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摩利支天の風~若き日の北条幻庵

小田原北条家の長老と呼ばれた北条幻庵の若き日の物語です。

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12.桔梗2

12.桔梗2

 

 

 一年が経ち、十二月の末、桔梗も菊寿丸も四番組の砦から下りた。

 翌年の正月、小太郎夫婦の仲人(なこうど)によって菊寿丸と桔梗は祝言を挙げた。村中が大騒ぎして、二人を祝福してくれた。

 二人が砦にいるうちに太郎左衛門らによって、立派な屋敷が用意されていた。小太郎の屋敷の隣に小山助左衛門の屋敷があって、その隣が菊寿丸夫婦の新居だった。左斜め前には竜太郎の屋敷があった。敷地も小太郎の屋敷と同じ位に広く、二人だけで住むには広過ぎる屋敷だった。

 二人を祝うために様々な人が新居に訪ねて来た。特に小野屋の夢恵尼には驚かされた。所帯道具一式を荷車に山のように積んで来て、お祝いだと贈ってくれたのだった。その中には塩や味噌から始まって、豪華な着物や備前物の名刀までもが入っていた。

 一番組のお頭、寺田惣次郎は毛皮と鞣革(なめしがわ)を持って来た。二番組のお頭、藤本市左衛門は名馬を二頭引いて来た。一番組も二番組もすでにお頭が代わっていた。菊寿丸の知っている一番組のお頭、青木新太郎は嫁を貰って引退し、今は三番組に入って猟師をやっている。隣に住んでいる小山助左衛門も嫁を貰って、二番組のお頭を引退し、今は風摩砦で馬術の師範になっていた。

 三番組のお頭、杉山半兵衛はお茶道具一式を持って来た。四番組のお頭、風雷坊は風仙坊が作ったという仕込み杖をくれた。その杖は、菊寿丸が太郎左衛門にならって、いつも持ち歩いていた五尺の杖と同じ長さで、太さも丁度よかった。

 五番組のお頭、西村藤次郎は生きのいい大きな鯛とあわびを持って来た。鯛とあわびは藤次郎が連れて来た包丁師によって見事に切られ、村中に配られた。

 二月の始め、菊寿丸は桔梗を連れて韮山城に向かった。父、早雲に桔梗を見てもらうためと、村から出た事のない桔梗に城下の賑わいと海を見せたかったからだった。出掛ける前に義父となった太郎左衛門に挨拶に行くと、ニコニコして二人を迎えたが、韮山に行くと言うと顔を曇らせた。

「お前、ツグミとかいう女に狙われているそうじゃな」と太郎左衛門は菊寿丸に聞いた。

「ツグミが韮山にいるのですか」

「ねえ、ツグミって誰なの」

 菊寿丸は桔梗にツグミの事を説明した。

「へえ、そんな事があったの。でも、大丈夫、あたしが、その女から守ってあげる」

「馬鹿、言ってるんじゃない」と太郎左衛門は娘を睨んでから、「そのツグミとやらは霊仙坊と結び、韮山、小田原、玉縄でお前が現れるのを待ち構えているはずじゃ」と菊寿丸に言った。

「ツグミはどこにいるのです」

「風松坊が捜し回っているが、どこに隠れているのか分からんそうじゃ。しかし、お前が韮山に行けば、必ず、現れるじゃろう」

「霊仙坊はどこにいるのです」

「大山にいる。三浦が滅びん限り、風摩党もあの山には入れんからな」

「それじゃあ、韮山のお城下には行けないの。海も見られないの」と桔梗が菊寿丸を見て、父親を見た。

「師匠、いや、父上、霊仙坊の一味は俺の顔を知らないんじゃないですか」と菊寿丸は聞いた。

 太郎左衛門はうなづいた。「多分、知らんじゃろう。しかし、お前が韮山のお屋形に出入りすれば顔は知れる」

「門から入らないで忍び込めばいいんじゃないの」と桔梗が言った。

「いや、いつまでも逃げていてもしょうがない。俺がおとりになりますから、ツグミが出て来たら一気に倒しましょう」

「危険過ぎる」と太郎左衛門は反対した。「敵を甘くみるな。今のお前は伊勢家の息子だけではなく、風摩一族の一人でもあるんじゃ」

「風摩一族の一人‥‥」

「そうじゃ。風摩小太郎はお前の義理の兄じゃろ。初代小太郎殿が生きておられた時、早雲殿はよく、この村に来られた。村の者たちに気楽に声を掛け、早雲殿はみんなから、お屋形様と慕われていた。みんなが命懸けで働いて来たのは、早雲殿の人柄をみんなが知っていて、あの人のためなら命を懸けられると思ったからじゃ。初代小太郎殿が亡くなり、早雲殿も年を取られて、ここに来る事もなくなった。ここに住む者たちは早雲殿の跡を継ぐ新九郎殿を知らない。もし、早雲殿が亡くなってしまったら、伊勢家のために働くといっても実感がわかんのじゃよ。村の者たちが不安に思っていた時、お前がこの村に来て、桔梗と一緒になって風摩一族となった。村の者たちは噂によって、お前が今まで何をして来たか知っている。そして、お前のためなら命を懸けても働いてやろうじゃないかと思っているんじゃ。風摩党の者たちにとって、伊勢家というのはお前の事なんじゃよ。お前は早雲殿の分身なんじゃ。お前の命は自分だけの物じゃない。風摩党全員の命でもあるんじゃ」

「‥‥しかし、一人の女を恐れて韮山にも行けないなんて、親父だったら、きっと行くと思います」

「そうよ。お父さんだって菊寿丸様の立場に立ったら、きっと行くと思うわ」

「確かにそうじゃが‥‥」太郎左衛門は菊寿丸と桔梗を見て、仕方ないと言った顔付きで渋々うなづいた。「分かった。ツグミをおびき出そう。ただし、準備をするため、一日だけ伸ばしてくれ。今日はここに泊まって行け。万太郎の奴が淋しがっているからな」


 菊寿丸と桔梗は一日ずらして韮山城下に向かった。変装して行こうかとも思ったが、やめて、菊寿丸は職人姿、桔梗はその妻という格好のまま行く事にした。

 二人はまず、箱根権現に寄った。

 菊寿丸は稚児だった頃の事を桔梗に話してやり、あっちこっちを案内した。桔梗は初めて見る人込みに驚き、楽しそうに門前の市を見て回った。急ぐ旅ではないので、その日は門前町に宿を取り、次の日は三島明神に参拝して、そのまま沼津まで行って海を見て、小野屋に泊めてもらった。

 太郎左衛門の計らいで、二人の来る事は伝えられ、義姉の夢恵尼が直々に二人を持て成してくれた。次の日は韮山に行く予定だったが、夢恵尼が船に乗らないかと言うと桔梗は二つ返事で喜んだ。翌日は船に乗って駿河湾に出て、魚釣りを楽しんだ。

 四日めの昼前に韮山城下のお屋形に着いた。

 父と会うのは五年振りだった。幼い頃、ここで育った菊寿丸だったが、我が家に帰って来たという実感はなかった。門の前まで行くと門番が出て来て二人を遮った。

 菊寿丸が名を言おうとすると、門番の一人が菊寿丸の耳元で、「お帰りなさいませ。菊寿丸様。誠に申し訳ございませんが裏門の方からお入り下さい」と言った。

 菊寿丸は苦笑した。太郎左衛門の差し金に違いなかった。菊寿丸は桔梗を連れて裏門に回った。裏門では菊寿丸の傅役(もりやく)だった笠原十郎が待っていた。真っ白な頭で杖を突いて、やっと立っているようだった。

「爺‥‥」と言った後、菊寿丸は胸が熱くなって声も出なかった。

「菊寿丸様、随分と御立派になられて‥‥菊寿丸様の御立派な姿が見られただけで、いい冥土(めいど)の土産ができました」

「爺、何を言ってるんだ。まだまだ長生きせい」

 十郎は涙を溜めて、菊寿丸を見つめていた。菊寿丸の脳裏に幼かった頃、十郎を困らせた時の事がはっきりと浮かんで来た。十郎と共に思い出されるのは七重の事だった。

 七重もいた。門の中で菊寿丸を待っていた。七重はすでに中年になっていたが、菊寿丸を見つめる眼差しは当時と同じだった。

「菊寿丸様‥‥」と七重は言った。

 菊寿丸には返事ができなかった。七重の後ろには懐かしい顔が並んでいた。

 菊寿丸は門の後ろで突っ立ったままの桔梗をみんなに紹介した。二人はみんなに歓迎され、台所の前を通って奥の屋敷へと入って行った。

 屋敷では母が待っていた。菊寿丸は桔梗を母に紹介した。母は黙って、ただ、うなづき、「父上様が離れで待っています。顔を見せておやりなさい」と言った。何となく母は淋しそうに思えた。

 父は相変わらず狭い離れにいた。二人して挨拶に行くと父は、「おう、よく来たな」と嬉しそうに迎えた。

「桔梗か‥‥随分と大きくなったもんじゃ。そう言っても、わしの事など覚えてはおるまい。まだ、小さかったからのう」

「すみません。覚えておりません」と桔梗は言って、頭を下げた。

「いいんじゃ。いいんじゃ」

 父は二人の事を心から喜んでいるようだった。それにしても父は元気だった。傅役の十郎よりも十歳は年上のはずなのに、幼い頃から少しも変わっていなかった。

「お前たちを家臣の者たちに披露するつもりじゃが、もう少し待ってくれ。今は皆、三浦退治の事で頭が一杯じゃからな。その三浦を倒すのも今年が山じゃ」

「いよいよですか」

 父はうなづいた。「そろそろ食糧が底をつく頃じゃ。夏頃には戦となるじゃろう。三浦を倒せば相模は平定される。三浦を倒した後、お前たちをみんなに紹介しよう。めでたい事は重なった方がさらにめでたいからのう。その後、お前にも一働きしてもらいたいんじゃ」

「一働き?」

「風摩党の事はほぼ、分かったじゃろう。今度は表の事を知ってもらわなければならん。お前を小机(こづくえ、横浜市港北区)の城主に命じる」

「小机?」

「武蔵の国じゃ。今度は江戸城を手に入れる。そのための前線基地となる。ここで披露の式典が終わった後、お前は家臣たちを引き連れて小机に向かう。言っておくが小机城は今、廃城となっており荒れ果てている。お前が自分で縄張りをして城を建てろ」

「俺が城の縄張りを‥‥」

「そうじゃ。ここと小田原と玉縄の城を見て、よく研究する事じゃな」

「はい」とうなづいた後、菊寿丸は思い出して、「あの、箱根の別当にはならなくてもいいのですか」と聞いた。

「できれば、なってほしい。商人や職人たちを座から解放してやりたいんじゃ。江戸城が落ちたら京都に修行に行ってくれ」

「分かりました」

「江戸城が落ちるまでは、わしは死なん」と父は力強く言って、笑った。

 菊寿丸と桔梗は十日間も韮山城下でのんびりした。桔梗は小机城の奥方になるため、母から武家のしきたりや家事の事などを教わっていた。菊寿丸は侍姿になり、普請奉行(ふしんぶぎょう)の山角対馬守(やまかくつしまのかみ)に連れられて、韮山城を隅々まで見て回り、城の縄張りについて学んでいた。また、ツグミをおびき出すため、風松坊と連絡を取りながら用もないのに城下をうろついていた。

 

 

 


 ツグミは現れなかった。

 風松坊が霊仙坊一味を一人捕まえて、ツグミの居場所を聞いたが答える事なく死んで行った。

 菊寿丸と桔梗は職人夫婦に戻って、韮山を出ると熱海へと向かった。風松坊の配下も二人を守るように熱海へと移動した。途中の峠辺りで出て来るかと思ったが、ツグミは姿を現さなかった。

 海辺に面した湯宿に泊まって、二人は温泉を楽しんだ。

「いい所ね」と桔梗は海を眺めながら言った。「ほんとにツグミっていう人、出て来るのかしら」

「あきらめてくれればいいんだが‥‥」

「綺麗な人なんでしょ」と桔梗は菊寿丸を横目で見ながら聞いた。

 菊寿丸は笑って、「まあ、風摩砦に入れる位の器量だな」と言った。

「風摩砦に入れる器量? どういう意味?」

「どういう意味って、美人という事さ」

「風摩砦は美人しか入れないの」

「知らなかったのか」

「そんな事知らないわよ」

「そうか。お前は師匠の娘だから入れたのか。あそこに入るには選ばれなくてはならないんだよ」

「あなたも選ばれたの?」

「男の場合は武術の素質のある者だ。俺は師匠に認められて、あそこに入った。女の場合は武術の腕よりも姿形で決めるらしい」

「どうして?」

「どうしてって、器量よしの方が使い易いからだろ。美人ならば側室にもなれるし、遊女だって美人の方がいい。芸人だってそうだろ」

「そうか。みんな選ばれたのか‥‥」

「そうさ。お前以外はな」

「あたしが美人じゃないって言いたいの? 確かにみんな綺麗だったわよ。特におあいちゃんなんて、女のあたしでも見とれる位だったわ」

「おあいちゃんか‥‥男どもに一番人気があったのはいずみちゃんだったぞ」

「いずみちゃん? そうね、お上品だしね」

「そのいずみちゃんと人気を分けていたのが桔梗ちゃんだぜ」

「あたしが‥‥信じられない」

「その次がおあいちゃんかな」

「みんな美人揃いだったから、いつもニヤニヤしてたのね」

「ニヤニヤなんかしていない」

「誰があなたの事好きだったか教えてあげましょうか」

「ああ」

「教えてあげないわよ」と桔梗は菊寿丸の耳を引っ張った。

 その夜、二人が抱き合っている時、ツグミが音もなく侵入して来た。潮騒がうるさく、桔梗の体に深く入って、絶頂に達する寸前だった菊寿丸はまったく気づかなかった。

 桔梗が突然、目を開いて、右手を素早く振り上げた。女の悲鳴と共に菊寿丸は桔梗から離れ、仕込み杖を構えた。

 仲居姿のツグミは右手に短刀を持ったまま、喉に手裏剣を刺されて倒れていた。

 菊寿丸は湯帷子(ゆかたびら)を着ると、「気を付けろ」と桔梗に言って部屋から飛び出した。

 廊下には誰もいなかった。ツグミが一人だけでいるわけがない。仲間が近くにいるはずだった。菊寿丸は隣の部屋に泊まっている風松坊の配下を起こし、ツグミの仲間を捜させた。やがて、風松坊がやって来て、ツグミの死体を片付けた。

 風松坊は菊寿丸をある部屋に連れて行った。布団は二つ敷いてあったが誰もいなかった。

「ツグミは霊仙坊の配下、法教坊と夫婦を装って、この部屋に泊まっていた」と風松坊は言った。

「法教坊は逃げたのですか」

「いや、殺した。多分、他の宿にも仲間が泊まっているに違いない」

「待ち伏せしてたんですね」

 風松坊はうなづいた。「若様の後を追って宿屋に入れば、必ず、見つかってしまうと思い、先に宿屋の中に入って待っていた。丁度、若様がツグミのいた宿屋に入ってしまったため、ツグミは仲居に扮して、やって来たというわけじゃ。ツグミが消えれば霊仙坊も若様の事をしつこく追う事はあるまい」

「俺のために、こんな所まで来させてすみませんでした」

「なに、仕事じゃ。これで一安心じゃな。仲間たちを湯に入れてやるか」

「そうしてやって下さい。体が冷え切っているでしょう」

「奴らに若様の気持ちを伝えておきますよ」

 部屋に戻ると桔梗は火鉢にあたって待っていた。

「さすがだな」と菊寿丸は桔梗に言った。

「くノ一の修行を積んだお陰よ」と桔梗は笑った。

「歓喜昇天(かんきしょうてん)の術か」

「そう。どんな場合でも、絶対に自分を見失わないように鍛えられたの」

「どうやって、そんな修行をしたんだ」

「女同士でやったのよ」

「小鶴さんとか」

「お頭ともやったわ。お頭は凄いのよ」

「女同士でか‥‥どんな気分なんだい」

「初めは抵抗あったわ。女同士だから裸になるのは何の抵抗もなかったけど、抱き合うのはね。あたしは好きになれなかったけど、あの修行の後、男よりも女の方を好きになっちゃう娘もいるみたい」

「へえ」

「男同士でもやるんでしょ」

「ああ。俺は好かんがな‥‥ツグミも消えたし、これで安心して寝られるな」

「そうね。寝ましょう」と桔梗は菊寿丸に抱き着いて来た。「冷たいわ」

「そうだ、湯に浸かってあったまろうか」

「こんな夜中に?」

「今なら誰もいない。二人っきりで入れるぞ」

「そうね。行こう、行こう」

 二人は手を取りあって湯小屋へと向かった。

 寒々とした夜空に満月がポッカリと浮かんでいた。

 

 

 


 菊寿丸は桔梗を連れて韮山から熱海、熱海から小田原、そして、玉縄へと行き、風ケ谷村に帰って来たのは三月の初めだった。

 四月になると菊寿丸は妊娠している桔梗を太郎左衛門に預けて、小太郎と一緒に玉縄に向かった。そろそろ戦が始まるという。

 菊寿丸と小太郎は玉縄城近くの山中にある風摩党の砦に向かった。四番組の砦だった。粗末な小屋の中に入ると頼もしい顔触れが並んでいた。

 風摩党副頭、風摩竜太郎。一番組、山賊の頭、寺田惣次郎。二番組、騎馬隊の頭、藤本市左衛門。三番頭、陽忍(ようにん)の頭、杉山半兵衛。四番組、陰忍(いんにん)の頭、風雷坊。五番頭、海賊の頭、西村藤次郎。六人の頭が一斉に小太郎と菊寿丸を見た。

 六人の頭が揃っている所を初めて見た菊寿丸はなぜか感動していた。粗末な掘立て小屋が城内の書院かと錯覚する程、錚々(そうそう)たる顔触れだった。そこに首領の小太郎も加わり、菊寿丸も加わった。この場にいるというだけで、菊寿丸は感激していた。

 彼らの話によると、一番組と二番組は武蔵の国で暴れ回っていて、玉縄に戻って来たばかりだという。五番組はすでに新しい敵である房総半島の水軍と戦っていた。

 まず、三番組の頭によって各地の状況が知らされた。

 江戸城の扇谷上杉建芳は籠城中の三浦道寸を助けるよりも、可愛い我が子に扇谷家の家督を継がせるため、養子の修理大夫朝興を倒そうと苦心していた。

 右腕だった太田六郎左衛門資康を失った建芳は岩付城(岩槻市)の太田信濃守資家と手を結んだ。信濃守は河越城の修理大夫の重臣だが、小山右京大夫政長のもとから逃げて来た前公方(左馬頭政氏)を匿ったため、公方(左兵衛佐高基)派の修理大夫の反感を買っていた。そこに目を付けた建芳は修理大夫と対抗するため、信濃守と手を組み、信濃守のもとにいる前公方とも手を結んだ。

 扇谷上杉氏は前公方派の江戸城と公方派の河越城の二つに分かれ、新井城に閉じ込められた道寸を助けるどころではなかった。ところが、去年の夏、建芳の長男、鶴王丸が熱病に罹って、わずか八歳で急死してしまった。建芳はすべてに対してやる気をなくし、急に老け込んで、本当に隠居してしまった。

 建芳が隠居すると、修理大夫は扇谷上杉家を一つにまとめて、三浦救援に乗り出して来た。管領の山内上杉兵庫頭憲房にも援軍を頼み、さらに、房総の武田氏、里見氏の水軍にも応援を頼んでいる。

「公方の左兵衛佐は大丈夫なんじゃな」と小太郎が杉山半兵衛に聞いた。

「はい。鎌倉を制圧したお屋形様の味方をして、鎌倉に帰る日を夢見ているようです」

「夢か。そういう夢なら存分に見させてやってくれ。管領の動きはどうじゃ」

「管領の兵庫頭は今年の正月、五十歳になり、未だ跡継ぎがないと言って、左兵衛佐の次男を養子に迎えました。もっとも、この話は左兵衛佐から出た話で、管領になる時、左兵衛佐の力を借りた兵庫頭には断れなかったのでしょう。兵庫頭は今の所は左兵衛佐を支持していますが、本心はよく分かりません。それに、兵庫頭の正室は扇谷の修理大夫の叔母ですが、子がない事もあって疎遠のようです」

「兵庫頭の所には誰か側室が入っているのか」と風雷坊が半兵衛に聞いた。

「いや。入れようとは思ってるんじゃがのう、それがなかなか難しいんじゃ」

「男色(なんしょく)か‥‥」

「そうじゃない。若い娘が好みなんじゃ」

「それじゃあ、手頃なのがいくらでもいるじゃろう」

「それが、若過ぎるんじゃよ」

「若過ぎる?」

「ああ。十歳前後が好みらしい」

「何じゃと、十歳じゃと。まだ、女になっていまい。そんな子供を相手にやるのか」

「そこまでは知らんが、養女と言っては十歳前後の娘を集めている」

「管領は変態じゃったのか」

「十歳の娘じゃ、城に入れても役に立たんのう」と小太郎は首を振った。「その事は後で考えるとして、続きを聞かせてくれ」

「はい。兵庫頭は正室とは疎遠のため、本気で扇谷上杉氏を助ける気はないでしょう。お屋形様が相模の国をほぼ平定したのを見て、お屋形様と手を組んで扇谷上杉氏を倒そうと考えている模様です。修理大夫のために援軍は出すでしょうが、形だけだと思います」

「成程。修理大夫というのはどんな男じゃ」

「野心家であり、戦術家でもあります。子供を失って建芳が再び、隠居宣言をすると、瞬く間に扇谷家を一つにまとめました。その手腕(しゅわん)は大したものと言ってもいいでしょう。修理大夫は岩付に前公方の左馬頭を匿っています。左兵衛佐には軟禁していると言っていますが、隙あらば、左馬頭を公方に仕立て、自ら管領になろうとたくらんでいます」

「河越には側室が入っていたな」と小太郎が聞いた。

「はい。おうきの方が入っています。修理大夫はやりやすい。別嬪(べっぴん)なら身分など一切構わず側室にする。一々、誰々の娘などという細工は必要なかった。母親と二人で河越城下の長屋に住み込んでいたら、十日も経たないうちに城から呼び出しがかかったわ。おうきの方は修理大夫に気に入られています。おうきが偉い人が好きだというと、そうかそうか、今に管領になってやると豪語しているそうです」

 おうきの方というのは、菊寿丸の一年後輩だった。一番人気の娘だった。共に修行した娘が敵将の側室になっていると聞いて、あまり、いい気持ちではなかった。おさわが新井城の三浦弾正の側室になっている。越後の孤児、コシオが江戸城の太田源六郎資高の側室になっている。そして、おうきが修理大夫の側室になっている。皆、重要な任務に就いているのだが、そう簡単に割り切れるものなのだろうかと菊寿丸には分からなかった。

「あと問題なのは房総の水軍じゃな」と小太郎が言った。

「上総の武田三河守は古河公方、左兵衛佐の弟、右兵衛佐(うひょうえのすけ、義明)を迎えて、新しい公方に仕立てあげようとたくらんでいます。今の所はまだ、左兵衛佐に従ってはいますが、三浦弾正の正室は三河守の妹ですからね。父親が左兵衛佐に従い、子の三河守が勝手に三浦氏の救援をしているという風に装っています。しかし、武田の水軍は恐れる事はないでしょう。五番組によって、すでに、かなり痛めつけられていますから」

「問題は里見水軍か」

「いえ。里見水軍は動かないでしょう。公方の左兵衛佐とつながっていますからね。お屋形様が三浦氏と戦を始めた当初、両軍が戦をしている隙に、三浦半島に上陸して、半島だけでも奪い取ろうと考えていたらしいが、道寸が新井城に閉じ込められてからは、三浦進撃は諦め、国内を統一する方に熱心になっています」

「成程、となると敵は扇谷上杉だけじゃな」

「新井城の兵糧はどんな具合なんじゃ」と騎馬隊の藤本市左衛門が聞いた。

「もう、ほとんどない」と海賊の西村藤次郎が答えた。「痩せ馬を殺して食っているらしい」

「なに、馬をか」と市左衛門はいやな顔をした。

 その後、絵地図を睨みながら作戦が練られた。

 一番組は江戸に行って、敵が集めている兵糧を奪い取り、二番組は河越に行って、兵糧を奪い取る。敵が出陣して来たら小荷駄隊を襲って、敵の兵糧を奪い取る。敵は玉縄城を落とす目的で出陣して来るため、兵糧を奪われれば戦意を喪失するからだった。

 情報収集が目的である三番組は戦には参加しない。四番組は従来通り、敵の忍び、霊仙坊一味の退治と、新井城内にいる仲間を救出する。五番組は武田水軍の出陣準備を妨害し、戦が始まったら四番組と協力して仲間の救出をすると決められた。

 菊寿丸は自ら、仲間の救出を志願して許され、四番組と行動を共にする事となった。

 

 

 


 相模の国のほぼ中央にそびえる大山(おおやま)は古くから修験(しゅげん)の山として知られていた。山内には大山寺(たいさんじ)を中心に僧院、僧坊が建ち並び、多くの僧兵や山伏を抱え、その武力は侮りがたいものがあった。相模の国を平定しようとしている早雲にとって、どうしても味方にしなければならなかった。

 大山は寺社領と呼ばれる荘園を多く持ち、それらの土地は武士が干渉する事はできなかった。また、箱根権現と同じように、多くの商人や職人も支配下に置き、相模国内において大山の持つ勢力は非常に大きなものだった。

 箱根権現は大森氏と密接に結び付いていたため、大森氏が滅びると存続するためには新興勢力の早雲と結び付かなければならなかった。大山の場合は箱根権現よりも規模も大きく、特定の武士と結び付く事もなく独立していた。武士たちが戦を始めても、寺社領が犯されない限りは傍観していたといっていい。山伏の中には武士と契約して情報集めをしている者もいたが、それはほんの一部の者に限られていた。三浦氏のために働いていた霊仙坊もその一人である。

 扇谷上杉氏が相模の国を支配していた時、霊仙坊は多くの山伏を率いて活躍していた。大山寺もその事を知ってはいたが、見て見ぬ振りをしていた。見て見ぬ振りをしていたというよりは、霊仙坊らを利用して勢力圏を広げようとしていた。ところが、早雲が相模に進攻して来たため、大山寺はお互いに干渉しない事を条件に早雲と結んだ。霊仙坊らは大山寺に見捨てられるという結果となった。

 大山寺に見捨てられても、霊仙坊は風摩党が侵入できない大山山中に隠れて、ひそかに活動していた。

 菊寿丸は風雷坊らと共に玉縄城下で霊仙坊一味を見張っていた。しかし、なかなか現れなかった。風雷坊の話によると霊仙坊の配下には五人の手ごわい山伏がいるが、すでに二人を倒し、残っているのは妙行坊、真乗坊、徳善坊の三人だという。この三人と霊仙坊を倒せば、後は雑魚(ざこ)どもばかりだから自然に消滅するだろうとの事だった。

 六月の末、扇谷上杉修理大夫が河越と江戸に兵を集結させているとの知らせが届くと韮山の早雲も腰を上げ、小田原の新九郎と共に五千余りの兵を率いて玉縄にやって来た。

 菊寿丸は新井城内にいる仲間を救うべく、風松坊他十人と小鶴率いるくノ一隊と一緒に五番組の本拠地である浦賀砦に向かった。

 七月の初め、扇谷上杉軍を撃退した早雲は、新六郎を先鋒として新井城の総攻撃を開始した。新六郎の兵は三崎城から水軍の船に乗って海上から新井城に近づき、次々と上陸して行った。しかし、敵の守りは堅く、城内に攻め入る事はできなかった。

 七月十一日の朝、城の東側、唯一の陸続きの所に掘られた深い堀に城内から橋が架けられた。

 四年振りの事であった。

 敵が降伏して来るのか、それとも敵の罠か、伊勢家の軍勢が見守っている中、門が開かれ、三浦道寸率いる敵兵が最後の力を振り絞って攻め込んで来た。

 突然の敵の攻撃に味方の兵は混乱して、次々に倒された。敵は深追いする事なく、また、城内まで引き下がり、伊勢家の軍勢が攻めて来ると突撃を繰り返した。場所が狭いため、敵の思う壷にはまり、味方の損害は増えて行くばかりだった。敵が城内に引っ込むと同時に城内まで攻め込めばいいのだが、門前に架かる橋がくせ者だった。伊勢家の兵が橋まで来ると城門は閉ざされ、橋は跳ね上げられ、城内に落とされた兵は皆、串刺しにされた。

 東側では苦戦していたが、丁度、跳ね橋が降ろされた頃、城内のあちこちで火の手が上がり、その混乱に乗じて、海上から上陸した兵が城内に攻め込んだ。

 菊寿丸ら救援隊も城内に潜入した。

 城内にいたおすえとおすずが現れ、どこに誰がいるかを教えた。あらかじめ決めてあった通り、救援すべき相手のもとへと散って行った。菊寿丸はおすえの案内によって小鶴らと一緒に、側室となっているおさわのいる奥御殿へと向かった。おさわと侍女三人、下女三人を救い出さなければならなかった。

 あちこちに火の手が上がり、敵味方の兵が入り乱れて乱戦を続けている中をかい潜って、おさわの居室に入ると、目当ての侍女三人が他の侍女四人と共にいた。三人の侍女からおさわと下女の居場所を聞いて、菊寿丸はおすえらと共におさわのいる主殿(しゅでん)へと向かった。

 奥御殿にはほとんど警固兵はいなかったが、主殿には多くの警固兵が固めていた。菊寿丸らが突撃しようとした時、菊寿丸より先に、警固兵の中に攻め込んだ者があった。

「鍛冶師(かじし)の宗次郎様よ」とおすえが言った。

 高石宗次郎もおさわ、おすえと同じく、菊寿丸の同期だった。一人でこの中に飛び込むのは無謀と言えた。菊寿丸らは宗次郎を見殺しにしないように突撃した。

 すでに、死を覚悟している敵兵は手ごわかった。倒しても倒しても次から次へと現れた。それでも、さすがに鍛え抜かれているくノ一は簡単にはやられなかった。こんな所で時を費やしたくはなかったので、菊寿丸はおさわを助けるためにおすえを先に行かせた。

 三人の敵を倒した後、菊寿丸もおすえを追って屋敷の中に入って行った。追って来る敵を倒しながら、いくつもの部屋を抜けて行くと、女たちが固まっている部屋に出た。が、すでに遅かった。

 道寸の妻と側室、弾正の妻と側室、その幼い子供たちが自害して果てていた。その中におさわもいた。そして、おすえまでもが、おさわの側で死んでいた。

「おさわ!」と誰かが叫んだ。

 高石宗次郎だった。返り血を浴びて、血だらけの宗次郎はおさわに駈け寄ると、おさわの首から短刀を抜き取り、ぐったりしているおさわの体を抱き締めた。おさわの首から噴き出す血を浴びながら宗次郎は泣いていた。

「味方が攻めて来たわ」と小鶴がやって来た。

 おさわと宗次郎を見て、「遅かったのね」とつぶやいた。

「もう、みんな、引き上げたわ。あたしたちも行きましょう」

 小鶴はおすえの長い髪を斬り落とした。素早く懐紙に包んで懐にしまうと、今度はおさわの髪をつかんで斬り落とし、懐紙に包んで宗次郎に渡した。

 宗次郎は驚いたような顔をして、おさわの髪を受け取った。

 菊寿丸は髪の束を持ったまま呆然としている宗次郎を連れて、小鶴の後を追った。

 城内は伊勢家の軍勢で溢れ、そこら中に首のない死体が転がっていた。菊寿丸たちは五番組の船に乗って新井城から離れた。

 おさわとおすえが戦死した以外、軽傷者が出ただけで救出作戦は成功した。しかし、五番組の者たちが三浦水軍の最後の抵抗に会って、六人も戦死していた。

 三浦道寸も子の弾正少弼も東門を出た所で壮絶な死を遂げた。弾正の子、七歳の海若丸は家臣に連れられて脱出を試みたが捕まり、首を撥ねられた。

 四年に渡った三浦攻めはようやく終わり、相模の国はすべて、早雲のものとなった。

 おすえがどうして、あの場で殺されたのか菊寿丸には分からなかった。おさわと共に暮らしていた侍女から詳しく聞くと、どうやら、おさわは本気で弾正に惚れてしまい、自ら死を選んだようだった。おすえはおさわを助けようとして言い争っている時、敵兵にやられてしまったらしい。

 おさわとおすえは砦で修行していた頃、仲がよかった。砦を出てからは別々の道を進む事になったが、おさわが新井城にいると聞き、おさわを助けようと、おすえは自ら志願して新井城に入った。二十歳から二十四歳まで新井城に閉じ込められ、気持ちの変わってしまったおさわを助けようとして殺されてしまった。短くて、惨めで、寂しくて、悲しすぎる一生だと菊寿丸は思った。

 

 

 


 新井城も落城し、風ケ谷村は秋祭りで賑わっていた。一番組も二番組も久し振りに村に帰って来た。新井城に閉じ込められていた三番組の者たちもいた。四番組も五番組も来られる者は村に来て騒いでいた。

 風雷坊は相変わらず、霊仙坊一味を追っている。新井城の合戦の時、扇谷上杉軍と呼応して玉縄城下を荒らし回るに違いないと待ち伏せしていたが、霊仙坊は現れなかった。早雲を守っていた風顕坊、新九郎を守っていた風円坊、新六郎を守っていた風藤坊らに聞いても、霊仙坊一味は現れなかったという。また、江戸の城下や河越の城下にも姿を見せない。三浦一族は滅びたが、霊仙坊はまだ生きている。奴らを倒さなければ風雷坊の仕事は終わらなかった。

 祭りの最中、桔梗が菊寿丸の長女を産んだ。太郎左衛門によって、その子は葉月(はづき)と名づけられた。村の者たちは嬉しい事が重なったと大喜びだった。

 祭りも終わり、風摩党の者も新たな目標、江戸城攻略のため各地に散って行った。

 菊寿丸は一人、尼寺の裏山に行った。また、新しい墓が増えていた。それぞれの墓には相変わらず、花が供えられてあった。

 おさわが死んだ。おすえが死んだ。五番組の酒井甚助、二番組の近藤道太郎、菊寿丸の教え子で四番組に入った大塚小五郎も死んでいた。その他、菊寿丸の知らない者たちが八人死んで行った。菊寿丸は一つ一つの墓に両手を合わせた。ふと、死んだ者たちにどんな報酬が与えられるのか気になった。

 墓参りを済ませると菊寿丸は小太郎の屋敷に向かった。

「丁度よかった」と小太郎は菊寿丸を迎えた。

 菊寿丸は小太郎に連れられて、例の屋根裏の隠し部屋に通された。大きな絵図面を前に、風摩竜太郎と三番組の頭、杉山半兵衛がいた。

「小机(こづくえ)じゃ」と小太郎は絵地図を示して言った。

「小机‥‥父上より、そこの城主になれと聞いています」

 小太郎はうなづいた。

「小机は江戸城を攻略するための拠点となる重要な地じゃ。敵も重要性を熟知している。今、扇谷上杉の兵が布陣し、荒れていた城跡を直して、新しい城を築いている」

「敵が城を‥‥」

「城と言っても、それ程、大掛かりな物ではない。小机の南、一里余りの所に権現山(ごんげんやま)城というのがあるんじゃが、伊勢家の兵はそこまで進出している。それに対する構えとして、慌てて小机に城を築いているというわけじゃ。守っている兵も五百足らずじゃ」

「その城を攻め取るんですね」

「まあ、そうじゃが、今じゃない。もう少し、敵に城を築かせておいてから奪い取る。敵地じゃからな、人足を集めるのも大変じゃ。敵に作らせておいて、ほぼ、完成してから奪い取るんじゃ」

「完成してしまったら、落とすのは難しいのではありませんか」

「いや、何とかなる。人足や職人として風摩党の者も入っているからな」

 菊寿丸は小机城の縄張り図を見せてもらった。

「規模としてはそんなもんでよかろう。ただ、防御の構えを逆にしなくてはならん。北向きにな。城下町は東から南にかけて作る。その城下を風摩党の拠点とする」

「城下をですか」

「そうじゃ。武士を除く、町人は皆、風摩党の者とする」

「それじゃあ、この村がそっくり移動するのですか」

「まあ、そういう事になるが、年寄りや子供はここに残る。城下作りの事を若様にも相談に乗ってもらおうと思って呼ぼうとしていた所じゃった。ところで、わしに話があると言っていたが何じゃ」

 菊寿丸は戦死した者たちの褒美(ほうび)の事を聞いた。

「その事か‥‥若様と同期だった者も何人か亡くなったらしいな。戦死した者が出ると、それぞれの頭から、どういう状況で誰が戦死したかが、わしのもとに届けられる。わしの所には風摩党全員の人別帳があって、砦に入って修行していた頃からの様々な記録が残っている。家族構成とか、得意な物とか、いつ、どこで、どんな活躍をしたとか、様々な事が細かく載っているんじゃ。わしはそれらの事をすべて、お屋形様に知らせる。すると、お屋形様は感状と共に、亡くなった者にふさわしい物を香典(こうでん)として下さるんじゃよ。下さる品物は人によって様々じゃ。しかし、品物よりもお屋形様のお気持ちじゃ。家族の者たちの悲しみは、お屋形様のお気持ちによって、大分救われるんじゃよ」

「気持ちですか‥‥」

「そうじゃ、気持ちじゃ‥‥戦死した者だけじゃない。活躍した者も同じような手続きによってお屋形様から褒美が出る。ただし、人別帳の事は内緒じゃ。頭連中しか知らんからな。皆、お屋形様がしっかり、自分たちを見守っていると信じておるからのう」

「はい」と菊寿丸はうなづいた。

 その日遅くまで、菊寿丸は小太郎らと小机の城下作りの計画を練っていた。

 九月の初め、菊寿丸は父、早雲に呼ばれて韮山城下へと向かった。小机城主になるための準備だった。

 城主になるためには家臣がいる。早雲によって、笠原平左衛門、富永四郎左衛門、遠山隼人佑(はやとのすけ)の三人が菊寿丸の家老に選ばれていた。

 笠原平左衛門は傅役(もりやく)だった笠原十郎の息子だった。年の頃は四十の半ばで、幼い頃の記憶に残っている十郎にそっくりだった。

 富永四郎左衛門は菊寿丸の教え子、弥三郎の叔父だった。

「甥が随分、世話になったようで、ありがとうございました。それがしの伜めも翌年、砦に入りましたが、残念ながら、若様はおりませんでした」とかしこまって言った。

 弥三郎は棒術組だったので、よく覚えていた。初めの頃、反抗的だったが、砦を去る時は弥三郎のいる伊豆の丸山城(土肥町)に是非、遊びに来てくれと言ってくれた。

 遠山隼人佑は菊寿丸と同期のおなかの兄だった。兄といっても年は二十近くも離れていそうだった。

 早雲は三人の家老と相談して、家臣を集めろと言った。まず、幼い頃、菊寿丸の世話をしてくれた七重の姪、多米いずみが桔梗の侍女に決まった。いずみは多米三郎左衛門の娘で、桔梗と一緒に風摩砦で修行していた。いずみは十九歳になるが、まだ独り身で、桔梗が菊寿丸の妻として小机に行く事を聞くと、是非、桔梗の侍女にしてくれと言って来た。菊寿丸は喜んで承諾した。

 砦で同期だった山中彦五郎、間宮彦次郎、清水新三郎、石巻彦四郎の四人と後輩の荒木六郎、山角新五郎、大藤源七郎の三人も菊寿丸の家臣になってくれた。

 菊寿丸は自分の家臣にどうしても騎馬隊を作りたいと思った。風摩党の二番組のように、馬術の名手ばかりを集めて奇襲部隊を作りたかった。菊寿丸は風ケ谷村に行って、小太郎と相談した。

 小太郎は菊寿丸の考えに賛成し、元二番組のお頭で今、風摩砦で馬術の師範をしている小山助左衛門に相談しろと言った。

 助左衛門は、わしも仲間に入れろと言い出した。師範をやって五年にもなるが、どうも性に合わないという。現場に出たいが、馬借(ばしゃく)をする柄(がら)ではないし、できれば武士になりたいという。

 菊寿丸は助左衛門を頭として騎馬隊を編成する事にした。二番組を引退した者たちや砦で馬術の修行をしたが二番組に入れなかった者たちを集めてやると言ってくれた。

 菊寿丸が助左衛門と一緒に騎馬隊の人集めをしていた頃、急に桔梗の母親が倒れたとの知らせが届いた。菊寿丸は慌てて、愛洲太郎左衛門の家に向かったが、すでに母親は亡くなっていた。

 あまりに急な事だった。突然、土間で倒れ、そのまま、意識を取り戻す事なく亡くなってしまったという。

 医術を身に付けていた太郎左衛門にも成す術はなく、自分の無力さを悔しがっていた。

 太郎左衛門は妻の死後、頭を丸めて、移香斎(いこうさい)と名乗って隠居してしまった。

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