷坊は厳しい顔でうなづいた。「奴の配下が風摩党によって、随分と殺されたからのう。その仕返しかもしれん」

「誰か、やられたのですか」

「ああ。わしの配下が、今年になってから九人もやられた」

「九人も‥‥」

「その中の三人が、ホノカと名乗る女にやられている」

「ホノカ?」

「どうやら、敵は若様の命も狙っているようなんじゃ」

「ツグミが消えたのに、まだ、俺を狙ってるのですか」

 風雷坊は庭の方を眺めながら、「霊仙坊の一味は新井城が落城した時、城内にいたらしいんじゃよ」と言った。

「えっ、まさか‥‥」三郎は驚いて、風雷坊を見つめた。

 風雷坊は三郎を見るとうなづいた。「奴らは城内で、わしらとは戦わなかった。わしらも、あの中にはいなかったと思っていた。しかし、落城の後、新井城にあるはずの物がなくなっていたんじゃ」

 三郎は黙ったまま、風雷坊を見つめていた。

「三浦の財宝じゃ」と風雷坊は言った。「米は食ってしまったからなくなったのは分かる。しかし、財宝を食うわけにはいかんし、あの城から外に持ち出す事など不可能じゃ。三浦氏は古くから水軍を使って上方と取り引きをしていた。道寸はなかなか教養もあり、唐物(からもの)にも詳しい。城内にいた善海殿や宗誉殿の話によると、蔵の中には数多くの財宝があったという。ところが、落城後、その蔵の中は何者かに荒らされ、貴重な物ばかりが盗まれていた。その後、すぐに捜せば見つけ出す事ができたかもしれんが、その事がわしらのもとに伝わったのは、正月になってからじゃった」

「どうして、そんなにも遅れたのですか」

「荒らされてはいたが、すべてがなくなっていたわけではない。何がなくなっているのか分からなかったんじゃ。戦の後、ああいう事はよくある。負け戦になると財宝を盗み出して逃げ出すんじゃ。しかし、あの城から逃げ出す事はできん。斬られた者や降伏した者の中に、財宝を盗んでいた者が何人かいたそうじゃ。岡崎城にも大した財宝がなかったから、新井城もそんなもんだと思ったんじゃろう。正月にお屋形様(早雲)が韮山でお茶会を催した。その席に善海殿も招待された。善海殿は三浦道寸の持っていたお茶道具はすべて、お屋形様の物となっただろうと、道寸が秘蔵していた『幻の茄子(なすび)』と名づけられたお茶入れを拝見したいと所望(しょもう)した。ところが、お屋形様はそんな物は知らなかったんじゃ。そこで、お屋形様は道寸の所持していたお茶道具の事を善海殿より聞いて驚き、初めて、値打ち物の財宝がすべて盗まれていた事に気づいたんじゃよ」

「霊仙坊の一味が盗んだのですか」

「そうじゃ。もっと相手の立場になってみれば分かる事じゃった。失敗じゃったわ。霊仙坊は大山から破門され、後ろ盾を失ったんじゃ。配下の者たちにも見捨てられたに違いない。霊仙坊は道寸を助ける以前に配下を集める事にも苦心し、三浦の財宝を盗み出す計画を立てたんじゃろう。銭があれば、いくらでも配下の者は集まるからのう」

「でも、どうやって、あそこから盗み出したのです」

「わしらにも分からなかった。伊勢家の大軍に囲まれた、あの状況で財宝を持ち出す事はどう考えても不可能じゃ。わしらはとくかく、新井城に行ってみた。新井城は廃城となって、入り口の跳ね橋も主な建物も皆、壊され、荒れ果てていた。何も分かるまいと思ったが、わしらは手掛かりを求めて捜し回った。そして、ついに見つけたんじゃ。新井城には多くの町人たちが逃げ込んで、小屋を建てて生活していた。それらの小屋は戦の時、焼けたもの以外はほとんどが、その時のまま残っていた。その中に大きな穴が空いている小屋があったんじゃ」

「その穴に財宝を隠したのですか」

「多分な」

「隠したとしても持ち出す事はできないのでしょう」

「奴らは廃城になってから持ち出したんじゃよ」

「成程‥‥しかし、隠した者たちはどうやって城から逃げたのです」

「奴らは町人になりすまして城外に出て、廃城になって守備兵がいなくなるのを待ってから堂々と持ち出したんじゃ」

「完全に町人に成りすましていたのですね」

「そうじゃ。戦の後、町人たちは何も持つ事は許されなかったが、城の外に出され、粥(かゆ)が振る舞われた。その中に、多分、霊仙坊本人もいたはずじゃ」

「しかし、霊仙坊はどうやって新井城に入ったのです」

「出る事は難しいが入るのはそれ程、難しくはないんじゃ。食う物がなくなって来ると、多くの町人たちが逃げ出そうとした。しかし、武士が町人に化けている恐れもあり、誰も外には出さなかった。出ようとした者は皆、中に追いやられたんじゃ。守備兵たちも城の方ばかり見ているから、その隙に、境界線を越えれば、後は自然と城内に追いやられる事になる」

「成程‥‥」

「霊仙坊は新井城に潜入して、風摩党がいる事に気づいたんじゃろう。だが、財宝を手に入れるため、一切、手出しはしなかった。それでも、後で仕返しをするために顔は覚えていたはずじゃ。若様も多分、見られたに違いない。気を付けた方がいい」

 三郎はうなづいてから、「誰がやられたのです」と聞いた。知っている者がいない事を願った。

「鍛治師の宗次郎とくノ一のおすずが大庭城下でやられ、宗誉殿の弟子だった者が二人、この城下で殺された。宗誉殿は岡崎城内から無事に逃げ出して新井城まで行ったため怪しまれたらしい。宗誉殿ともう一人の弟子は四番組の者が守っている。他に蒔絵師(まきえし)が一人と遊女が一人、玉縄城下で殺された。この二人は風摩党じゃない。多分、若様と小鶴に間違えられたんじゃろう」

「俺の身代わりとして殺されたのですか」

「多分のう。年格好が若様に似ていた」

 宗次郎は三郎の同期だった。おすずは一年後輩だった。共に修行した者がまた二人亡くなった。

「善海殿の方は大丈夫だったのですか」

「大丈夫じゃ。怪しまれてはおらん」

「そうか、よかった」

 善海の弟子に同期の吉田長五郎がいた。長五郎が無事だったので安心したが、新井城落城の時、おさわの死体を抱いて泣いていた宗次郎とおすずが死んでしまったのは悲しい事だった。

「善海殿が言っていた『幻の茄子』じゃが」と風雷坊が言った。「お屋形様の茶の湯の師匠でもあり、善海殿の師匠でもある粟田口善法殿が名づけたという、いわれのあるお茶入れだそうじゃ。お屋形様は是非、そのお茶入れを取り戻してくれとお頭に頼んだんじゃ。そのお茶入れを取り戻すために、五人の者が殺されたんじゃよ」

「お茶入れのために五人も?」

「そうじゃ。わしらから見れば馬鹿らしい事じゃが、そのお茶入れは大層な値打ち物だという事じゃ」

 殺された五人の中に同期で、くノ一になったおくにと教え子の河井源太郎がいた。

 三郎は仲間を何人も殺す霊仙坊に腹を立てた。腹の底から怒りが湧いて来た。

「許せん」と三郎はつぶやいた。「霊仙坊はどこに隠れているのです」

「それがしょっちゅう移動しているんじゃよ。わしらが『幻の茄子』を追っている事を知っているんじゃ。『幻の茄子』を餌(えさ)にして、わしらを誘い、近づいて来た者を殺すと、また、別な場所に行くといった具合じゃ‥‥奴は以前、ツグミに頼まれて若様を追っていた。その頃の若様は常に裏に隠れていたので奴は若様の居場所を見つける事ができなかった。しかし、若様は小机城主として表に出て来た。霊仙坊は風摩党を引き連れて新井城にやって来た若様を見て、もしかしたら、若様の事を風摩党のお頭じゃと勘違いしているかもしれん。そうなると若様のお命が危ない。わしらで若様の身は絶対に守るが、若様もその事を心得ていてもらいたいんじゃ」

 風雷坊は抜け穴から帰って行った。

 

 

 


 霊仙坊一味はその後も風摩党の者たちを次々に殺して行った。風雷坊たちは霊仙坊を追っていたが、常に後手に回り、霊仙坊に振り回される結果となった。

 三郎も風雷坊と共に霊仙坊を追いたかった。小机城主という表の顔を持った今、そんな勝手な事はできなかった。風雷坊が早く霊仙坊を殺して、『幻の茄子』を奪い取ってくれるよう祈るしかなかった。

 その年の九月、侍女のおきみが、風雷坊が霊仙坊の隠れ家を突き止めたが、霊仙坊に逃げられてしまったと知らせてくれた。

 大山山中のどこかに隠れ家があるに違いないと思っていたら、なんと、霊仙坊の隠れ家は鎌倉にあった。鎌倉の鶴岡八幡宮の供僧(くそう)に義淵(ぎえん)という僧がいた。その僧は三浦道寸の子で唯一の生き残りだった。義淵は岡崎城が落城した後、鎌倉から姿を消して行方が分からなかった。ところが、いつの間にか、鎌倉に戻って来て禅智院の住職になっていた。義淵は伊勢家を倒すために霊仙坊と手を結んだという。

 八月に風雷坊は禅智院をつきとめ、霊仙坊が現れるのを待ち構えた。九月に霊仙坊は現れ、風雷坊らは禅智院を包囲して攻撃を仕掛けた。闇夜の中、死闘は行なわれ、禅智院義淵と霊仙坊の配下、真乗坊を倒す事はできたが、霊仙坊には逃げられてしまった。その死闘で風摩党の者が三人、霊仙坊に殺されたという。

「霊仙坊はどこに逃げたんだ」と三郎はおきみに聞いた。

「江戸の方に逃げて行ったようですが、城下には現れなかったそうです」

「別の隠れ家が江戸の近くにあるのか」

「かもしれません。でも、霊仙坊の仲間はかなり消えましたので、残っているのは妙行坊とホノカの二人だけです。ホノカの方はくノ一のお頭が自ら捜しています」

「小鶴殿が追っているのか」

「はい。おくにさんとおすずさんが殺されましたから。この二人はホノカに殺されたわけではありませんが、ホノカに殺された男の人は三人います。許せないと言って、自らくノ一を率いて捜し回っています」

「そうか‥‥残るは三人といえども、奴らは三浦家の財宝を持っているからな、銭でまた、仲間を集めるだろう」

「いいえ。財宝は禅智院に隠してありました。霊仙坊が持っているのは『幻の茄子』だけだろうと思います。『幻の茄子』を手放すとは思えません」

「財宝は奪い返したのか‥‥霊仙坊の奴もいよいよ、追い込まれたわけだな」

「はい。今年中には倒すとお頭も言っております」

 しかし、その後、霊仙坊の消息はまた途絶えてしまった。

 十一月の半ば、小机城下に侵入した忍びが二十人、城下に住む風摩党の者に殺された。霊仙坊の一味かと思われたが、河越城の扇谷(おおぎがやつ)上杉修理大夫配下の秩父の山伏だという。また、新たなる敵が現れた。いつまでも、三浦の残党である霊仙坊に振り回されてはいられなかった。

 小机城主となった一年目、三郎は江戸城に対して積極的な攻撃は仕掛けなかった。まず、地盤を固める事が先決だった。鶴見川以南を伊勢家の領地とするため、権現山城の多米三郎左衛門と協力して敵対する者たちを滅ぼしていった。三郎左衛門は権現山城の縄張りを改めて、青木城と改名した。

 年が明けて永正十五年となり、三郎は二十六歳になった。城主として初めて迎える正月は忙しかった。まず、父や兄のもとに新年の挨拶に出掛け、帰って来ると今度は、家臣たちの挨拶を受けなければならない。堅苦しい正装をして上段の間からしきたり通りの挨拶を受けるのは、はっきり言って苦痛だった。苦痛だったが、自分のために命懸けで働いてくれる者たちには心を込めて応対しなければならない。一通りの儀式が終わり、やっと解放されると三郎は楽な職人姿になり、桔梗を連れて抜け穴から脱出して城下にある小野屋に向かった。

 小野屋の主人になっているのは風摩小太郎だった。小太郎から、儀式が終わったら気晴らしに遊びに来いと言われていた。小野屋の広間に案内されると、風摩党の面々が三郎たちの来るのを待っていた。ここでも、三郎と桔梗は上座に座らせられたが、堅苦しさは感じられなかった。

 小太郎の挨拶の後、宴会が始まり、三郎夫婦のもとにみんなが交替して挨拶にやって来た。ここに集まっているのは、城下に住んでいる三番組の者がほとんどで四番組の者が数人加わっていた。一番組と二番組の者たちは遠くの地で新年を祝い、五番組の者たちは浦賀の砦で新年を祝っている。ただ、四番組の頭、風雷坊とくノ一の頭、小鶴が今も霊仙坊とホノカを追っているかと思うと胸が苦しかった。

 梅が咲き、桜が咲き、桜が散っても、風雷坊と小鶴が霊仙坊とホノカを倒したとの知らせは来なかった。ただ、江戸城の扇谷上杉建芳が病に倒れたとの知らせが届いた。

 建芳はそのまま回復する事なく四月の二十一日、四十九歳で息を引き取った。

 その三日前、桔梗は次女を産んでいた。長女が産まれた時は、祖父となった移香斎がニコニコしながら名づけたが、移香斎は旅に出たまま戻って来ない。三郎は桔梗と相談して、アヤメと名づけた。

 建芳が亡くなると河越城の修理大夫が伊勢氏を倒すために江戸城に移って来た。修理大夫と共に、側室のおうきとその侍女おはぎも江戸城に移り、江戸城内の情報は手に取るように分かるようになったが、河越城の方が手薄となった。三番組の頭、杉山半兵衛はさっそく、今年、風摩砦を出たばかりの娘を河越城代となっている曽我兵庫頭(ひょうごのかみ)の側室に入れるべき、行動を開始した。

 鶴見川以南を平定した三郎の次の目標は多摩川以南の平定だった。三郎は小机城の北方一里余りの地、茅ヶ崎村に出城を築いて敵の出方を見守った。

 修理大夫は誘いに乗って攻めて来た。しかし、それは三郎の予想をはるかに越えた兵力だった。茅ヶ崎の砦は簡単に攻め落とされ、敵の大軍は小机城を包囲した。三郎は風摩党の力を借りて敵を悩ませ続けたが敵は引き下がらなかった。一月余りの籠城戦の末、玉縄城から兄、新六郎の後詰(ごづめ)の兵が来て、ようやく、敵は江戸に引き上げて行った。

 戦死者の数は少なくて済んだが、城下はすべて焼け落ちてしまった。一年がかりで築いた城下が、たった一月で焼け跡と化してしまった。三郎は小太郎と相談して、城下の再建費はすべて、敵に持ってもらう事に決めた。さっそく、小机城救援のために来ていた一番組と二番組が資金調達のため江戸城へと向かった。

 今回の戦で三郎はこの城の不備を知り、もう一度、縄張りを検討した。この城は前線に位置するため、今度のような事は度々、起こるに違いない。敵の大軍に囲まれる事を前提としての縄張りを考えなければならなかった。まず、城内の曲輪をもう少し広げなければならない。城下の町人たちが城に逃げ込んで来た場合、今の曲輪では狭かった。東の曲輪は今以上、広げる事は難しいが、三郎の住む西の曲輪は今の倍以上の広さに広げられそうだった。さらに、その西にも曲輪を作る事が可能だった。それと、城下を守る事も考えなければならない。攻められる度に焼かれたのでは、城下の者たちも嫌になってしまう。三郎は城下全体を土塁で囲んでしまおうかとも思ったが、それでは手間がかかり過ぎた。それよりも、鶴見川の水が利用できないものかと考え、城下を囲むように沼を作ろうと考えた。沼を作るのも手間はかかるが、沼の水を農業用水として利用できるとすれば、農民たちも働いてくれるに違いなかった。神田次郎を沼奉行に命じて工事に着手させた。

 三郎が城下の再建のために働いていた頃、くノ一の頭、小鶴が殺されたとの情報が入った。三郎は耳を疑ったが、おきみは悲しそうな顔をしてうなづいた。

「どうして?」

「お頭は敵のくノ一、ホノカを追っていました。ホノカは江戸の城下で武士の妻になっていたそうです。おなかに子供もできて、すっかり、くノ一から足を洗っていたのです。ホノカは以前の事を悔い、お頭に何度も謝ったそうです。お頭にはホノカを殺す事はできませんでした。子供ができなかったお頭は、大きなおなかをして謝るホノカを殺す事ができなかったのです。お頭はホノカを殺す事を諦め、霊仙坊が必ず、現れるだろうとホノカを見張っていました。霊仙坊は現れなかったけど、ホノカを見張っていて、ホノカが言っている事が嘘でない事は分かったそうです。そんな時、ホノカはお頭に助けを求めて来ました。霊仙坊が現れて、仕事をしなければ正体を夫にばらすと脅されたらしいのです。お頭は罠かも知れないと思い、ホノカが指定して来た八幡神社にくノ一たちを先に行かせました。くノ一たちは境内を調べたけど、霊仙坊一味はいませんでした。ホノカ一人だけだったのです。お頭はくノ一たちを隠れさせ、一人でホノカと会いました。ホノカは泣きながら、お頭と話していたそうです。その後、騒ぎが起きたんです。突然、八幡神社に大勢の兵が攻め寄せて来たんです。くノ一たちが何事かと思っているうちに、お頭とホノカは兵に囲まれてしまいました。お頭とホノカは兵たちと戦いましたが、何しろ、兵の数が多すぎます。二人とも殺されて、江戸を荒らし回っていた盗賊の頭として、さらし首にされました」

「くノ一たちは、それをただ見ていただけなのか」と三郎はおきみを問い詰めた。

 おきみは涙を拭いてから答えた。「まさか、殺されるとは思わなかったそうです。その場で助けるより、捕まってから助けようとしたらしいのです。そしたら、問答無用に殺されてしまった‥‥どうする事もできなかったのです」

「霊仙坊の仕業なのか」

 おきみは首を振った。「霊仙坊は江戸にはいません。多分、霊仙坊と手を結んだ忍辱坊(にんにくぼう)の仕業だと思います」

「忍辱坊というのは扇谷上杉氏の忍びか」

「去年の末、このお城下に潜入して来て殺された者たちの頭です。忍辱坊が奉行所にお頭の事を知らせ、奉行所としても、江戸を荒らし回っている盗賊を捕まえたかったのでしょう」

「たとえ、嘘でも城下の者たちに示しがつくからな」

 おきみはうなづいた。

 江戸を荒らし回っていた盗賊は小机城下再建のための費用を調達していた一番組と二番組の者たちだった。その盗賊の頭として、小鶴が殺されてしまったなんて、三郎も責任を感じないわけにはいかなかった。

「桔梗には知らせたか」

 おきみは首を振った。「とても言えません」

「そうだな。桔梗は小鶴殿を尊敬していた。あいつの性格からして、小鶴殿が殺されたと聞けば、きっと仇(かたき)を討つと言い出すに違いない。しばらくは内緒にしておいてくれ」

「はい。しかし、隠し通せるかどうか‥‥」

「知っているのはお前だけなのか」

「いえ、おふでも知っております」

「そうか、二人だけの胸にしまっておいてくれ」

 おきみはうなづくと引き下がって行った。

 小鶴は三郎の命の恩人だった。桔梗ばかりではなく、三郎自身も仇を討ちたかった。

 

 

 


 小鶴の死は桔梗には内緒にしていたのに、娘の葉月によって知られてしまった。葉月は意味も分からず、「小鶴が死んじゃったの」と桔梗に言った。

 桔梗は葉月の言葉から、すべてを悟り、侍女たちに詰め寄って真相を聞いた。桔梗は泣きながら城から飛び出して行った。

 その事を三郎はおきみから聞いて、「おまえたちが話しているのを葉月に聞かれたんだな」と言ったが、おきみは首を振った。

「あたしたちは、お頭の事を名前で呼んだ事はありません」

「そうか、すると誰だ」

「台所の人たちではないかと‥‥」

「そうか、あそこには元くノ一だった者たちがいたな。葉月の前で話してしまったのか‥‥それで、桔梗はどこに行った」

「尼寺にあるお頭のお墓です」

「そうか‥‥桔梗を見守ってやってくれ」

 桔梗は尼僧のおしげに諭され、その日は帰って来た。小鶴の仇を討つと言ったが、小鶴の仇は夫の風輪坊に任せればいいと言われたようだった。風輪坊は小鶴の死を知ると忍辱坊を殺すべく江戸に飛んで行った。

 九月の半ば、小鶴の四十九日の法要が尼寺で行なわれ、三郎は桔梗と一緒に参加した。その晩、桔梗は三郎の部屋にやって来た。

「お話があります」と言った桔梗は、何か覚悟を決めた顔付きだった。

 三郎は桔梗を見つめながら、「砦に戻るのか」と聞いた。

 桔梗も三郎を見つめながら、うなづいた。

「お前がその事を言うのは分かっていた」と三郎は言った。「お前は移香斎殿の娘だからな」

「はい。風摩一族です。あたしは小鶴様の跡を継がなければなりません」

「くノ一は危険だ。できれば、お前をくノ一にはしたくはない。移香斎殿も反対するだろう。しかし、風摩党の事を考えれば、お前がくノ一のお頭になるのが最もいい事だ。小太郎殿も口には出さないが、そう願っているのは分かる。俺はやがて、出家して箱根権現に入らなくてはならない。お前とは別れたくはないが仕方あるまい」

 桔梗は三郎をじっと見つめて、「ありがとうございます」と頭を下げた。

「子供はどうする」と三郎は聞いた。

「姉上に預けようと思っています。二人とも女の子です。立派なくノ一に育てます」

 十月に桔梗の母、楓の三年忌の法要が不動寺で行なわれた。その時、霊仙坊一味が三郎の命を狙って現れた。風摩党の活躍で霊仙坊の配下、妙行坊を倒す事ができたが、四番組の者、五人が殺された。霊仙坊自身は姿を現さなかった。法要は無事に終わり、法要の後、桔梗は侍女のおきみとおふでを連れて小机城を去って行った。その法要には愛洲移香斎も帰って来た。移香斎は桔梗の気持ちを変えさせようとしたが無駄だった。

「すまんのう」と移香斎は三郎に謝った。「まったく、我がまますぎる。城の奥方が消えてしまうなんて家臣たちに示しがつかん。桔梗は突然、病死したという事にしてくれ」

「何もそんな事までしなくても」

「いや。その位の事はしなくてはならん。この城の事は敵に筒抜けじゃと思え。城の奥方が急にいなくなれば怪しまれる。くノ一は陰の存在じゃ。一旦、死んだ方がいいんじゃよ」

「桔梗の葬式をしろというのですか」

「そうじゃ‥‥いや、桔梗の代わりに新しい妻を迎えた方がいいな。おぬしにはまだ跡継ぎがおらん。箱根権現の別当になる前に跡継ぎを作っておいた方がいい。この城を継ぐべき跡継ぎをな」

「そんな‥‥新しい妻なんか迎えたら桔梗が怒りますよ」

「桔梗が好きで出て行ったんじゃ。その位の事は我慢すべきじゃ。その事はわしが桔梗に話して納得させる。すぐにでも桔梗の代わりを見つけた方がいい」

 移香斎はすぐに行動に移し、家老の笠原平左衛門の娘、小笹を小机に連れて来た。小笹は十六歳の時から小田原城の侍女として仕え、今は十九歳になっていた。十七歳の時、風摩砦に入らないかとの話もあったが、武芸には興味がないと言って断ったという。

 三郎は平左衛門の屋敷で小笹と会った。桔梗とは全然違う女だった。三郎が今まで会った娘たちとはまったく種類が違った。風摩党の娘たちは美人は多いが、皆、気の強い女ばかりだった。特に桔梗はそうだった。目の前にいる小笹は華奢(きゃしゃ)でか弱い娘に見えた。男として守ってやらなければならないと思わせる女らしさがあった。桔梗には悪いが、この娘なら妻に迎えてもいいと三郎は思った。

 小笹はただ俯いているばかりで何も言わなかった。しかし、平左衛門に筆と紙を所望すると、すらすらと和歌を書いて、三郎に渡した。そこには、『思ひつつぬればや人の見えつらん夢と知りせばさめざらましを』と流麗な字で書かれてあった。

 移香斎より『古今集(こきんしゅう)』を暗記させられた三郎には、それが小野小町(おののこまち)の歌だという事がすぐに分かった。

 三郎は小笹を見つめた。小笹は俯きながらも三郎を見守っていた。小笹が三郎を試している事が分かった。もし、三郎がこの歌を知らなければ、この縁談を断ろうと考えている事が察せられた。表面はか弱そうに見えるが、結構、気の強い娘かもしれない。この先、桔梗と張り合うには、その位、気が強くなくてはつとまらないだろう。

 三郎は筆を取ると、その歌の後ろに、『言(こと)にいでていはぬばかりぞみなせ川したにかよひて恋しきものを』と書いて渡した。

 小笹はそれを読むと、ニコっと笑って、「友則でございますね」と言った。

 その場で簡単な婚礼の式が行なわれ、小笹はすぐに城内に入って奥方となった。桔梗の代わりであるため、家臣たちへの披露式典もなかったが、父親の平左衛門は大喜びだった。

 小笹が城に入ると移香斎は桔梗を説得するため風ケ谷村に向かった。その後、移香斎は戻っては来なかった。今、住んでいるという上野の国(群馬県)の草津の湯にそのまま帰ったらしかった。

 移香斎は戻って来なかったが、桔梗は戻って来た。夜、こっそり忍び込んで来て三郎を驚かせた。三郎は書院で一人、父親から送られた『太平記』を読んでいた。

「よかった、一人で」と桔梗は言った。「あなたが新しい女と一緒だったら、その女を殺していたかもしれない」

「馬鹿な事言うな」と言いながらも、三郎は昨夜の今頃、小笹を抱いていた事を思い出して、桔梗の言葉を恐れた。

 桔梗の引き締まった弾力性のある体とは違い、小笹の体は透き通ったように白く、強く抱いたら壊れてしまうと思われる程、華奢で柔らかかった。小笹の体に女というものの不思議さを改めて感じて、三郎は愛欲の世界に溺れていた。

「本気よ」と桔梗は笑った。「くノ一になっても、あなたの妻はあたしなのよ」

「分かっている」と三郎はうなづいた。

「どう、新しい女は綺麗?」

「もう、見て来たんだろう」

「綺麗な人ね‥‥でも、変わってる。恋の歌を詠みながら、あなたを待ってるわ。一緒に寝るのね」

「夫婦だからな」

「くやしいわ」

「葉月とアヤメは元気か」と三郎は話題を変えた。

「元気よ。あなたに会いたがってるわ。たまには会いに行って」

「うむ」

「今晩、あたし、泊まって行ってもいいかしら」と桔梗は三郎の顔に頬を寄せた。

「ああ」と三郎は答えた。

 小笹も好きだが、桔梗も好きだった。父、早雲は側室を持たなかったし、兄の新九郎も側室を持っていない。自分だけが、父や兄よりも性欲が強いのかと、少し不安になったが、二人とも好きなのだから仕方がない。あと何年かしたら出家しなければならない身なので、今のうちに楽しんでおこうとも思った。

 三郎は桔梗を連れて書院の屋根裏にある隠し部屋に向かった。小笹に対する嫉妬からか、桔梗は激しく三郎を求め、夜が明けるまで三郎を眠らせなかった。

「あの女を抱く事を許すわ。でも、あたしの事を忘れたら許さないから」

 桔梗はそう言うと消えて行った。

 

 

 


 忍辱坊を追って行った風輪坊は江戸城下で忍辱坊を見つける事ができなかった。その腹いせとして、小鶴を殺した町奉行の武士たちを片っ端から殺して行った。その後、風輪坊は忍辱坊を追って行方不明になったという。

 一方、霊仙坊を追っている風雷坊は小田原城下にいた。配下をすべて殺された霊仙坊は独り、新九郎の命を狙っていた。霊仙坊が小田原にいる事は分かっているのに、何に化けてどこにいるのか分からなかった。風雷坊は新九郎の身辺の警固を強化して、霊仙坊が現れるのを待ち構えていた。

 新九郎は父、早雲から家督を譲られて伊勢家の当主となっていた。新九郎はお屋形様と呼ばれ、早雲は韮山の大殿様と呼ばれた。

 六月に小机を攻めた江戸城の扇谷上杉修理大夫はその後、攻めては来なかった。

 去年の十月、古河公方足利左兵衛佐の弟、右兵衛佐が上総の武田怒鑑(どかん)の支援のもと、原氏の小弓(おゆみ)城(千葉市)を奪い取って、小弓公方と称した。小弓公方は左兵衛佐に敵対している父、左馬頭の支持を受け、左馬頭方の武将たちが多く集まって、勢力は見る見る拡大して行った。修理大夫は小弓公方に近づき、古河公方の左兵衛佐と管領の山内上杉兵庫頭に対抗しようとしていた。伊勢氏が古河公方と結んでいるため、伊勢氏と対抗するためにも小弓公方と結ぶ必要があった。

 修理大夫の動きに対して、お屋形となった新九郎は管領上杉兵庫頭と手を結び、修理大夫と兵庫頭が争いを始めるように裏工作を進めていた。さらに、江戸城内にいる修理大夫とその重臣、太田源六郎との離間策も進められていた。

 源六郎は四月に建芳が亡くなり、これで晴れて江戸城の城主になれると喜んだ。ところが、すぐに修理大夫が移って来たため、その夢は崩れた。太田道灌の孫として、根城(ねじろ)にある祖父が築いた静勝軒(せいしょうけん)に住む事ができないのは口惜しかった。何とかして、修理大夫を河越に戻す手段はないかと日夜考えていた。伊勢氏を相手に戦っていたのでは、修理大夫はいつまでもここにいる。目先を鉢形の管領に向けなくてはならないと考えた源六郎は、修理大夫に山内上杉氏を倒して管領になるべきだと進めた。野心家の修理大夫はその話に乗って来た。修理大夫はまず、目障りな小机城を痛い目に会わせた後、小弓公方に近づき、管領を倒すべく動き始めていた。

 源六郎の側室にはコシオが入っていた。修理大夫の側室にはおうきが入っていた。コシオは源六郎に江戸城主になれと囁き、おうきは修理大夫に管領になれと囁いていた。

 修理大夫の目を鉢形城の管領に向けるために、江戸を刺激するなと兄から命じられている三郎は小机城の守りを強化する事に努め、鶴見川以北には進攻しなかった。

 翌年の四月、三郎は父、早雲に呼ばれて韮山に向かった。父の具合でも悪くなったのかと心配しながら、馬に乗って駈けつけたが、早雲は相変わらず元気だった。すでに八十八歳になっているというのに、まるで、化け物のようだった。きっと、このまま百歳までも生きるに違いないと三郎は思った。

 早雲は珍しく庭園内にある茶室で三郎を待っていた。床の間には牧渓(もっけい)の水墨画が飾られ、花入れには白いアヤメが一輪差してあった。

 三郎は父に所望され、初めて、父のためにお茶を点てた。

「なかなか、上達したのう」と父は褒めてくれた。

「不思議じゃ。お前のお茶には自然の流れというものが感じられる。多分、太郎から教わったからじゃろう。新九郎は今は亡き善法殿から習ったため、洗練されてはいるが、形というものを重視し過ぎるようじゃ。茶の湯は世の中と共に生きている。お前もお前流の茶の湯を完成させる事じゃな」

「はい‥‥」とうなづいて、自分流の茶の湯か、と三郎は考えた後、「父上、お聞きしたい事があるんですけど、『幻の茄子』というお茶入れはどんないわれのある物なのです」と聞いた。

「『幻の茄子』か‥‥そのお茶入れのために多くの者が亡くなったそうじゃのう」

「人の命よりも貴重な物なのですか」

 早雲は驚いたような顔をして三郎を見つめた。「そんな物はこの世にありはせん」

「それでは、どうして、『幻の茄子』を手に入れろと命じたのです」

「あのお茶入れを命名したのは善法殿じゃった。去年の三月、善法殿の十三回忌のお茶会が催されたんじゃ。できれば、そのお茶会で『幻の茄子』を用いたかったんじゃよ。簡単に手に入るじゃろうと気楽に考えていた、わしが迂闊(うかつ)じゃった。八人もの犠牲者が出るとはのう」

「もう諦めたのですか」

 早雲はうなづいた。「しかし、お茶道具というのも不思議なもんで、まるで、生きているかのように持ち主を変えて行くんじゃ。もし、縁があれば、わしの手に入るし、お前の手にも入るじゃろう」

「お茶道具が生きているのですか」

「生きている‥‥『幻の茄子』じゃが、東山御物(ひがしやまごもつ)じゃった」

「東山御物?」

「ああ。京都の将軍様のお宝だったんじゃ。将軍様は『幻の茄子』を茶の湯のお師匠だった村田珠光(じゅこう)殿に贈った。侘(わ)び茶の開祖といわれている珠光殿じゃ。善法殿のお師匠じゃ。お前は堺で夢庵殿に会ったと言っていたな。その夢庵殿のお師匠でもある偉いお人じゃ。珠光殿は『幻の茄子』を周防(すおう)の国(山口県)の守護、大内周防介(政弘)に贈られた。周防介は『幻の茄子』を持って周防に帰り、それを画僧の雪舟(せっしゅう)殿に贈られた。雪舟殿は『幻の茄子』を持って旅に出て美濃の国に行き、詩人の漆桶万里(しっとうばんり)殿に贈られた。『幻の茄子』は余程、旅が好きらしいのう。万里殿はそれを持って江戸に行き、太田道灌(どうかん)殿に贈られた。道灌殿が亡くなった後、江戸城内にあった『幻の茄子』は扇谷上杉修理大夫(定正)の物となり、修理大夫は小田原の大森寄栖庵(きせいあん)に贈った。寄栖庵から子の信濃守の物となり、小田原城を追われた信濃守は『幻の茄子』を持って岡崎城に逃げ、三浦道寸に贈った。道寸はそれを持って江戸城に行ったが、その時、岡崎城は落城し、道寸と共に新井城に入った。落城の寸前まで道寸のもとにあったが、何者かに奪われ、行方知れずになったというわけじゃ」

「確かに、生きていますね」

「善法殿は旅先で『幻の茄子』と四回、出会ったそうじゃ。まず、最初に見たのは奈良の珠光殿の屋敷じゃ。その次には周防の国まで旅した時、大内周防介の屋敷で、偶然に再会した。善法殿は珠光殿が周防介に贈った事を知らなかったので、周防介のお茶会で、それを見た時、驚いたそうじゃ。その後、善法殿は美濃に行き、万里殿のもとでまたもや、偶然に『幻の茄子』と再会した。その時、善法殿は『幻の茄子』と命名したんじゃ。まるで、幻術使いのように、善法殿の行く先々に現れるから、そう名づけたそうじゃ。その後、江戸城に太田道灌殿を訪ねた時、四度目の再会をしたんじゃ。その時は、江戸城に滞在していた万里殿とも再会している。その後、岡崎城のお茶会にて五度目の再会をしたが、それが最後となった」

「『幻の茄子』ですか‥‥」

 早雲はうなづいてから、「今日、お前を呼んだのはな、お前の知行(ちぎょう)の事じゃ」と言った。

 予想外の事を言われて、「知行?」と三郎は聞き返した。

「わしは去年、隠居した。これからはお前が風摩党の面倒を見なければならん。風摩党の者たちの土地もお前の知行の中に入っている。これからは風摩党の者たちに恩賞を与えるのはお前の使命じゃ」

「俺がやるのですか」

「そうじゃ。お前が奴らの面倒を見るんじゃ。ただし、条件がある。お前の知行の中には箱根権現が所有している土地も含まれている。今のお前にはどうする事もできん土地じゃ。お前が別当になって、箱根権現の権力と武力を解体して初めて、お前の知行となるんじゃ」

 早雲は三郎に一巻の巻物をくれた。開いてみると、そこには貫高(かんだか)と土地の名が並んでいた。そして、最後に四千四百六十五貫六百十四文と書いてあった。

「四千四百六十五貫文の土地を俺にくれるのですか」

「箱根権現の別当になったらじゃ」

 三郎には四千四百六十五貫文の土地というのが、どれ程のものか分からなかった。父に聞くと風摩党の者たち全員と箱根権現内の僧侶たちを養うには充分あるという。なお、この中には小机領は含まれていない。小机領はお前自身の力で増やして行けと父は言った。

「江戸城が落城すれば、小机城は前線ではなくなる。小机城がなくなる事はないが、お前が城主でいる必要はあるまい。江戸城を落とした次は河越じゃが、そう早くは河越攻略はできんじゃろう。まず、南武蔵を固めなくてはならん。十年間は見ておいた方がいい。その十年間にお前は出家し、京に行って修行を積み、箱根権現の別当になってくれ。京の修行が三年だとして、後七年あれば、箱根権現を解体する事ができるじゃろう。箱根権現の武力を解体し、所属している職人、商人を解放してやる事じゃ。箱根権現をただの祈祷寺(きとうじ)にして、伊勢家の保護下に置く事ができたら別当職(べっとうしき)から退いてもかまわん。その後の事は兄とよく相談する事じゃ」

 韮山城に一泊した三郎は久し振りに風ケ谷村に帰った。桔梗は三郎と共に暮らした新居の方に住んでいた。娘の葉月とアヤメは小太郎の屋敷にいるのだろうと思ったが、新居にいた。風摩砦の女師範だった茜が二人の面倒を見てくれていた。三郎の顔を見ると葉月とアヤメは嬉しそうに飛びついて来た。

 茜の話によると、早雲がお忍びで何度も孫の顔を見に来ているという。風摩党の者たちも早雲が自分たちの事を忘れてはいなかったと喜んでいるとの事だった。韮山で父はそんな事は一言も言わなかった。父は父なりに、陰で働いている風摩党の事を充分に考えている事を三郎は知った。

 三郎は二日間、風ケ谷村でのんびりと子供たちと遊び、小机城に帰った。

 

 

 


 一晩中、物凄い暴風雨だった。

 しかし、朝になると嘘のように晴れ渡った。三郎は城下の損害を見て回った。小野屋の前まで来た時、裏口から飛び出して来た行商人と出会った。行商人は三郎に頭を下げると北へと向かって行った。姿形はやつれていたが、それは行方不明になっていた風輪坊だった。

 三郎は小野屋に顔を出した。小太郎の部屋に案内されると、小太郎は塩だらけの生首を睨んでいた。

 霊仙坊の生首だという。

「風輪坊殿が殺(や)ったのですね」と三郎は聞いた。

 小太郎は生首を睨んだまま、「小田原城の屋根の上で倒したそうじゃ」と言った。

「とうとう、倒しましたか‥‥」と三郎も生首を見つめながら言った。

「手ごわい奴じゃった‥‥若様、この首を城下にさらしたいんじゃが、どうじゃろう」

「奴に何人も殺されましたからね。河原にでもさらしますか」

 小太郎はうなづいた。

「それで、風輪坊殿はどちらへ」

「忍辱坊を追って行ったわ。『幻の茄子』を追ってのう」

「『幻の茄子』は忍辱坊の手に移ったのですか」

「らしいのう。多分、忍辱坊は修理大夫に贈るじゃろう。盗み出すのは簡単じゃ。しかし、風輪坊の奴は忍辱坊を倒すまでは戻らん気じゃ。無駄死にだけはしないでほしいもんじゃ」

「一人で追っているのですか」

「止めたんじゃがのう」

 その日、父が倒れたとの知らせが届いた。三郎は急いで韮山に向かった。

 二ケ月程前、父、早雲は小机の城下に来ていた。三郎の作った城と城下を満足そうに見て歩き、遠く江戸の方を眺めながら、ここまでやって来たかとしみじみと言っていた。

 五十六歳の時、駿河の興国寺城主となってから三十二年を掛けて、伊豆、相模を平定し、武蔵の国に進出した。長いようで短かった三十二年だったと言っていた。後、五年もすれば太田道灌が築いた江戸城も手に入るじゃろう。これからは、のんびりとお前らの活躍を眺めていよう。父の口調には、江戸城を落とすまでは絶対に死なないという意気込みが感じられた。

 韮山の城下は普段と変わりなかった。すでに、お屋形には兄たちが集まっていた。父は横になっていたが、思っていたよりも元気そうだった。誰もが、前回の旅の疲れが出たのだろう。すぐに起き出すに違いないと思っていた。ところが、八月の十五日、父は眠るように亡くなった。死ぬ前、父は三郎に何度も何度も、風摩党の事を頼むと言っていた。

 亡き骸は風摩党の者たちを、いつまでも見守れるようにとの父の願いから、箱根湯本にある早雲庵に葬られる事となった。

 早雲が亡くなり、扇谷上杉修理大夫が江戸城から攻めて来るかと思われたが、攻めては来なかった。早雲が亡くなったとはいえ、跡を継いだ新九郎氏綱は三十四歳になり、伊勢家のお屋形として立派な武将に成長していた。

 早雲の死によって変わった事といえば、早雲に敵対していた前古河公方の足利左馬頭が、子の左兵衛佐と仲直りして隠居した事だった。左馬頭が隠居しても、左馬頭に付いていた者たちが皆、左兵衛佐の弟、小弓公方の右兵衛佐のもとに行ったため、公方家は相変わらず二つに分かれて争っていた。

 三郎は江戸城の修理大夫に対して表立っては動かなかったが、水面下では着実に勢力を広げていた。風摩党の者を送り込んで様子を探ると共に、伊勢家に寝返るように様々な噂を流し、領主の気持ちが伊勢家に傾き掛けた頃を見計らって、すでに三郎の家臣となっている者を送って説得させたり、時には、三郎本人が出掛けて行く事もあった。扇谷上杉氏の重臣だった大森氏と三浦氏を滅ぼした伊勢氏の実力は小領主たちから見れば、脅威的な存在だった。しかし、伊勢家の家臣になれば、修理大夫に攻め滅ぼされてしまう。すぐに寝返ろと言っても無理な話だったが、江戸城を攻める時に協力してくれと頼むとほとんどの者たちが承知してくれた。

 兄、新九郎は亡くなった父のために箱根湯本の早雲庵の側に早雲寺を建てていた。風摩党の者たちが是非、手伝わせてくれと毎日、大勢集まって来ているという。

 早雲が亡くなり、三郎は風摩党の総支配となった。陰のお屋形様だった。早雲に代わって、彼らの面倒を見なければならない。小机城主としての顔と風摩党の総支配の顔と二つの顔を持たなければならなくなり、以前にも増して忙しくなった。風摩党の首領の小太郎が城下に住んでいるので助かったが、月に一度は風ケ谷村に顔を出して、彼らと直接に話をするようにしていた。

 桔梗は四番組の砦で娘たちに陰の術を教えていた。桔梗が砦に戻ってから一年が過ぎたが、子供がまだ幼いため、危険な仕事には就いていないので三郎も安心だった。

 風摩党の者を何人も殺した憎き霊仙坊も消え、今の伊勢家は領国内の支配の強化を重点的に行なっているため、風摩党としても戦力の補強に努めていた。

 修理大夫のために働いている忍辱坊は鉢形方面で活躍している。小田原や玉縄に配下の者を潜入させてはいるが、ただ見張っているだけで積極的な行動には出なかった。お互いに敵を刺激しないようにしていたため、くノ一の仕事も少なかった。ほんのつかの間かもしれないが、風摩党も平和を楽しんでいた。

 桔梗の弟、万太郎は十七歳になって武術道場の風摩砦に入って修行に励んでいた。父の移香斎から、万太郎を五番組、海賊の頭にしてくれと頼まれていた。三郎は時々、風摩砦にも顔を出して、万太郎の事も見守っていた。

 十月の半ば、妻の小笹が子供を産んだ。跡継ぎができたかと喜んだが、またもや、女の子だった。三郎の三女は小菊と名づけられた。

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