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摩利支天の風~若き日の北条幻庵

小田原北条家の長老と呼ばれた北条幻庵の若き日の物語です。

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9.風摩党3

9.風摩党3

 

 

 菊寿丸は鞍作りの職人として古河(こが)の城下に滞在していた。

 公方が鎌倉から古河に移ってから、すでに五十年以上の時が経ち、古河は関東の都となっていた。城下には京都から下向して来た公家たちも多く住み、町全体が華やいでいた。また、父子の対立から戦目当ての浪人たちが各地から集まって、武器を片手にあちこちでたむろしていた。

 菊寿丸は職人たちが多く住んでいる長屋の一部屋を借りて、一人で住んでいた。菊寿丸という名前ではおかしいので、砦にいた時のように三郎と称していた。

 三郎と称して、初めての一人暮らしを始めた菊寿丸だったが、毎日の飯の支度をする事さえ大変な事だった。それに、まだ若い菊寿丸の所に仕事を持って来る者などなく、自ら、武士の屋敷を訪ねては鞍の修理をして、わずかばかりの銭を貰って暮らしていた。銭を稼ぐという事が、これ程までに大変だという事を身を持って体験していた。

 隣に住んでいる鋳物師(いもじ)の与八が色々と面倒を見てくれるので助かった。与八は風摩党の一員だった。

 菊寿丸は与八を初めとして城下に住んでいる風摩党の者たちと連絡を取りながら、公方の左馬頭(さまのかみ)と関宿に行った左兵衛佐(さひょうえのすけ)の様子を探っていた。

 古河の城下には連歌師の宗彦(そうげん)、鋳物師の与八、兵法所(ひょうほうじょ)の武芸者の黒田善兵衛、遊女の初瀬らが住み、関宿の城下には茶の湯者の清風亭が住んでいた。他に山伏と旅商人が連絡を取るために古河と関宿を行き来している。

 中でも連歌師の宗彦は公方が開催する連歌会にも参加し、茶の湯者の清風亭は左兵衛佐の茶の湯の指導に当たる程、信頼されていた。

 菊寿丸は十月の半ば、ツグミという娘を助けた。ツグミは木賃宿(きちんやど)の娘だった。ツグミの両親は城下のはずれで行商人たちを相手に小さな木賃宿を経営していた。ところが、その日、五人の浪人者たちが突然、押しかけて来て、旅人を追い出して木賃宿を占領してしまったという。

 ツグミは両親に言われて裏口から逃げ出すと奉行所に助けを求めた。しかし、浪人たちは銭を見せ、自分たちは客として、ここに泊まっていると言い張ったため、奉行所ではどうする事もできなかった。奉行所の侍が帰った後、浪人たちは父親を殴り倒し、ツグミにも襲い掛かろうとした。ツグミは必死で逃げ、その途中、仕事帰りの菊寿丸にぶつかったのだった。

 菊寿丸はツグミを追って来た浪人を倒し、ツグミを自分の家に連れて行って話を聞いた。

 菊寿丸は浪人たちを追い出して、ツグミの木賃宿を救おうと与八に相談したが、与八は猛反対した。

「まずい事をやってしまった」と与八は顔をしかめた。「大通りで浪人を倒したって?」

「倒したといっても、荷物を担いでいた棒でちょっと突いただけですよ」

「余計に悪い。鞍作りの職人がどうして、そう簡単に浪人者を倒す事ができるんじゃ。自分が間者(かんじゃ)である事を公表したようなもんだぞ」

「あっ、そうか‥‥」

「すでに、公方の配下の忍びの者たちが、お前の行方を捜しているはずじゃ。ここにいては危ない」

「あの娘はどうします」

「かかわってしまったからには仕方あるまい。鞍作りの職人はもう終わりじゃ。山伏姿に戻って、宝珠院に行って風松坊殿に相談する事じゃ。二度と、ここに戻って来てはならんぞ」


 菊寿丸はツグミを連れて宝珠院に向かった。

 風松坊は話を聞くと、「仕方あるまい。人には向き不向きがあるからのう」と笑った。

「これからどうすればいいんですか」と菊寿丸が聞くと、「人助けをして帰る事じゃな」と言った。

 その晩、菊寿丸は風松坊と共に木賃宿に行って、浪人者を退治した。残念な事に、ツグミの両親はすでに殺されていた。ツグミは泣き叫んでいたがどうする事もできなかった。菊寿丸と風松坊はツグミを一人で放っておくわけにもいかず、その夜は木賃宿に泊まった。

 両親を弔った後、ツグミはこれから一人で木賃宿をやって行く事はできない、菊寿丸にここにいてくれと頼んで来た。

 風松坊は菊寿丸とツグミを見比べ、うなづくと菊寿丸を呼んで外に出た。

「もし、お前がここにいたいのなら、ツグミと夫婦を装って、ここの主人になれ」と風松坊は言った。

「ツグミと夫婦になるのですか」

「ツグミはお前に惚れているようじゃ。ただし、風摩党の事は決して、ツグミに言ってはならん」

「何者だって聞かれたらどうします」

「そうじゃな。公方様に頼まれて内密の仕事をやっているというような事をそれとなく言う事じゃな」

 風松坊はツグミと夫婦になれと言ったが、そう簡単に夫婦になれるわけがなかった。菊寿丸は荏原三郎左衛門という浪人に扮して木賃宿の一室に住み、ツグミを守る事にした。

 浪人に扮したのはいいが、何もする事がないのには困った。職人の長屋に行って与八と会いたかったが、与八は二度と来るなと言った。これ以上、与八に迷惑をかけたくなかった。菊寿丸は太郎左衛門がいつか言っていた、酒の修行でもしようかと、朝から晩まで酒を飲んではゴロゴロと寝ていた。

 木賃宿の方はそれ程、忙しくはなく、ツグミが一人で充分だと言って頑張っていた。

 珍しく客が多く、菊寿丸の部屋を除いた五部屋がすべて埋まった夜だった。ツグミが菊寿丸の部屋にやって来て、両親の初七日だから一緒にお酒を飲みましょうと言った。すでに、ほろ酔い気分だった菊寿丸は喜んでツグミを迎え、一緒に酒を飲んだ。

 ツグミは両親の思い出話をしながら、菊寿丸に酌をしてくれた。初めはしっかりしていたツグミも酔うにつれて、涙もろくなり、ついに泣き崩れてしまった。菊寿丸は何と慰めていいのか分からず、優しく抱いてやる事しかできなかった。

「ずっと、ここにいて下さい」とツグミは菊寿丸にしがみついて来た。

「もっと、強く抱いて‥‥菊寿丸様‥‥」

 菊寿丸は突然、危険を感じて、ツグミを突き飛ばした。ツグミの右手には短刀が握られていた。

「畜生!」とツグミは菊寿丸にかかって来た。

 菊寿丸はツグミを投げ飛ばし、素早く、壁に立て掛けておいた棒を手にした。

「何者だ」

「お前に殺された法妙坊の娘だ。殺してやる」

 ツグミは隣の部屋に通じる板戸を開け放した。武器を手にした商人姿の男が六人、菊寿丸を睨んでいた。

「こいつらも法妙坊の伜どもか」と菊寿丸は聞いた。

「ふざけるな。やっちまえ」とツグミは叫んだ。

 六人の男は菊寿丸に迫って来た。

 菊寿丸は棒を構えて六人に対した。勝てる自信はあったが、狭い部屋の中で、六人を相手に棒を振り回すのは不利だった。

 菊寿丸は庭に飛び降りた。六人も庭におりて菊寿丸を囲んだ。

 菊寿丸が左横の敵に攻撃をしかけようとした時、右横の敵が突然、悲鳴を上げて倒れた。倒れた男の背中に手裏剣が深く刺さっていた。

 部屋の方を見ると、もう一人の商人が手裏剣を構えていた。菊寿丸は敵が一瞬ひるんだ隙に、敵を次々と倒して行った。手裏剣を投げた商人も加わり、六人の男たちは皆、倒された。

「いやあ、驚きました」と菊寿丸を助けた商人は小刀の血を拭った。

 その男は、菊寿丸が太郎左衛門と旅をしていた時、陰で守ってくれた風摩党の一人、小川弥太郎だった。あの旅の後、同じく、菊寿丸を守ってくれた小鶴と一緒になった事は聞いていたが、会うのは久し振りだった。

「どうして、こんな所に」と菊寿丸は弥太郎に聞いた。

「風雷坊殿より菊寿丸殿を陰ながら守ってくれと言われましてね」と弥太郎は言った。

「すると、俺がここに来た半年前からずっと俺の側にいたのですか」

「そういう事です」

「知らなかった」

「しかし、危なかった。菊寿丸殿にもしもの事があったら、わしの首はもう‥‥」

「首が飛ぶのですか」

 弥太郎はうなづいた。

「わしだけじゃなく、風雷坊殿も腹を切る事になるでしょう」

「俺のために‥‥」

「でも、よかった。しかし、奴らは何者なんです」

「あっ、あの女はどうした」

 菊寿丸は慌てて木賃宿に戻ったが、ツグミの姿はどこにもなかった。

 菊寿丸はツグミの事を弥太郎に話した。

「法妙坊の娘か‥‥そう言えば、娘が一人いたな。あの旅の後、法妙坊の妻は娘を連れて岡崎の城下に移った。岡崎に兄がいるとの事だった。その後、どうなったのかは分からない。まさか、あの娘が菊寿丸殿の命を狙うとは考えてもみなかった」

「あの女は俺が法妙坊を殺したと言っていた」

「法妙坊の配下は全員、甲賀の土となって消えたはずです。その事を知っているという事は、誰かが甲賀から箱根に戻って来たという事ですね。油断だった」

「ツグミを捕まえなければなりませんね」

 弥太郎はうなづいた。「風松坊殿に知らせなくては‥‥菊寿丸殿はこれからどうします。まだ、ここにいますか」

「いや。宿屋の主が消えたのに、ここにいてもしょうがない。俺がウロウロしているとみんなに迷惑がかかりますから、そろそろ帰ります」

「迷惑だなんて‥‥」

「半年もの間、奥さんとは離れ離れなんでしょ。小鶴さんに怒られそうだから帰りましょう」

 菊寿丸は弥太郎と一緒に、半年間も住んでいたのに何もできなかった古河の城下を後にした。

 鋳物師の与八も連歌師の宗彦も本当に辛抱強かった。与八は普通の鋳物師として三年間、古河に住んでいる。当然、武術は身に付けているのに鋳物師になりきって、時には臆病なふりをし、喧嘩を売られても、ただひたすら謝るに違いなかった。大きな目的のために、些細な事にはこだわらず、時が来るのをじっと待っている。

 連歌師の宗彦は七年も古河に住み、五年めにしてようやく、公方様に認められたという。

 与八は口癖のように気長に待つ事が肝心じゃと言っていた。我慢強く待っていれば必ず、いい機会がおとずれる。その機会を絶対に見逃さずに行動に移すんじゃと。

 菊寿丸には何年も気長に待っている事はできなかった。しかし、伊勢家を支えるために、陰で彼らが苦労しているという事を実際に見る事ができただけでも、この半年間は決して無駄ではなかった。伊勢家の一族の一人として、彼らの苦労を決して無駄にしてはならないと菊寿丸は肝に命じていた。

 菊寿丸が古河を去ってから十日余り経った頃、父、早雲と古河公方の和睦が成立して、関宿にいた左兵衛佐も父、左馬頭と和睦して古河城に戻って来た。菊寿丸の知らない所で、父親は目的に向かって着実に動いているようだった。

 

 

 


 風ケ谷村の愛洲屋敷に戻った菊寿丸は太郎左衛門から茶の湯と連歌の指導を受けていた。

 鞍作りの職人では直接、武将に会う事ができないので、茶の湯者あるいは連歌師になりたいと思った。太郎左衛門に相談すると、武将として、その二つは絶対に身に付けなければならないので、今のうちに修行しておいた方がいいと言った。そして、太郎左衛門自身が教えてやるという。

 太郎左衛門は連歌も茶の湯も夢庵肖柏(むあんしょうはく)から学び、人並み以上の腕を持っていた。夢庵は連歌師として有名だったが、宗祇(そうぎ)の弟子になる前は、わび茶の開祖、村田珠光(じゅこう)の弟子であり、茶の湯の腕も一流だった。

 菊寿丸は愛洲屋敷の離れで、連歌をするのに必要な知識として、『古今(こきん)和歌集』や『源氏物語』などの古典に熱中しながら、茶の湯の作法を習っていた。時には韮山城下や小田原城下に出掛けて行って、伊勢家の家臣たちのお茶会に参加した。重臣たちは皆、自分の屋敷内に茶室を持ち、様々な茶道具を持っていた。菊寿丸はそれらを実際に見せてもらって鑑定眼を養った。

 毎日毎日、お茶を飲んでは古典を読んで、古歌を暗記しながら、その年は暮れて行った。

 菊寿丸が茶の湯と連歌に浸っていた頃、父、早雲は扇谷上杉氏とも和睦する事に成功していた。

 年が明けて、菊寿丸は二十歳になった。

 風ケ谷村の正月は賑やかだった。どこにでもある村と変わりなかったが、初めて、山村で正月を迎える菊寿丸にとって何もかも珍しかった。

 稲荷神社へと続く道には露店がずらりと並び、大勢の子供たちが楽しそうに遊び回っていた。この村にこんなにも子供がいたのかと菊寿丸は驚いた。露店商たちは皆、各地に散っていた風摩党の者たちで、正月を子供の待つこの村で迎えようと帰って来ていたのだった。

 風鈴座も帰って来ていた。おかよが舞台で華麗に踊っていた。菊寿丸はチラッと見ただけで風鈴座の舞台から離れた。桔梗と一緒だったため、おかよに誤解されないようにだった。

 おかよの他にも共に修行した仲間がいないかと捜してみたが見つからなかった。一番組の山賊も二番組の騎馬隊も各地に住み着いている三番組の者たちも、正月だからといって帰っては来られないのだろうと思った。

 お頭の風摩小太郎の屋敷にて、砦での修行を終えて、新しく風摩党に入った若者たちの入党の式が行なわれた。菊寿丸も愛洲太郎左衛門と一緒に、その式に参加した。

 五十人近くいる若者の中に菊寿丸の後輩が二十人近くいた。娘たちの修行は一年間なので、当然、菊寿丸の知っている者はいなかったが、十数人、菊寿丸の知らない男たちがいたのは不思議だった。男たちは皆、二年間の修行をしてから風摩党に入るものと思っていたが違った。四番組に入る者に限って、一年間だけの修行でよかった。四番組は忍び集団であり、砦を出た後、別の所で忍びの術を専門に身に付けるという。菊寿丸は太郎左衛門にその場所を教えてくれと頼んだが、太郎左衛門は首を振った。

「簡単な気持ちで、あそこに入る事はできない。四番組は一番危険な任務に携わる。ヨンバンと言わずにシバンと言うのは死を意味しているためじゃ。年間、およそ十数人の者たちが命を落としている。皆、生き残るために必死に術を身に付けている。中途半端な気持ちであそこに入る事はできん」

 三箇日(さんがにち)も過ぎて、村も静けさを取り戻した。

 菊寿丸は再び、茶の湯と連歌の修行に戻った。さらに、太郎左衛門から直々に陰流(かげりゅう)の武術も学んでいた。風摩砦で修行を積んで武術には自信を持っていた菊寿丸だったが、太郎左衛門には全然かなわなかった。菊寿丸はもっと強くならなければと一人、山中にて夜遅くまで木剣を振っていた。

 ある夜、風雷坊が突然、現れた。

「立木が相手じゃ思うように行くまい。ついて来い」

 風雷坊は山中を飛ぶように走った。菊寿丸は必死になって後を追った。いくつもの谷を飛び越え、険しい岩をよじ登って、ようやく着いた所は風摩党四番組の砦だった。

「ここはわしら盗賊の本拠地じゃ。風摩党の者でもここを知っているのは四番組の者とお頭連中だけじゃ」

「こんな所にあったのですか」

「普通の者には近づく事さえ不可能じゃ」

 菊寿丸は甲賀の智羅天(ちらてん)の岩屋を思い出していた。あそこも山中の険しい所にあって、普通の者は近づけなかった。

「ここで陰の術の修行をしているんですね」

「実戦的な術をな。実戦は命懸けじゃ。どんな手段を使おうとも勝たなくてはならん。たとえ、卑怯な手を使おうともじゃ」

「卑怯な手?」

「そうじゃ。お前にはまだ理解できんじゃろうが、風摩党が実際にやっている事は綺麗事だけじゃない。時には汚い事もやる。世の中には表と裏がある。表の世界は綺麗事で済まさねばならん。しかし、何でもが綺麗事で片が付くとは限らん。そこで、わしらが裏で汚い事を引き受ける事になるんじゃ。その事だけは覚えておけ」

 菊寿丸は太郎左衛門の許しを得て、次の日の午後から四番組の砦に通う事となった。風雷坊の言った通り、ここでは実戦向きの武術を教えていた。まさに、勝つためには手段を選ばずといった実戦武術だった。勝ったと思って油断していると、たちまち反撃されてやられてしまう。敵を殺すまでは絶対に気を緩めてはならなかった。また、敵が一人とは限らない。複数の敵を相手に戦わなければならなかった。

 敵に勝つために様々な武器も研究されていた。目潰し、吹き矢、鉄菱(てつびし)、毒薬、手裏剣、仕込み杖など、様々な種類の物が作られ、実戦にて使用されていた。また、敵の城の詳しい見取り図もあり、敵兵の配置や人数まで詳しく記入されていた。侵入経路まで研究され、実際に忍び込む事に成功しているという。

 菊寿丸は毎日、四番組の猛者(もさ)たちを相手にアザだらけになって実戦武術を身に付けて行った。

 四番組の砦で修行している者の中に安田半次郎がいた。一年で山を下りて行ったため、武士になったのだろうと思っていたが、こんな所で再会するとは以外だった。

 半次郎は菊寿丸の正体を知らなかった。菊寿丸が突然、ここにやって来たので驚き、今まで何をしていたんだと聞いて来た。菊寿丸は三番組の職人として古河の城下にいたが、気長にじっと待たなければならない三番組の仕事は向いてないので、ここに移って来たと嘘をついた。半次郎はついこの間まで、新井の城下に潜入していて、去年の末に呼び戻されたという。

「新井城といえば、おさわがいる所だろ」と菊寿丸は聞いた。

「そうさ。おさわは弾正の側室になっている。薬師寺殿と呼ばれて、大事にされているわ」

「薬師寺殿?」

 半次郎はうなづいた。「わしらには詳しい事は分からんが、薬師寺というのは幕府の重臣、細川氏の家来だったそうだ。戦に敗れて殺され、娘だけは何とか助けられて、関東まで逃げて来たという話だ」

「その娘がおさわか」

「そうだよ。おさわが綺麗な着物を来て、城に入って行くのを眺めながら、俺は悔しくって大声で叫びたい気分だったぜ」

「何て叫ぶんだ」

「弾正の糞ったれ!てな。こんな事になるなら、砦にいるうちに無理やり手籠(てご)めにすればよかった」

「相変わらず、惚れてるのか」

「仕方ねえだろ。遠くに行ったのならともかく、すぐ側にいるんだぜ。時には城に忍び込んで、すぐ目の前で見る事もある」

「時々、話をしたりするのか」

「いや、話はできねえ。連絡を取る時はおさわと一緒に入ってる侍女と会うんだ。もし、疑われた場合、侍女なら交換する事ができるが、おさわは交換できんからな。わしらが直接、近づいたら駄目なんだ」

「そうか。そいつは辛いな」

「もう少しの辛抱だ。三浦が滅べば絶対におさわを俺のものにする」

「ほう。まあ、頑張れ」

 半次郎はうなづいた後、「お前の方はどうなんだ」と聞いて来た。「おかよとはどうなった」

 菊寿丸は力なく首を振った。「どうも、うまくない」

「なに、振られたのか」

「まあ、そんなようなもんだ」

「おかよは何をやってるんだ」

「旅芸人さ」

「旅芸人か。そいつはうまくねえな。年中、旅をしてたら、やはり、気持ちは冷めちまう。お前に気があるなら、早いうちに辞めさせた方がいいぞ。旅芸人といっても、時には遊女の真似をしなければならねえからな」

「諦めるよ」

「そうか。まあ、ここにもいい女子(おなご)はいる。お前が知ってるのもいるぞ。おかめとおくにとおすえがいる。おいねも知ってるな」

「おいね、おくに、おかめ、おすえ‥‥へえ、あの四人はここにいたのか」

「今は四人とも、ここにはいないが四番組に入ったんだ。お前はあそこの砦に二年いたんだったな。それじゃあ、去年、入って来たおすず、おせき、おいちも知ってるだろう」

 菊寿丸はうなづいた。「あの三人もここにいたのか」

「女たちはほとんどが三番組に入るが、毎年、三、四人が選ばれて、ここに来る。今年も三人入って来た。おはな、おまち、おまこだ。三人共、可愛い女子だ。手を付けるんなら早い方がいい。寝首を掻く術を教わる前にな」

「寝首を掻く術だと?」

「奴らの得意技さ。女たちが真っ先に習う術だ。男の欲情をそそる、あらゆる技術を身に付け、男がいく瞬間に命を奪い取る術だ」

「恐ろしいな」

 半次郎は二日後、岡崎の城下に向かった。

 菊寿丸が山中で修行を積んでいる間にも、父、早雲の作戦は着実に進んでいた。

 関東の武士たちは今、山内上杉氏の内訌に注目している。去年の暮れの時点で、鉢形城の管領、四郎方には古河公方の左馬頭が付き、平井城の兵庫頭には左馬頭の伜、左兵衛佐と白井城の長尾伊玄、扇谷上杉修理大夫が付いていた。

 早雲はまだ、参加していない。早雲がどちらに付くか注目されていた時、早雲は古河公方と和睦した。早雲が左馬頭と和睦した事によって、早雲と手を結んでいた左兵衛佐は父、左馬頭と和睦して、関宿城から古河城に戻った。左兵衛佐が古河城に戻ると手を返すように、早雲は左馬頭の敵である扇谷上杉修理大夫と和睦した。この早雲の矛盾した行動には裏があった。左馬頭と和睦したのは、左兵衛佐を公方にするための手段だった。

 早雲が修理大夫と和睦した後、古河城に戻っていた左兵衛佐は父親と争う事はせず、おとなしくしていたが、風摩党を通じて早雲との連絡は取っていた。そして、四月、左兵衛佐は左馬頭を古河城から追い出す事に成功して、自ら公方を名乗った。左馬頭は小山氏を頼って祇園(ぎおん)城(栃木県小山市)に逃げ込んだ。

 公方となった左兵衛佐は、さっそく、兵庫頭を管領に任命した。管領の任命権は公方にはなく、京都の幕府にあったが、そんな事はどうでもよかった。公方である左兵衛佐が管領は兵庫頭だと言えば、関東の武士たちはそれを信じ、兵庫頭を支持した。

 左兵衛佐より管領に任命された兵庫頭は、四郎を攻める大義名分を与えられ、鉢形を攻めるべく戦の準備を始めた。扇谷上杉氏の重臣である三浦道寸も鉢形攻撃に加わるべく出陣して行った。当然、早雲も兵を引き連れて鉢形に向かった。

 風摩党も行動を開始した。四番組の連中も風雷坊に率いられて戦場へと向かった。菊寿丸も連れて行ってくれと頼んだが、風雷坊に断られた。

 菊寿丸は風ケ谷村の太郎左衛門の屋敷に戻った。

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