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摩利支天の風~若き日の北条幻庵

小田原北条家の長老と呼ばれた北条幻庵の若き日の物語です。

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11.桔梗1

11.桔梗1

 

 

 静かな風ケ谷村で、菊寿丸は午前中は連歌と茶の湯の修行をして、午後は四番組の砦に通う毎日が続いていた。

 太郎左衛門は毎日、家にいて仏像を彫ったり、尺八を吹いたり、絵を描いたり、子供たちに武術を教えたりしていた。

 桔梗によると、太郎左衛門がこんなにもずっと家にいるのは初めての事だという。

 桔梗が生まれた頃は、風摩党の水軍を作るため家にいた事がなかった。小太郎と竜太郎の二人を連れて、一年間、旅に出た事もあった。旅から帰って来た後も水軍の砦に行ったり、武術道場の師範をやったりと忙しく動き回っていた。

 初代の小太郎が亡くなった後は風摩党の後見役になって、さらに忙しくなった。三年間の後見役が終わった後、半年程、家にいた事があった。桔梗が八歳の時だったという。桔梗はその時、ずっと家にいてくれと摩利支天に願ったが、また旅に出てしまった。

 小野屋の初代の女将、松恵尼が亡くなると、桔梗の義姉の百合が小野屋を継ぐ事となり、百合と一緒に各地にある小野屋の出店に出掛けて行った。また、風摩党の水軍を率いて、三河の国まで出陣した事もあった。その後、菊寿丸と一緒に二年近くも旅を続け、帰って来てからも、三浦氏を倒すために風摩党と共に各地に飛んでいた。

 太郎左衛門もすでに六十歳を過ぎ、ようやく落ち着いたみたいと桔梗を初めとして家族の者たちは喜んでいた。

 その年も終わる頃、菊寿丸は久し振りにおともとばったりと出会った。おともは太田六郎左衛門の侍女として江戸城に入っていたが、六郎左衛門が戦死したので帰って来ていた。今は竜太郎の屋敷で、寝込んでいる竜太郎の母親の看病をしているという。

「江戸城はどうだった」と菊寿丸は聞いた。

「よかったわ。でも、ああいう所に長く住んでいると贅沢に慣れちゃって困るわね」

「そんなに贅沢なのか」

「すごいわ。飢饉の時だって、お城下に餓死する人が大勢いるっていうのに、お城の中では毎日のように飲めや歌えと騒いでいるのよ。ああいう所にいると世の中の事がまったく分からなくなるわ」

「へえ。韮山の城とは全然違うな」

「そうよ。領民の事なんて、これっぽっちも考えていないわ」

「城内にいたお前が出てしまったら、これから城内の事が分からなくなるな」

「いいえ。新しく太田のお殿様の御長男のもとへ側室が入ったから大丈夫よ」

「へえ。誰が側室になったんだ」

「あなたは知らないわよ。砦を出たばかりの娘が二月に入ったのよ。越後の上杉氏の重臣の娘という触れ込みで入って来たわ」

「越後の娘か」

「どうも、それは本当らしいわ。小塩の方と呼ばれているわ」

「コシオのカタ‥‥」

「知ってるの」

「いや」と菊寿丸は首を振った。

 風摩の山賊のもとで菊寿丸の世話をしてくれたコシオに間違いなかった。あの後、すっかり忘れていたが、やはり風摩党に入っていた。あのコシオが側室として江戸城に入ったとは驚きだった。しかし、それ以上に驚くべき事を菊寿丸はおともから聞かされた。

 般若亭の遊女、羽衣が殺されたという。

「なんだって、そんな馬鹿な‥‥どうして、羽衣が殺されるんだ」

 菊寿丸はおともに詰め寄った。

「どうしたの。知ってる娘なの」

「二年めの時、一緒だったんだ」

「そうだったの‥‥あたしも詳しい事は知らないのよ。あれは九月の末頃だったかしら。太田のお殿様が出陣中の時だったわ。平川の河原で血まみれの死体が見つかったの」

「平川の河原で?」

「そう。体中、傷だらけの惨(むご)い殺され方だったっていうわ。何も着てないので身元も分からなかったらしいの。でも、羽衣がいないって般若(はんにゃ)亭の女将さんが死体を見に来て、やっと分かったのよ」

「何で羽衣が殺されるんだ」

「どうも深追いし過ぎたみたいね。あの頃、風摩党は江戸の兵がいつ出陣するかを探っていたから、羽衣もその事で何かを調べていて殺されたのかもしれない」


 菊寿丸はおともと別れると小太郎の屋敷に向かった。小太郎ならもっと詳しい事を知っているだろうと思ったのに、小太郎は留守だった。菊寿丸は四番組の砦に向かった。風雷坊も小鶴もいなかったが、古河で世話になった風松坊がいた。

 左兵衛佐が古河公方に納まって、古河の事も一段落したので、風松坊は菊寿丸の命を狙ったツグミを追っていたという。

「見つかりましたか」と菊寿丸は聞いた。

 風松坊は首を振った。「江戸の城下にいたのを見かけたが、また、どこかに消えてしまった」

「江戸にいたんですか」

「武家娘に成りすまして侍と一緒に暮らしていた」

「その侍は何者なんです」

「どうやら、ツグミの奴は霊仙坊と手を組んだらしいな。侍は霊仙坊の配下じゃった。侍の方はまだ江戸に残っているが、ツグミの奴はお前を捜すために江戸を去って、小田原か韮山に潜入したようじゃ。まあ、ここにいる限りは安全じゃろう」

 菊寿丸は江戸で殺された羽衣の事を聞いた。

「知っていたのか。あれは運が悪いとしかいいようがない。三番組の者が殺される事は滅多にないんじゃ」

「誰に殺られたんです」

「ツグミじゃ」

「なんだって‥‥」

「霊仙坊の一味は江戸に潜入していた風摩党の者を捜し回っていた。同じように風摩党でも霊仙坊の一味を捜していた。奴らを捜して、殺していたのは四番組の者たちじゃ。江戸の城下の闇の中で霊仙坊一味と風摩党の戦いがあちこちで行なわれた。ツグミもその戦いに加わっていた。ツグミは怪我をして般若亭に逃げ込んで羽衣に助けられた。羽衣はツグミの事を武家娘だと疑わず、傷の手当をして帰した。その後、般若亭の女将からツグミがお前の命を狙っている事を知らされ、羽衣は徳斎という医師の弟子になっていた男と一緒に、ツグミの隠れ家を捜し始めたんじゃ」

「その男というのは垪和(はが)又次郎じゃありませんか」

「うむ、そんな名じゃったな。二人はツグミの住む武家長屋を見つけ出したが、ツグミも侍も留守だったらしい。羽衣は四番組の行商人にツグミの事を話して見張らせた。丁度、太田六郎左衛門が出陣中の時で、霊仙坊の配下も共に出陣して、それを追うように風摩党の四番組も江戸から離れ、城下に残っている者は少なかったんじゃ。ツグミも出陣して行ったものと思われたが、突然、戻って来た。見張っていた行商人は羽衣に知らせると共に、ツグミを捕まえるため、城下に残っている四番組の者を集めた。知らせを聞いた羽衣は一人でツグミのもとに出掛けて行ったんじゃ。相手が女だったので、自分一人で何とかなると思ったんじゃろう。その後、何があったのかは分からん。行商人が仲間を連れて、ツグミの家に行った時には誰もいなかった。そして、次の朝、死体となった羽衣が平川の河原で発見されたんじゃ。あの殺されようから拷問されたに違いない。多分、お前の居場所を聞かれたんじゃろう。しかし、羽衣はしゃべらなかった。しゃべらなかったというよりはしゃべれなかったんじゃろう。羽衣は風ケ谷村の事は知らんし、お前がここにいる事も知らんからな」

「俺のために殺されたのか‥‥」

「風摩党の一員として、やるべき事をやって死んで行ったんじゃ。羽衣は本来なら四番組に入るべきじゃった。武術も得意だし、さらに鍛えれば立派な女忍びになれた。しかし、小野屋の夢恵尼殿の考えで般若亭を継がせる事に決まっていた。目の前にお前の命を狙っているツグミという女が現れ、羽衣の中の闘争心に火が付いてしまったんじゃろう。可哀想な事をしてしまった」

 菊寿丸は羽衣の墓があるという尼寺の裏山に行った。小さな墓がいくつも並ぶ中に、まだ新しい羽衣の墓があった。墓の前には花が飾られてあった。

 菊寿丸が墓の前で両手を合わせていると尼僧がやって来て菊寿丸に頭を下げた。

 おしげだった。

「おあきちゃんが死んじゃうなんて‥‥」おしげは墓の前にしゃがむと両手を合わせた。

「二人目です」とおしげは言った。

 もう一人、おしげの同期の男が戦死していた。菊寿丸の後輩だったが、名前が分かるだけで顔まで思い出せなかった。その男は四番組に入り、太田六郎左衛門が戦死した合戦の時、霊仙坊の一味に殺されたという。

 菊寿丸はおしげに連れられて、戦死した者たちの墓を見て回った。安田半次郎の墓も槙原八郎の墓も中村丑之助の墓もあった。みんな二十歳そこそこで死んでしまった。

「菊寿丸様、みんなの死を決して無駄にはしないで下さい」とおしげは菊寿丸をじっと見つめながら言った。その目には涙が溜まっていた。

 菊寿丸はうなづいた。

 

 

 


 年が明け、永正十一年(一五一四年)、菊寿丸は二十二歳になった。

 三浦道寸の新井城は完全に包囲されているのに、まだまだ、落城する気配はなかった。それでも、相模の国は相模川上流の津久井郡と三浦半島の先端のほんの一部を残して、すべてが伊勢家になびいていた。

 太田六郎左衛門が戦死した後、江戸城からの出撃もなかった。霊仙坊の一味だけが韮山、小田原、玉縄に潜入しては伊勢一族の命を狙っていたが、これもすべて失敗に終わっていた。

 太郎左衛門の娘、桔梗が十七歳になり風摩砦に入った。太郎左衛門は娘の事が心配で菊寿丸に砦の師範になって桔梗を見守ってくれと言って来た。菊寿丸が師範になるには若すぎると言うと、自分は二十歳の時から飯道山で師範代としてやって来たと言い、どうしても頼むときかなかった。

 菊寿丸も桔梗の事を心配していた事もあって引き受ける事にした。いつまでも子供だと思っていた桔梗も十七歳になって、誰が見ても一人前の娘だった。器量も人並み以上だし、砦内の男たちの餌食(えじき)になるのは確実だった。そんな事を想像しただけでも腹が立ち、知らないうちに桔梗の事を好きになっていた自分に気づいていた。

 菊寿丸は棒術の師範代として風摩砦に入った。師範たちは菊寿丸の正体を知らず、どうして、荏原三郎が師範代として戻って来たのか不思議がった。お頭である小太郎から、三郎が愛洲太郎左衛門の弟子であると聞いて、今年、入った修行者の中にお偉いさんの子供がいるに違いないと納得した。

 桔梗は男たちに人気があった。いずみという娘と一位、二位を争っていた。

 いずみは伊勢家の重臣、多米(ため)三郎左衛門の娘であり、幼い頃、菊寿丸の世話をしてくれた七重の姪だった。どことなく上品な顔立ちが七重とよく似ていた。桔梗といずみは共に小太刀(こだち)の修行をしていた。二人とも幼い頃から修行を積んでいるので、他の娘たちとは比べものにならない程、強かった。二人は男たちに騒がれても、そんな事は全然、気にせずに良き競争相手として修行に励んでいた。

 桔梗に最初に言い寄って来たのは弓術組の中島郷十郎という男だった。背が高く、なかなかの男前で娘たちにも人気があった。もしかしたら危ないと思い、菊寿丸はそれとなく様子を見守っていた。しかし、桔梗はきっぱりと撥ねつけたようだった。

 夏の初めの頃、桔梗が師範たちのいる屋敷にやって来て菊寿丸を呼んだ。

「笛の稽古はどうした」と菊寿丸が聞くと、「ちょっと話がある」と言って、菊寿丸を誰もいない鵠鶴軒(こうかくけん)に連れて行った。

「もう、帰ってよ」と桔梗は口をとがらせて言った。

「お父さんに命じられて、あたしを見張ってるんでしょ。あたしの事なんて放っておいて、さっさと帰ってよ、もう」とふくれた。

「何をそんなに怒ってるんだ」

「菊寿丸様は独り者でしょ。独り者の師範なんていなくもいいのよ。もう、帰ってよね、フン」

 そう言うと桔梗は出て行った。

 桔梗が出て行った後、女師範の茜が顔を出して、「悪いけど、聞こえちゃったわよ」と菊寿丸の姿を眺めながら言った。

「あの娘(こ)、あなたの事を菊寿丸様って言ってたわね。菊寿丸様っていえば、お屋形様の息子さんじゃないの」

「内緒にしておいて下さい」と菊寿丸は茜に頼んだ。

「そうだったの‥‥あなたがね。あなたの噂は聞いてるわ。お屋形様が風摩党のためにあなたを遣わされたって‥‥どんな人かって思っていたわ。どうせ、お頭のお屋敷にいて、風摩党の表面だけしか見ないんじゃないかって思っていたのよ。あなただったとはねえ、驚いたわ。そうだったの、あなたが菊寿丸様だったの。あなたなら大丈夫ね。風摩党の事を頼むわよ」

 茜は菊寿丸を眺めながら、何度もうなづいていた。

「ところで、あの娘は? お父さんに言われて、どうのこうのって言ってたけど。もしかしたら愛洲様の娘さん?」

「そうです。愛洲殿に頼まれまして」

「そう‥‥そういう訳なの。よく分かったわ」

「この事は内緒にしておいて下さい」

「分かってるわよ‥‥あの娘の事だけどね、やきもちを焼いてるのよ、きっと。もしかしたら、あなた、愛洲様のお屋敷にずっと、いたんじゃない」

「はい」

「それでよ。今まで、あなたが自分だけのものと思っていたのに、ここに来たら、自分の他にも、あなたを好きになる娘が現れて、妬いてるのよ」

「まさか‥‥」

「あなたはまだ若いのよ。若くて強いし、未熟な修行者たちと比べたら、あなたの方がずっと頼りになるでしょ。あの娘以外の娘に近づかない事ね。あの娘に殺されるかもしれないわよ」

「そんな‥‥」

 茜から、娘たちが自分の事を見ていると聞いた後、道場に行ってみると確かに、男たちが自分を見る目が変な事に気づいた。師範に対する反抗心だろうと思っていたが、ただ、それだけではなく、恋敵として菊寿丸を恨んでいるような目付きだった。

 菊寿丸は自分に対する恨みを持っているうちは、決してくじけないだろうと修行者たちをビシビシと鍛え上げた。

 桔梗はその後、何も言っては来なかったが、菊寿丸と目が合うとツンとしてそっぽを向いていた。

 武術師範や作業の師範たちは砦に住み込んでいるわけではなかった。皆、風ケ谷村に家族がいて、そこから通っていた。風ケ谷村からこの砦までは一山越えて、およそ一里半の距離だった。

 毎日、交替で三人が泊まり込む事になっていたが、菊寿丸が住み込む事によって、他の師範たちの泊まりが減り、師範たちは喜んでいた。武術師範たちは午後の稽古が始まる前にやって来て、稽古が終わると帰って行った。

 菊寿丸は一日中、砦にいるので午前中は暇だった。初めの頃は作業場に顔を出しては暇潰しをしていたが、四月頃から、一人で弓術の稽古を始めた。そのうちに自分の手で弓と矢が作りたくなって、矢作りの師範から教わり、午前中は弓矢作りに励んでいた。自分の気に入った弓矢ができる頃には、砦での一年もあと少しとなっていた。

 師範代としてここにいた一年間は修行者としていた二年間よりも風摩党をさらに身近に感じる事となった。直接、棒術を教えたのは十数人だったが、菊寿丸は修行者の一人一人の名を覚え、一人一人を見守っていた。

 今後、風摩党に入る者を適した組に配置するのも師範の役目だった。師範たちにとって毎年の事でもあり、それ程、真剣ではなかった。菊寿丸は殺されたおあきの事があったので、その事に真剣だった。たった一年目の師範代が、そんな事まで口出しするのははばかられたが、菊寿丸は修行者たちの事を思い、あえて口出しした。修行者たちとも何度も話し合い、師範たちとも何度も口論をして、修行者たちを最も適した組に入れようとした。最後には師範たちも菊寿丸の熱意に負けて、一生にかかわる問題だから、この事についてはもう一度、よく検討してみようと考えを改めた。

 菊寿丸の熱意は修行者たちにも伝わり、十二月の十五日、砦を去る者たちは皆、菊寿丸にお礼を言ってから去って行った。菊寿丸のお陰で一年間で思っていた以上に強くなれたと泣いている者までもいた。桔梗がうるさいので、娘たちには用がない限り近づかなかったが、娘たちもみんなで作ったと言って見事な陣羽織を贈ってくれた。

「時には若い師範も必要かもしれないわね」と女師範の茜が言った。

「はい。いい修行になりました」

「あたしたちにもいい刺激になったわ。あなたは忘れていた昔の事を思い出させてくれたのよ。あたしもここに来たての頃は情熱があった。あたしだけじゃないわ。みんな、そうよ。素晴らしい修行者を送り出してやろうと真剣だったの。毎年毎年、同じ事を繰り返しているうちに、そんな事、すっかり忘れちゃったのね。慣れっていうのは恐ろしいという事も思い出したわ。現役の頃、いやという程、教え込まれたのにね。何でも慣れてしまうと必ず、油断が生じる。それで命を落として行った者は多いわ。ここにいれば命を落とす事はないけど、師範というのは修行者たちの命を預かっているのと同じ事なのよね。ありがとう。あなたがいる限り風摩党も安心だわ。それと今度からね。組頭になる者はここで一年以上、師範をやる事に決まったのよ。あなたを見ていて、あたしが思いついたの。お頭に言ったら、それはいい考えだって賛成してくれて、すぐに決まったわ」

「そうでしたか」

「また顔を出してね。あなたとの約束破っちゃったけど御免なさい」

「えっ?」

「あんまり石頭ばかりだから、あなたが菊寿丸様だって言っちゃったのよ。あなたが修行者たちの入るべき組の事で師範たちと言い争っている時にね」

「それで、俺の意見がすんなりと通ったのですか」

「結果を言えばそうだけと、みんな、喜んでくれたわ。あれだけ修行者の事を思ってくれれば、きっと風摩党のみんなを見守ってくれるに違いないって‥‥頑張ってね。重すぎるかもしれないけど、あなたなら絶対にできるわ」

「はい。やるつもりです」

 茜は嬉しそうにうなづいた。

「もう帰った方がいいわ。あなたをずっと待ってる娘がいるから」

「えっ?」

「桔梗ちゃんよ。あたしがちゃんと見張っていたから大丈夫。まだ、生娘(きむすめ)のままよ。もっとも、あたしが見張っていなくても、あなたに惚れているあの娘が他の男なんか相手にするわけないか。早く行ってやりなさい」

 桔梗は一人、鵠鶴軒で待っていた。

 菊寿丸の姿を見ると、「馬鹿、馬鹿」と言いながら抱き着いて来た。

 菊寿丸は桔梗を抱きながら、自分もこの娘に惚れている事を充分に感じていた。

 

 

 


 一年振りに帰って来た桔梗を迎えて、太郎左衛門は大喜びだった。目を細くして桔梗を質問攻めにしていたが、桔梗が四番組の砦に行って一年間、修行を積みたいと言い出すと急に黙り込み、菊寿丸をジロッと睨んだ。

 その晩、太郎左衛門は酒をぶら下げて菊寿丸の離れにやって来た。

「御苦労じゃった」と言いながら菊寿丸に酒を進めた。

「桔梗に変な男は付かなかったじゃろうな」とニコニコした顔で言ったが目付きは鋭かった。

「大丈夫です」と菊寿丸は力強くうなづいた。

「そうか‥‥それは信じよう。さて、桔梗が四番組に入りたいと言っていたが、つまらん入れ知恵をしたのはお前か」

「いいえ。違いますよ」

「じゃあ、どうして桔梗が四番組なんて知っているんじゃ」

「来年から四番組に入る娘が四人いるんです。その娘たちから聞いたんでしょう。あの砦にいれば色んな事が耳に入って来るんです」

「そうか‥‥お前が言ったんじゃないんじゃな」

「はい。そんな事は言っていません」

「そうか‥‥まあ、飲め。ところで話は変わるが、お前、あいつをどう思う」

「どうって、可愛いと思いますが‥‥」

「可愛いか‥‥可愛いと言っても色々な意味があるからのう。どうじゃ、一人前の女として可愛いと思うか」

「はい。可愛いと思います」

「女として見るんじゃぞ」

「ええ。桔梗ちゃんはもう一人前の女です」

「そんな事は分かっておる。まあ、飲め‥‥はっきり言おう。桔梗を嫁に貰ってくれ」

「えっ、しかし‥‥」

「いやか。誰か惚れてる女子(おなご)がいるのか」

「そんなのはいません。いませんが、俺はこの先、箱根権現の別当になるんでしょ。嫁さんなんて貰ってもいいんですか」

「別当になれば女を近づけてはならん。しかし、なる前なら嫁を貰っても何の問題もない。わしにはあいつの気持ちがよく分かるんじゃ。お前に惚れている。いや、惚れ込んでいる。あいつの気性も知っている。もし、お前が他の女と一緒になろうものなら、その女を殺しかねないぞ。頼む、一緒になってやってくれ」

 菊寿丸は父親に成りきっている太郎左衛門を見つめながら、「師匠。俺も桔梗ちゃんの事が好きです」と思い切って言った。

「そうか、一緒になってくれるか」太郎左衛門は満足そうにうなづいて、嬉しそうに笑った。「そうか、そいつは良かった。来年、そうそうにでも祝言(しゅうげん)を挙げよう」

「来年そうそうにですか」

「早雲殿とも相談しなくてはならんが、とりあえずは内々で祝言を挙げる」

「師匠、もしかして、桔梗ちゃんを四番組の砦に行かせないように、俺と祝言を挙げさせようと考えてるんじゃないですか」

「勿論、そうじゃ。桔梗をあんな殺しの技を教えるような所には入れられん」

「殺しの術と言ったって陰の術を考え出したのは師匠でしょう」

「そりゃそうじゃが、女にそんな術は必要ない」

「師匠の最初の奥さんは陰の術の名人だって聞きましたよ」

「それは、わしが浮気をした罰として、無理やり教えてくれってせがまれたからじゃ」

「師匠が浮気をしてばれたんですか」と聞きながら、菊寿丸は笑ってしまった。

「そんな昔の事はいい」とぶすっとした顔で太郎左衛門は言った。「桔梗にはそんな術を身に付けて欲しくはないんじゃ」

「師匠、桔梗ちゃんの気性は分かっていると言いましたね。俺と祝言を挙げたとしても、四番組の砦に行く事を諦めると思いますか」

「諦めるさ。お前が諦めさせるんじゃ」

「それはできません」と菊寿丸ははっきりと言った。「桔梗ちゃんは一度、言い出したら人が何と言おうと聞かないでしょう。今年は諦めたとしても来年になったら、きっと行くと言い出すでしょう。師匠は殺しの術と言いましたが、術を生かすも殺すも、それを使う人間次第じゃと、いつも言ってるでしょう。桔梗ちゃんが陰の術を身に付けたとしても、決して悪用する事なんてありません。桔梗ちゃんは師匠の事を心から尊敬しています。師匠が考えた武術をすべて身に付けたいと思っているんです。また、その素質も充分に持っています。俺は来年、風摩党に入る者たち一人一人の適性を調べて、もっとも適している組に配置しました。桔梗ちゃんが師匠の娘でなかったら、迷わず、四番組に配置したでしょう。一年間、四番組の砦で修行させたらどうですか。一年間は実戦に出る事はありません。一年間、あそこで修行を積めば、桔梗ちゃんも納得するでしょう。その後、嫁として迎えます」

「そうか‥‥」と言って太郎左衛門は静かに酒を飲んだ。「確かに、あいつは言い出したら聞かんからのう」

 太郎左衛門はその後、桔梗の話はしなかった。今は小野屋の主人になっている長女である夢恵尼こと百合と二代目小太郎の妻になっている次女、蘭の娘時代の事を懐かしそうに話してくれた。

 次の晩、今度は桔梗が酒をぶら下げて、やって来た。

「夕べ、お父さんが来てたでしょ」と言いながら桔梗は酒を注いでくれた。その仕草が父親、そっくりだった。

「何の話だったの」

「桔梗ちゃんの子供の頃の話」

「嘘ばっかり。お父さんがあたしの子供の頃の事なんて知ってるわけないじゃない」

「知ってるさ。家にはあまりいなかったかもしれないけど、その分、はっきりと思い出が残ってるんだよ」

「ふーん。でも、昨日はそんな話じゃなかったでしょ。あたしを四番組の砦に行かせないようにって頼まれたんでしょ」

「ああ。その事も言っていた。でも、一年間、やらせたらどうかって言ってやったよ」

「ほんと? ほんとにそう言ってくれたの」

 菊寿丸はうなづいた。「一度、言い出したら聞かないから納得するまでやらせた方がいいってね」

「そしたら、お父さん、何て言ったの」

「何も言わなかったけど、仕方ないって思ったんじゃないかな」

「それじゃあ、あたし、来年、四番組の砦に行けるのね」

「多分」

「よかった」と桔梗は嬉しそうに、ニコッと笑った。「ね、飲んでよ、じゃんじゃん。あたしも飲もう」

「酒なんか飲むのか」と菊寿丸は不思議そうに聞いた。

「砦にいた時、初めて飲んだの。おいしかったわ」

「砦で酒を飲んだって? どうやって酒を手に入れたんだ」

「おゆらちゃんて娘がお酒が好きで、どっかから持って来たのよ」

「どっかからって師範の部屋からだろ」

「そうかしら」

「男どもの仕業だと思っていたが、娘たちだったのか」

「おゆらちゃん、ちょくちょく拝借してたみたい。お陰であたしもお酒好きになっちゃった」

 桔梗はぐいぐいと酒を飲み始めた。

「おい、ちょっと速すぎるぞ。もっと、ゆっくりと飲め」

「いいのよ。あたしはお酒、強いんだから」

 桔梗は自分で注いでは一気に飲んでいた。

「そんなに飲んだら酔っ払っちまうぞ」

 菊寿丸は桔梗からとっくりを取りあげた。

「あたしね、あなたに言いたい事がいっぱいあるの」と桔梗は酒盃(さかずき)を差し出した。

「言いたい事があるなら言えよ。酔っ払わなくちゃ言えないのか」

「そんな事ないわ。あたしが言いたいのはね。若い娘に色目なんか使うなって言いたいのよ」

「そんな事はしていない」

「嘘ばっかし。いずみちゃんに色目使ったでしょ。おこまちゃんにも色目使ったでしょ。おふでちゃんにも、おまさちゃんにも、おみのちゃんにも、おきみちゃんにも、おあいちゃんにも使ったわ。みんな、あんたに惚れちゃったのよ。あたしはもう、カッカ来ちゃって、あんたなんか消えちゃえばいいって思ったんだから」

「色目なんか使っちゃいないよ」

「嘘ばっかし。ねえ、早く注いでよ」

「酒癖、よくないぞ」

「何言ってんのよ。自分が何様だと思ってるのよ。あたしはねえ、悔しいのよ、あたしはいずみちゃんにも勝ったのよ。あの中で一番強かったのよ」

「知ってるよ」

「なのに悔しいのよ。あたしだけよ。あたしだけなのよ」

「何が、あたしだけなんだ」

「あたしだけ、あたしだけが男を知らないのよ。みんな、自慢気に男の話をするのよ。おゆらちゃんなんて遊女だったから色々な男を知ってたわ。他の娘だってそうよ。あの砦に入った時はまだ、あたしと同じ生娘もいたけど、出て行く時、生娘のままだったのはあたしだけなのよ。いずみちゃんだって生娘だったのに、源太郎の馬鹿に抱かれちゃうし、おたえちゃんだって小五郎の馬鹿といい仲になっちゃうし、おきみちゃんだって孫四郎の馬鹿と寝ちゃうし、あたしだって、いっぱい男が言い寄って来たのよ、けど駄目なの。どうしても駄目なのよ」

 桔梗は酒盃を差し出し、菊寿丸が注いでやると一息に飲み干して、「どうしても駄目なの。菊寿丸様じゃなきゃ駄目なのよ」と言った。

 菊寿丸は桔梗を抱き締めた。

 桔梗は涙を溜めた大きな目で菊寿丸を見つめていた。

「昨日、お前を嫁にくれって親父さんに言った。親父さんは許してくれた」

「あたしが菊寿丸様のお嫁さんに?」

 菊寿丸はうなづいた。

「嬉しい」

 桔梗は菊寿丸の胸に顔をうづめた。

 その晩、菊寿丸と桔梗は結ばれた。そして、年が明けると桔梗は一年間という約束で、四番組の砦に入った。太郎左衛門に頼まれ、菊寿丸も一緒に四番組の砦に入った。

 

 

 


 運のいい事に女忍びのお頭、小鶴が砦に帰っていた。桔梗は小鶴から直々に陰の術を習う事ができた。

 今年、四番組に入った娘は桔梗の他に、おきみ、おくり、おふで、おこめの四人だった。桔梗はその四人と一緒に小鶴から様々な術を教わった。

 女忍びの任務は主に暗殺だった。体を武器にして敵に近づき、寝首を掻くというものだった。

 ある日、どこどこにいる誰を殺せと命じられる。四番組の男と共に目的地に向かい、現地に潜入している三番組の者から詳しい情報を聴く。敵の弱点に付け込む事が多く、女忍びが送られる場合、女にだらしのない者が多かった。

 例えば、敵が城内にいる場合は、あらかじめ城内にいる者の手引きで城内に潜入し、侍女あるいは下女に扮して敵に近づき、目的を遂げる。目的を遂げたら、すぐにそこから脱出する。

 敵が城下にいる場合はもっと簡単だった。敵に一番近づきやすい者に扮して近づけばいい。男の忍びのように重要な情報を手に入れるために敵の城に忍び込むような事は少なく、戦の時の奇襲攻撃に加わる事もなかった。ただ、城攻めの時、城内にいる三番組の女たちを助け出すのは彼女たちの役目だった。

 城攻めの時、城内は混乱して、女たちは助けを求めて騒いでいる。その中から仲間だけを助け出す事は男では難しかった。任務を忘れて、みんなを助けてやろうと思う者が必ず現れるという。その点、女なら仲間以外の者たちには目もくれず、任務を遂行する事ができた。

 今、女忍びは桔梗を入れて二十一人いた。二十七歳の小鶴を除き、十八歳から二十四歳までの女で、小鶴以外は皆、独り者だった。嫁に行く時は当然、やめなければならなかった。

 小鶴は二十歳の時、小川弥太郎と一緒になって四番組から抜けた。しかし、一年後、娘たちに陰の術を教えてくれと頼まれ、師範として戻って来た。教えるだけで実戦には出ないという条件で師範になった小鶴だったが、自分の教え子が危険な任務に就くのをただ見ている事はできなかった。

 暗殺命令が出た場合、小鶴が教え子の中から誰かを選ばなければならない。簡単な仕事なら教え子を送り出す事もできるが、命懸けの難しい仕事だと命じるのが辛かった。そんな時は小鶴も教え子と一緒に現場に行き、細かい指示を与えて見守っていた。戦が始まり、仲間を救出に行く時は小鶴が全員を率いて出掛けて行った。

 初めの頃、師範と呼ばれていた小鶴は、やがて、教え子たちからお頭と呼ばれるようになり、今では誰もが小鶴の事を女忍びのお頭と認めていた。

 菊寿丸は時々、桔梗の様子を見守りながら師範代として若い者たちを鍛えていた。桔梗が砦に住み込んでいるため菊寿丸も住み込み、一番分かりづらい四番組が何をやっているのか理解しようとしていた。愛洲太郎左衛門が、お屋形様の伜、菊寿丸として師範代にしたため、皆、菊寿丸に協力的だった。

 四番組の中には、八年前、菊寿丸が太郎左衛門と旅をした時、陰ながら守ってくれた者たちがいた。風雷坊を初めとして、風秀坊、風勝坊、風長坊、風久坊、風輪坊の六人だった。風輪坊は菊寿丸が古河にいた時、守ってくれた小川弥太郎だった。四番組の男たちは一人前になると皆、山伏名を持つ。ただ、名乗るだけではなく、箱根権現にいる先達(せんだつ)のもとで山伏としての修行を積まなければならなかった。

 お頭の風雷坊は三浦の忍び、霊仙坊を倒すために玉縄城の近くに作った砦の方にいた。

 風顕坊は韮山城下にいて敵の忍びから早雲を守り、風円坊は小田原城下にいて新九郎を守っていた。四番組の男たちは百人以上いるが、ほとんどの者が各地に飛んでいて、砦に残っているのは修行中の若い者たちが二十人余りだった。

 菊寿丸は師範代として実戦向きな武術を教えなければならなかった。たとえ、卑怯な手を使ってでも目的を達するための武術だった。目的を達成するためには何の罪もない者たちも殺さなければならない事もある。非情に徹しなければならなかった。

 菊寿丸にはとてもできそうもなかったが、それを教えなければならない。敵の城や屋敷に忍び込む術は実際に体験しなければ身に付かないため、実地訓練も行なわれた。訓練のための標的に選ばれるのは敵に通じている商人の屋敷が多かった。

 菊寿丸は教え子たちを引き連れて、その屋敷に潜入して、警固の浪人たちを倒し、商人たちの家族を縛って、米や財宝を奪い取らなければならない。大抵はうまく行ったが、初めて人を殺した者は自分を見失い、逆上して、女や子供も殺してしまう事が多かった。奪い取った米や財宝は砦に持ち帰って、米は砦内の食糧となり、財宝は小野屋に引き取ってもらった。この砦は、すべて、敵から奪い取った物で運営されていた。

 特別な任務に携わっている者も何人かいた。

 風岳坊という男は地図を作る事を専門としている。何人かの配下を持ち、敵地に乗り込ませて、地形や地質までも調べて詳しい地図を作製する。また、敵の城に忍び込んで城の縄張り図を作り、兵の配置や人数までも詳しく記入する。風岳坊の作成した地図は風摩党だけでなく、早雲のもとにも送られて、戦の時にも利用されているという。

 風門坊という男は偽文書作りの名人だった。盗み出された敵将の書状や判物(はんもつ)はすべて風門坊のもとに集められ、書体や癖、使用している筆や墨や紙までも分析される。風門坊は完璧な偽文書を作り、それらの文書は主に敵の離間策に使用された。

 風仙坊は武器作りの専門家で、様々な武器を作っていた。役に立つ武器をいくつも編み出したが、中には、まったく役に立たない武器もいくつもあった。役に立とうが立つまいが、次々に新しい武器を考えては作っていた。役に立つ武器の注文は次々に来るが、それらは弟子たちに任せて、風仙坊は新しい武器作りに熱中していた。

 菊寿丸は風仙坊が作った面白い武器を見せてもらった。自慢気に紹介するが、本当にどうしようもない物も多かった。一遍に三人を倒す弓矢は、一本の矢が飛んでいる最中に三つに分かれて敵に当たるという物だったが、狙いを定める事はできなかった。威力のある手裏剣を作ろうとして大きな十字手裏剣を作ったのはいいが、投げる事は何とかできるが、重過ぎて持ち歩く事などできなかった。

 風照坊は敵の合図や暗号を解読する専門家だった。味方の合図や暗号を考え出すのも風照坊だった。

 変わった所では唐物(からもの)の目利きに関しては一流の茶の湯者にも勝るといわれている風秀坊がいた。彼の仕事は盗み出した財宝の鑑定をする事と名物と呼ばれる茶道具を盗む事だった。

 応仁の乱の時、京の都は全焼し、その時、何者かに盗み出された財宝の多くは、未だに行方不明のままだった。その中には関東に流れて来ている物もかなりあり、価値が分からない者が所持している場合が多かった。三番組の者から、どこどこに値打ちのありそうな物があると聞くと、すぐに飛んで行って目利きをして、それが本物だったら、そのまま頂いて来るといった盗っ人そのものだった。盗んだ値打物は一旦、小野屋に引き取られる。勿論、銭と交換され、その銭は風摩党の軍資金となり、値打物の方は早雲のもとに行き、贈答品として手を組むべき武将に贈られていた。

 ある日、菊寿丸は一年後輩のおせきと出会った。おせきは玉縄の砦から帰って来た所だった。同期だったおいちも玉縄にいて、おすずは新井城にいるとの事だった。

「おすずはずっと新井城に閉じ込められているのか」と菊寿丸は心配そうに聞いた。

「岡崎のお城下から逃げて来た町人の娘に扮して潜入したんです」

「連絡は取れるのか」

「時々、城内の様子がお頭のもとに届くから、五番組の者たちがうまくやってるんじゃないかしら。陸からは敵も味方も出入りする事は不可能です」

「もう、三年近くも経つぞ。城内にはまだ食糧があるのか」

「あと半年は持つみたいですよ」

「総攻撃は来年か」

「多分」とおせきはうなづいた。

「新井城には何人の風摩党の者がいるんだ」

「弾正の側室になっている薬師寺様(おさわ)でしょ。その侍女として三人、下女として三人。弾正の武芸指南役になっているお侍が一人。連歌師の宗誉様とそのお弟子さんが三人に下女が三人。茶の湯の善海様とそのお弟子さんが三人に下女が三人でしょ。それに鍛冶師が一人かな」

 指折り数えていた菊寿丸は、「全部で二十三人か」と聞いた。

「今言ったのはみんな三番組ね。四番組の者も五人いるから二十八人ですね」

「二十八人か‥‥岡崎にいた連歌師と茶の湯者はどうして新井城に入ったんだ。閉じ込められるって分からなかったのか」

「分かっていたけど、あの二人は道寸に随分とお世話になったんですよ。岡崎のお城下にいた者たちが、ほとんど新井のお城下に移って行ったのに他所に行ったら変じゃない。それに、ああやって閉じ込められた場合、連歌師とか茶の湯のお師匠さんとかは余計に大事にされるでしょ。重臣たちの様子も色々と分かるんですよ。お城が落城した後、城内にいた人たちから城内の様子を聞いて今後の参考にするみたいですよ」

「今後の参考?」

「そうお頭が言ってたわ。あたしにはよく分からないけど」

「お頭っていうのは風雷坊殿の事か」

「そう。立場が逆になった時の事を考えるとか言ってたけど‥‥それに、連歌師とか茶の湯のお師匠さんとかは落城する寸前に必ず助けられるって言ってたわ」

「そうか‥‥おせきはしばらく、こっちにいるのか」

「分からないわ。くノ一のお頭に呼ばれたの」

「くノ一のお頭?」

「小鶴様よ」

「くノ一っていうのは?」

「隠し言葉で女っていう意味。女っていう字はくノ一って書くでしょ。風照坊様が考えたんですって」

「くノ一か‥‥」

 おせきは次の日にはもういなかった。誰かを殺すためにどこかに行ったようだった。小鶴に聞けば教えてくれるだろうが、聞きたいとは思わなかった。

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