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摩利支天の風~若き日の北条幻庵

小田原北条家の長老と呼ばれた北条幻庵の若き日の物語です。

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8.風摩党2

8.風摩党2

 

 

 江戸を後にした菊寿丸と風雷坊は扇谷上杉修理大夫朝興(ともおき)のいる河越城下に寄り、さらに北上して、管領の山内上杉四郎顕実(あきざね)のいる鉢形城に向かった。

 鉢形の城下は管領の膝元だけあって、さすがに都さながらに賑わっていた。ここにも、やはり、風摩党の者が潜入していた。

 茶の湯者の東海庵が三人の弟子と共に住み着き、連歌師の宗瑛(そうえい)も弟子と共に住んでいた。他にも職人や遊女として住み着いている者もいて、旅商人や山伏たちも出入りしていた。

 菊寿丸は風雷坊と一緒に彼らと会って情報を聞いた。彼らの話によると山内上杉家には暗雲が立ち込め始めているという。

 去年の夏、前管領の民部大輔顕定(あきさだ)が越後(新潟県)で戦死して、養子の四郎顕実が管領職(かんれいしき)に就いていたが、民部大輔にはもう一人、養子がいた。平井城にいる上杉兵庫頭憲房(ひょうごのかみのりふさ)だった。兵庫頭は民部大輔と共に越後に出陣し、民部大輔の戦死後、兵をまとめて関東に引き上げて来た。兵庫頭は民部大輔の遺言通り、四郎が管領職に就く事に賛成した。四郎は古河公方、左馬頭政氏(さまのかみまさうじ)の弟であるため、四郎が管領となり関東は一つにまとまるかに見えた。

 山内上杉家の家宰(かさい、執事)は代々、長尾氏が受け継いで来た。四郎の家宰は上野(こうづけ)の国、総社を本拠地とする長尾尾張守(おわりのかみ)顕方だった。一方、兵庫頭にも家宰はいた。兵庫頭の家宰は下野(しもつけ)の国、足利を本拠地とする長尾但馬守(たじまのかみ)景長だった。但馬守は兵庫頭を管領職に就けて、自ら、山内上杉家の家宰に就こうとの野心を持っていた。但馬守は兵庫頭を説得し、兵庫頭もその気になり始めているという。

「戦が始まりますか」と菊寿丸は聞いた。

「そう簡単には行かん。相手は管領じゃ。同族とはいえ、簡単に攻めるわけにはいかん」

「但馬守はどうするつもりなんです」

「多分、父子で喧嘩している古河公方を利用するじゃろう。四郎は公方、左馬頭の弟じゃ。左馬頭は当然、四郎を支持している。そこで、左馬頭の跡継ぎ、左兵衛佐(さひょうえのすけ、高基)を味方に付け、左兵衛佐を古河公方と認め、兵庫頭を左兵衛佐の管領にするつもりじゃろうの」

「公方の左馬頭と管領の四郎、公方の左兵衛佐と管領の兵庫頭の対立という形になるんですか」

「そうじゃ。勝った方がそれぞれ、公方、管領に納まるという事じゃな。どっちが勝とうと負けようと伊勢家にとっては有利になる。公方家と上杉家が争っている間に相模の国はいただきじゃ」

 菊寿丸は風雷坊に連れられて鉢形城下から荒川をさかのぼり、途中から山中へと入って行った。不動山という山を越えて少し下がった所まで来た時、突然、人相の悪い三人の男が武器を手にして現れた。見るからに山賊(さんぞく)だった。

 菊寿丸は勇んで錫杖(しゃくじょう)を構えたが、風雷坊は笑いながら、「お頭(かしら)はいるか。風雷坊が来たと伝えてくれ」と言った。

 山賊たちは武器を納めて、急に畏まった。


「四番(しばん)組のお頭でしたか。さあ、どうぞ」

 菊寿丸は風雷坊と共に日当たりのいい渓流のほとりに案内された。そこには小さな掘立て小屋がいくつも建ち、大勢の山賊がいた。中には飯の支度をしている若い女たちもいる。

 案内された小屋の中に風雷坊のいうお頭はいた。毛皮を着込んだ三十前後の髭だらけの男だった。

「風雷坊殿、お久し振りです」とお頭は風雷坊を迎えた。

「おぬしも相変わらずじゃな」と風雷坊は笑いながら囲炉裏端に腰を下ろした。「そろそろ、身を固めたらどうじゃ」

「そう願いたいんじゃが、この稼業から、なかなか足が洗えなくて」

「あちこちに女子(おなご)を作ってるからじゃろう」

「そんな事はありませんよ」とお頭は苦笑した。

 菊寿丸も風雷坊の隣に腰を下ろした。

「誰じゃ」とお頭は聞いた。

「菊寿丸殿じゃ」

「なに、菊寿丸殿じゃと、ふーむ、成程のう。お屋形様はやはり、菊寿丸殿をわしらのもとに送られたか」

 風雷坊はうなづいた。「そういう事じゃ」

「菊寿丸殿。わしは風摩党一番組の頭、青木新太郎と申す。よろしくお頼み申す」

「青木殿ですか‥‥あの、一番組とか、四番組とか、一体、何ですか」

「まだ、教えてなかったのか」と新太郎は風雷坊を見た。

「実際に見てもらった方がいいと思ってのう」

「そりゃ、そうじゃのう。どうじゃ、菊寿丸殿を置いて行かんか。わしらと一緒に実際に働けば、わしらの事がよく分かるぞ」

「そのつもりじゃ」

「さすが、風雷坊殿じゃな」

「風摩党にはな」と風雷坊が言った。「首領として風摩小太郎殿がいる。副頭は風摩竜太郎殿じゃ。そして、後見(こうけん)として愛洲太郎左衛門殿がいる。この三人には、すでに会っているな。その下に五人の組頭がいるんじゃ。それぞれの組を率いているお頭じゃ。新太郎は一番組を率いている。一番組というのは見た通りの山賊じゃ。敵の領内に入って山賊働きをする」

「本当に山賊の真似をするんですか」と菊寿丸は聞いた。

「真似をするんじゃなくて、山賊そのものなんじゃよ」と新太郎は膝をたたいた。

「物を盗んだり、人を殺(あや)めたりもするんですか」

「そうじゃ。しかし、ある目的を持ってするとこが普通の山賊とは違う」

「どんな目的なんですか」

「主に敵の離間策じゃな。今、わしらがやっているのは山内上杉家の離間じゃ。鉢形と平井を喧嘩させる事じゃ。やり方は様々あるがのう。例えば、鉢形と平井を結ぶ山中で、わしらが鉢形に関係ある者ばかりを狙ったとする。すると、鉢形の連中はわしらが平井に雇われて悪さをしていると思う。ほんのささいな事に過ぎんが、そういう事も積もり積もると戦の原因となる事もあるんじゃよ」

「もし、武士たちがここに攻めて来たら、どうするんです」

「そうなったら、こっちのもんよ。堂々と城下に乗り込んで悪さをしてやるさ」

「すでに悪さをしてるんじゃないのか」と風雷坊が言った。

「ほんのちょっとな。管領の御用商人を少し懲らしめてやったのさ」

「外にいる女子はどうしたんじゃ」

「ああ、あれか。あれは人買いから奪ったのよ。越後から鉢形に連れて来られた娘たちでな。逃がしてやったんじゃが帰らんのよ。どうせ、帰っても身寄りもないから、ここに置いてくれと言ってな。小野屋の連中がやって来たら夢恵尼殿に預けるつもりじゃ」

「あの女たちも風摩党に入るのですか」と菊寿丸は聞いた。

「それは分からん。女たち次第じゃ。風摩党に入るにはそれなりの覚悟がいるからな」

 菊寿丸は垪和又太郎が風摩党に入る事に決めるまで、かなり悩んでいた事を思い出した。菊寿丸は簡単に考えていたが、風摩党に入るにはそれなりの覚悟がいるという事を改めて気づいた。又太郎は一生、風摩党の一員として生きる覚悟を決めた上で風摩党に入ったのだった。

「四番組というのはな」と風雷坊が言った。「盗賊じゃ。忍びの者といってもいい。敵の城や屋敷に忍び込んで情報を探るのが務めじゃ。敵の城に忍び込んで城内の様子を探ったり、戦の時は城内から火の手を上げて、味方の攻撃を助けるんじゃよ」

「わしらだって戦の時は敵に奇襲攻撃をかけるという任務もあるんじゃ」と新太郎は言った。

「主に夜襲じゃな。四番組には敵の間者(かんじゃ)や残党を倒すという重要な任務もある」

「甲賀で法妙坊の一味を倒したのは四番組の人たちだったのですね」

 風雷坊はうなづいた。「箱根権現にいた頃のお前を陰ながら守っていたのも四番組じゃ」

「小鶴さんとおせんさんも」

「そうじゃ。三番組というのは敵領に潜入して情報を集めるんじゃが、四番組と違う所は長い間、そこに住み込むという事じゃな。江戸の城下にいる茶の湯者善海や連歌師宗誉、遊女の羽衣、その他、商人とか職人とか皆、三番組の者たちじゃ。山伏や乞食や浪人とか、住む所の決まっていない者は四番組の者たちじゃな。三番組の頭は杉山半兵衛といってな、今、岡崎の城下に町医者として潜入している」

「二番組が抜けてますが」

「二番組と五番組は、これから自分の目で確かめる事じゃ」

 風雷坊は次の日、菊寿丸を山賊の中に置いて古河へと旅立って行った。

 

 

 


 菊寿丸は山賊のもとで一月を過ごした。彼らと同じ格好をして行動を共にした。

 お頭の小屋の隣に新しい小屋が作られ、若様と呼ばれた菊寿丸はそこで寝起きをした。世話をするために、コシオという名の若い娘も付けられ、特別扱いだった。

 コシオはお頭の言った通り越後の娘だった。去年の合戦で両親を亡くし、人買いにさらわれて武蔵の国に連れて来られた。風摩党に助けられたが帰る場所もなく、ここで雑用をしながら暮らしている。コシオと一緒にここで暮らしている娘は八人いて、皆、十五、六の器量良しだった。

 山賊の中に菊寿丸と共に修行した奥山助三郎と諏訪源次郎、それに先輩の石井孫七郎がいた。菊寿丸は孫七郎におさわが三浦弾正の側室になった事を教えてやった。

 孫七郎は驚いたが、「そうか‥‥」と言っただけで、忙しそうにどこかに行った。

 助三郎と源次郎の二人はよく、菊寿丸の小屋に遊びに来ていた。二人とも髭面になって、すっかり山賊姿が板に付いていた。最初に小屋に訪ねて来た時は、菊寿丸の事を若様と呼んで、少し遠慮しながらしゃべっていたが、酒が入ると砦にいた頃のように仲間扱いしてくれた。

 二人は菊寿丸から風摩砦で一緒だった娘たちの事を聞きたがった。砦を下りてから、すぐにここに連れて来られたため、誰がどうなったのか分からず、気になっていたという。

 助三郎は一年めに仲良くなったおかめの事を聞いたが、菊寿丸も知らなかった。その後、二年めにふられたおあきとおごうの事を聞いて来た。おあきもおごうも菊寿丸と関係があった。その事はふせて、おあきは江戸で遊女になっているらしいと言い、おごうは巫女になって修行していると答えた。助三郎はおあきが遊女になっている事を知ると、何という遊女屋だと聞いて来た。菊寿丸はそこまでは知らないととぼけた。

 源次郎は一年めにいい仲になったおともの事を聞いて来た。おともの事はおかよから聞いて知っていた。おともは今、太田六郎左衛門の侍女になって江戸城にいると教えた。源次郎はおともが江戸城内にいると聞いて驚き、もう会えないのかと嘆いた。しかし、すぐに二年めに好きになったおうきの事を聞いて来た。おうきの事は菊寿丸も知らなかった。おあきにそれとなく聞いてみたが、おあきにも分からないようだった。

「おうきはいい女子だったのう」と助三郎はしみじみと言った。

「おめえは気が多いんだよ」と源次郎が助三郎の肩をつついた。

「助三もおうきが好きだったのか」と菊寿丸は聞いた。

「当たりめえだろ。あれ程の女子(おなご)はそうはいねえ。でもよ、あれだけ競争相手がいたら俺に勝てるわけがねえ。源次郎や彦五郎のようにいい男じゃねえからな。俺は諦めて、他の女子にしたんさ」

「しかし、おうきの奴、本当は誰が好きだったんかな。結局、みんな、ふられたんだろ」と源次郎は首をひねっていた。

「男嫌いなんかな」と助三郎も首を傾げた。

「いや。誰かいたはずだ」と源次郎は言った。「平四郎の奴が嫁になってくれって言ったら、他に好きな人がいるからって断られたそうだ」

「なに、平四郎の奴はおうきにそんな事を言ったのか」と菊寿丸は驚いた。

「ああ。奴は本気だった。平四郎はおうきに振られて山を下りて行ったんだ」

「知らなかった」

 菊寿丸は早川平四郎とはそれ程、親しくはなかった。平四郎が二年めの途中で山を下りると知った時、馬鹿な奴だとしか思わなかった。しかし、平四郎が砦を去ったのが、おうきが原因だとすると、菊寿丸にも責任があるような気がした。おあきの話によれば、おうきが好きだったのは菊寿丸だったのだ。

「おうきが好きだったのは誰なんだ」と二人は話し合っていた。

 菊寿丸は自分には関係ないと装っていた。結局、その答えは出ずに二人の話題は今、ここにいる八人の越後の娘の事に移って行った。コシオの事も話題になり、二人は菊寿丸にうまくやれよと言った。

 山賊たちは獲物を捜すために毎日、鉢形と平井の城下に出掛けて行った。

 鉢形と平井は五里(約二十キロ)程の距離で、二つを結ぶ街道は武士や商人たちが行き交って賑わっていた。元々は平井が管領の本拠地だったが、古河公方との争いが長引いたため、前管領の民部大輔は鉢形に移った。鉢形は利根川と荒川を挟んで古河に対する位置にあり、公方を相手に戦うのに適していた。今は公方と管領は和睦したため合戦はないが、民部大輔の後を継いだ四郎は、そのまま鉢形城にいた。そして、平井城にいるのが、民部大輔のもう一人の養子、兵庫頭だった。

 山賊たちは両城下に行き、城下に潜入している風摩党の者から情報を得て、襲撃する獲物を決めていた。狙った獲物のほとんどが武器だった。鉢形に向かう武器商人を街道で襲っては奪い取っていた。食うために食糧を奪う事もあるが、それは必要なだけを奪い、それ以上を取る事はなかった。彼らは皆、風摩砦で武術の修行を積んだ一流の武芸者で、行動は素早かった。

 奪い取った武器は『小野屋』の商人が引き取りに来るという。

『小野屋』は伊勢家の御用商人で、その主人は愛洲太郎左衛門の娘の百合だった。菊寿丸も会った事はあるが、小野屋がそんな事までしているとは驚きだった。

 菊寿丸は太郎左衛門と各地を旅した時、小野屋の出店があちこちにあったのを知っている。太郎左衛門の話だと、初代の小野屋の主人は松恵尼といい伊勢の国の出身で、近江の飯道山の尼僧だったという。飯道山で修行していた菊寿丸の父親、早雲と風摩小太郎とは古くからの知り合いで、早雲が伊豆の国を乗っ取ると本拠地を伊豆に移して、伊勢家の御用商人となった。松恵尼の亡き後、養女となっていた百合が跡を継いだ。小野屋は風摩党ではないが、各地に出店を持つ小野屋の組織は各地の情報を集めるために風摩党に利用されていた。風摩党の者の多くが小野屋の旅商人として各地に潜入していた。

 菊寿丸は一月の内に五回の襲撃に加わった。商人たちは皆、武装した浪人たちを引き連れていたが風摩党の敵ではなかった。菊寿丸は最初の襲撃の時、初めて人を殺した。初めての実戦だったので夢中になり、気が付いたら敵は血を噴き出しながら倒れていた。菊寿丸は一瞬、呆然となって立ち尽くした。助三郎に呼ばれて我に返ると、その場を引き上げた。

 山賊たちは菊寿丸の初陣(ういじん)だと祝ってくれたが、菊寿丸は素直に喜べなかった。何も殺す事もなかったんじゃないかと悔やまれた。二度め、三度めになるにつれて菊寿丸も慣れ、敵を倒しても殺す事はなくなった。

 襲撃のない時、彼らは猟をしていた。菊寿丸は彼らから獣の捕り方や川魚の捕り方を教わった。捕った獣を解体して肉と毛皮に分ける技術は凄いものだと感心した。

 一月はあっという間に過ぎた。

 山伏姿に戻った菊寿丸は、助三郎と源次郎に別れを告げ、お頭の青木新太郎に連れられて山を下りた。

 菊寿丸が山を下りる前日、小野屋の者が武器を引き取りに来て、八人の娘たちも連れて行った。菊寿丸は一月間、共に暮らしたコシオと別れたくはなかったが仕方がなかった。コシオは別れる時、涙ぐみながら菊寿丸を見つめていた。何かを言いたそうだったけど、コシオは何も言わなかった。菊寿丸も言いたい事はあったけど言えなかった。今は女の事よりも、やらなければならない事がいっぱいあった。

 菊寿丸が山を下りると同時に、山賊たちも別の山に移動して行った。

 新太郎に連れて来られた所は上野の国(群馬県)、榛名山(はるなさん)の山中だった。こんな所にも風摩党の山賊がいるのかと思ったら違った。

 山中にいたのは武装した野武士たちの集団だった。革袴に革の陣羽織に身を固めた、黒づくめの異様な集団だった。

 お頭の名は小山助左衛門といい、彼の率いる野武士集団は風摩党の二番組だった。一番組の山賊、四番組の盗賊に対して、馬賊とも呼ばれ、彼らは馬に乗って敵の領内を荒らし回っていた。

「珍しいのう。おぬしがそんななりをしてやって来るとはのう」と助左衛門は新太郎を迎えた。新太郎も菊寿丸と同じように、山伏の格好をしていた。

「珍客を連れて来た」と新太郎は助左衛門に言った。

「そいつか」と助左衛門は鋭い目付きで菊寿丸を見つめた。

「菊寿丸殿じゃ」

「なに、お屋形様の‥‥こいつは失礼いたした」

 菊寿丸は野武士たちと一月間、過ごす事となった。彼らは山中に砦を築いて、馬と共に暮らしているが盗賊集団ではなく、正規の武士だった。彼らは全員が騎馬武者で、武将たちに雇われては戦で活躍している傭兵(ようへい)だった。伊勢家とは何の関係もない野武士を装って、関東の武将のもとに現れ、戦(いくさ)の前線にて戦っていた。

 今回は伊勢家と同盟を結んでいる白井(しろい)城(子持村)の長尾伊玄(いげん)に雇われ、上杉方の武将である鷹留(たかとめ)城(榛名町)の長野伊予守憲業(いよのかみのりなり)を相手に戦っていた。

 菊寿丸は三十人の騎馬隊と共に、彼らと同じ格好をして榛名山麓の草原を馬で駈け回っていた。当然、皆、馬術の達人だった。菊寿丸は風摩砦にて馬術の修行をしてよかったと今更ながら思っていた。

 騎馬隊の中に中畑孫三郎と大島久太郎がいた。孫三郎とは二年めの時、同室だったので、よく悪さをした仲だった。久太郎とは一年めに一緒に鞍作りの作業をした仲だった。

 二人共、当然、馬術の修行を積んでいた。菊寿丸は二番組の存在を知らなかったが、二人とも最初からここに入るつもりで修行していたのだった。二人の話によると、二番組に入るのは難しいらしい。定員が三十名と決まっていて、欠員が出ないと補充はされない。今年は二名だけ補充があって、二人が選ばれたという。

「という事は毎年、何人かが戦死するという事か」と菊寿丸は聞いた。

「いや。戦死とは限らない。怪我をして馬に乗れなくなれば、ここにはいられない」

「そうか」

「一番組だって、そうだぜ」と孫三郎は言った。「あそこも三十人と決まっている。怪我人がでなけりゃ補充はしない。それに、一番組と二番組はいつも旅をしてるから、独り者じゃなけりゃ駄目なんだ。嫁さんを貰って、子供ができると臆病になるので、やめなければならないんだ」

「という事はお頭も独り者なのか」

「そうだよ。女はいるらしいけどな」

「へえ。みんな、独り者か‥‥」

「みんな、独り者だから、一月に一度は城下に繰り出して遊ぶんだ。白井の城下にはいい女子がいるぜ」

 女の話になると、やはり、風摩砦の娘たちのその後が話題になった。菊寿丸は知っている事は話してやった。勿論、隠すべき事は隠した。

 一ケ月間、菊寿丸は毎日、馬術の稽古に励んでいたが、一度も戦に行く事はなかった。

「状況が徐々に変わりつつあるんじゃ」とお頭の助左衛門は言った。

「前管領が関東の兵を率いて越後に出陣した留守を狙って反乱を起こしたのが白井の長尾伊玄じゃ。越後にて管領が戦死した事を知ると、伊豆のお屋形様(早雲)は伊玄と同盟を結んで、わしらを伊玄のもとに送り込んだんじゃ。わしらは伊玄の先鋒となって、上杉方の武将と戦って来た。しかし、最近になって状況が変わって来た。伊玄は反乱を起こすにあたって、古河公方の伜、左兵衛佐と手を結んだ。公方と左兵衛佐の父子喧嘩は回りの武将たちを巻き込んで、そこにお屋形様と伊玄も加わって、左兵衛佐を支持したんじゃ。公方は上杉と手を結んでいたからのう。左兵衛佐を支持したお屋形様と伊玄は共に、上杉氏を敵に回して戦って来た。ところがじゃ、上杉氏に内訌が起こりそうな気配が現れた。若様も知っての通り、平井の兵庫頭と鉢形の四郎じゃ。管領となったのは、公方の弟である四郎の方じゃ。四郎は当然、公方を支持している。そこで兵庫頭は左兵衛佐と手を組もうとしている。まだ、正式に手を組んではいないが、時間の問題じゃろう。そこで、左兵衛佐は伊玄に、兵庫頭と争うなと言って来たんじゃよ」

「伊玄と兵庫頭は手を組むんですね」と菊寿丸は聞いた。

「多分な。しかし、すんなりとは行くまい」

「どうしてです」

「伊玄の親父は前管領の家宰じゃった。親父が亡くなった後、伊玄は当然、家宰になれると思っていた。ところが、家宰になったのは親父の弟じゃった。伊玄は反乱を起こして管領と戦った。当時、太田道灌が上杉方にいたため、伊玄は道灌に敗れて古河公方のもとに逃げ込んだんじゃ。道灌が亡くなると上杉家が山内と扇谷に分かれて争いを始め、伊玄は公方と共に扇谷上杉氏と組んで、管領の山内上杉氏と戦っていた。伊玄が本拠地である白井城に戻れたのは、山内と扇谷が和睦した六年前の事じゃ。本拠地に戻る事はできたんじゃが、以前の領地は上杉氏のものとなったままじゃ。伊玄は領地を取り戻すために、また、反乱を起こしたんじゃよ。伊玄と兵庫頭が手を結ぶには、その領地問題を解決しなければならんわけじゃ。すぐには決まらんじゃろ」

「複雑なんですね」

「ああ。関東の地は複雑じゃ」

「という事は、しばらく戦には出ないんですか」

「今、わしらは伊玄に雇われてるからのう。伊玄からの命令がなければどうする事もできん。若様に一度、わしらの戦の仕方を見てもらいたかったんじゃが、残念ながら無理なようじゃのう。せいぜい、馬術の腕を磨いて行かれる事じゃな」

 菊寿丸は一度、野武士たちと一緒に白井の城下に遊びに行っただけで、後はずっと榛名山麓にて馬術の稽古に励んでいた。さすがに、彼らは皆、素晴らしい馬を持って、自分の体の一部であるかのように大切に扱っていた。菊寿丸は馬と共に生活をして、馬たちにもそれぞれ個性がある事を知った。初めの頃、同じように見えた馬も、遠くから見ただけで、誰の馬だと分かるようになっていた。

 一月後、風雷坊が迎えに来て、菊寿丸は山伏姿に戻り、野武士たちと別れて、安房(あわ)の国(千葉県南部)へと旅立った。

 

 

 


 風雷坊に連れて来られた所は安房と上総(かずさ)の国境近くの海辺だった。対岸には三浦半島が見渡せた。

 天気もよく、海は静かだった。

 大きな岩と岩に囲まれた一町(ちょう)程の砂浜には人影もなく、ひっそりとしていた。

 風雷坊は砂浜に腰を下ろすと、のんきに海を眺め始めた。一体、何を考えているんだろうと、菊寿丸も風雷坊の隣に腰を下ろした。

「あそこに三浦道寸の伜、弾正少弼(だんじょうしょうひつ)がいる」と風雷坊は三浦半島の先端を指さした。

 菊寿丸は風雷坊の指さす方を見ながら、弾正少弼の側室になったおさわの事を思った。

「十五、六年前、道寸は養い親である三浦介(みうらのすけ、時高)を倒して三浦家を継いだ。その時、三浦介には五歳になる駒若丸という伜がいたんじゃが、乳母に連れられて船で逃げたんじゃ。こっち側にのう」

「三浦介の遺児がまだ生きているというのですか」

「駒若丸は安房の国、正木郷にて密かに育てられ、元服(げんぶく)して正木弥次郎と名乗った。今は稲村城の里見上総介(義通)に仕えている。まだ若いが、なかなかの武将との評判じゃ」

「その武将が、あそこを狙っているのですか」と菊寿丸は三浦半島を指さした。

「親の仇じゃからのう。お屋形様は正木弥次郎の仇討ちを助けると言って、風摩党を送り込んだんじゃよ」

「五番組ですね‥‥もしかしたら、五番組というのは海賊ですか」

 風雷坊はうなづいた。

 しばらくして岩陰から小舟が現れ、砂浜に上陸した。舟から降りて来たのは、なんと、愛洲太郎左衛門だった。

 菊寿丸と風雷坊は太郎左衛門と共に小舟に乗って海に漕ぎ出した。海に突き出た大きな岩を一回りすると目の前に関船(せきぶね)と呼ばれる軍船が見えて来た。小舟は関船の近くまで行き、菊寿丸らは関船に乗り込んだ。

 船内では補修作業が行なわれていた。昨日、三浦を攻撃した時にやられたという。怪我人も何人か出て、近くにある小島で休んでいるらしい。

 屋形の中に五番組のお頭、西村藤次郎がいた。藤次郎は真っ黒な顔をしていて、口髭だけがなぜか赤みがかっていた。

 紹介が済むと太郎左衛門は菊寿丸に向かって、「どうじゃ。関東の状況が分かったか」と聞いて来た。

「大体の事は」と菊寿丸は答えた。

「うむ。相模の国を平定するには、三浦道寸を倒さなくてはならん。しかし、道寸の後ろには山内上杉氏、扇谷上杉氏、そして古河公方がいる。今の状況では道寸を倒す事は不可能じゃ。山内上杉、扇谷上杉、古河公方の三つを分裂させなければならん。分かるな」

 菊寿丸はうなづいた。

「そこでまず、古河公方を分裂させた。作戦はうまく行って、伜の左兵衛佐は去年の末、古河城を抜け出し、梁田(やなだ)氏を頼って関宿城に移った。関宿城には左兵衛佐を支持する武将たちが次々に集まっているそうじゃ。勿論、早雲殿も使いの者を送っている。早雲殿としては、公方を隠居させ、左兵衛佐が古河公方になってくれなくては困るんじゃ。しかし、今の状況では公方と左兵衛佐は五分五分といった所じゃのう。そこで、今度は山内上杉家を分裂させなくてはならん。うまい具合に鉢形の四郎と平井の兵庫頭が争い始めた。勿論、裏では風摩党が活躍している。兵庫頭は管領の四郎を倒すべく動き始めた。管領を倒すためには味方を増やさなければならん。兵庫頭はまず、左兵衛佐と手を結んだ。お互いの利害が一致して、これはうまく行った。次に敵対している白井の長尾伊玄も味方にしなければならん。領地の問題があるから、すんなりとはいかんじゃろうが、伊玄としても、兵庫頭と左兵衛佐を共に敵に回せば不利となるので、ぎりぎりの所で妥協する事となろう。左兵衛佐と兵庫頭と伊玄が結び、公方と四郎が結べば、当然、回りの武将たちもどちらかにつかなければならなくなる。扇谷上杉氏としても黙って見ているわけにはいかない。扇谷上杉氏がどっちに付くと思う」

「扇谷上杉氏といっても二人いますよ」と風雷坊が言った。「江戸にいる建芳は前管領、民部大輔に無理やり隠居させられたが、民部大輔の亡くなった今、また、動き始めているようじゃ」

「うむ。しかし、二人共この件に関しては同じ考えじゃろう。二人共、兵庫頭の方に付くはずじゃ。兵庫頭の奥方は建芳の妹じゃからのう。家督を継いだ修理大夫から見れば叔母上じゃ」

「という事は兵庫頭の方が大分、有利という事になりますね」と菊寿丸は言った。

「いや、まだじゃ。戦力は有利でも、四郎はすでに管領職に就いているし、左馬頭は古河公方じゃ。公方と管領の名を持って兵を募れば、左兵衛佐と兵庫頭が何を言おうとも数万の兵が集まってしまう」

「それじゃあ、どうするんです」

「まずは左馬頭に隠居してもらうしかないかのう」と風雷坊は言った。

 太郎左衛門はうなづいた。「まずはそれじゃな。鉢形と平井が合戦を始めたら、早雲殿はその隙を狙って、三浦を攻める。さて、お前はこれからどうする」

 菊寿丸は少し考えてから、「古河に行って様子を見て来たいと思います」と言った。

「うむ。実際に、その目で見て来るのもいいじゃろう。すぐにでも行くがいい」

「すぐにですか。ここには一月いなくてもいいんですか」

「ああ、ここはいい。ここでの仕事はもう終わった」

「どんな仕事をしていたのですか」

「三浦水軍の兵力を調べていたんじゃが、もう終わった。里見の水軍と共に三浦を攻める計画じゃったが、里見が乗って来んのじゃよ。三浦を攻めるよりも、今は安房の国をまとめる事に躍起になってるらしいの。たったの一隻では損害をこうむるばかりで敵の水軍を倒す事などできん。引き上げる事にしたわ」

「そうですか‥‥三浦の水軍というのは強いのですか」

「強い。しかし、船の型は古い。伊豆の水軍が敗れる事はあるまい」

 菊寿丸はここにも砦の仲間が誰かいるはずだと捜したが、いなかった。今年入ったばかりの者は伊豆の砦で海戦のための訓練をしているとの事だった。

 次の日、菊寿丸は風摩党の関船に乗って、館山(たてやま)の港に行き、そこから上陸して里見氏の本拠地、稲村の城下に行った。愛洲太郎左衛門と西村藤次郎は安房を去るに当たって、里見上総介に挨拶をしにお屋形へと入って行った。菊寿丸と風雷坊は城下を見て歩いた。

 ここにも風摩党の者は潜入していた。今の伊勢家にとって、それ程、重要な場所ではないので、旅商人と山伏のたった二人だけだった。菊寿丸はその二人と会ったが大した情報は得られなかった。

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